河童と人間

@omaehurenzu

第1話

「そこで釣りをしている人間。魚は釣れてるかい?」


「ん?あぁ、魚は釣れてないが河童を釣る事はできたぞ。」



 村から離れた山の渓流。

 そこで釣りをしている男の前に一匹の河童が姿を現した。


 全身緑色の皮膚に覆われ、背中を覆い隠す頑強な甲羅を背負っている。

 そして何より、頭の上には河童の象徴である綺麗な皿が置かれていた。



「何だ、河童の俺が怖くないのか?」


「そうだな、怖くないと言うと嘘になる。」


「なら、何で逃げない?」



 その問いに男は川の方を指差す、正確には竿の先にある仕掛けを。

 仕掛けの先には数匹の鮎が今にも餌に食いつこうとしていた。



「今、丁度魚が釣れそうなんでね。」



 目の前に河童がいるのに見向きもしない男に呆れ返る。

 どうやらとんでもない人間に声をかけてしまったようだ。



「自分の命より魚の方が大切か?」



 その問いに男は静かに首を横に振る。



「そりゃもちろん自分の命の方が大切さ。」


「ならもう一度聞く、何故逃げない?」



 男はこの危機的状況にも何食わぬ顔で答える。



「仮に今逃げたら、お前さんから逃げ切れるのかい?」


「ま〜無理だろうな。」


「だろ?なら今を精一杯楽しむしかないな。」



 人間と河童には大きな身体能力の差がある。

 人間が河童の俺から逃げ切るなんて不可能だろう。

 

 そんな事を考えている間も、この男は釣りにのめり込んでいた。



「ほら、そろそろくるぞ。」



 男の持つ竿先がピクンと跳ねたのと同時に,穏やかだった川に水飛沫が起きる。

 男も竿を持つ手に力が入る。



「おっ、きたきた!」



 延べ竿を上に上げれば仕掛けが勝手に自分の所までくるのだが、魚が重いからか、竿を上げる事すら出来ない。

 男は竿があげられないと分かると、後ろに後退り仕掛けごと陸へと引きつけた。

 


「河童、そこのタモで魚を掬い上げてくれ。」


「お、俺か?!」


「お前さん以外に河童なんていないだろ?」



 まさか河童の俺に助けを求めるとは、この腑抜けた雰囲気に流され、釣りの手伝いをしてしまう。

 近づいてくる仕掛けごとタモで掬い上げる。


 中を覗くと二匹の鮎がタモの中で暴れていた。どちらも中々のサイズで20センチは軽く超えているだろう。



「いいサイズが釣れたな!どうだ、お前さんも食っていくか?」


「河童の俺と食事を共にするのか?」


「ん?河童と一緒でも良いじゃないか、お前さんがいなきゃこの鮎は釣れてなかったからな。」



 何とも危機感のない人間だ。


 俺を一目見ただけで逃げる奴がほとんどだったのに、この男は逃げるどころか食事を共にしようとしている。

 

 まぁ、暇つぶし程度に付き合ってやるか。



「食事の準備はお前がしろよ。」


「あぁ、もちろん。」



 男は慣れた手つきで仕込みをしていく、バックに入っていた小刀で鮎の腹を開き内臓をとり出す。

 塩を塗し口に割り箸を通したら、積み立てた木にマッチで火を起こし、鮎を焼いていく。

 鮎の表面に焦げ目がつくと逆の面にかえる。10分もしないうちに両面焼き上がり、鮎の芳香な香りが辺りに広がった。

 鮎が焼き上がると紙製の皿に乗せ渡してきた。



「ほい、完成したぞ。」


「あ、ありがとう。」



 ありがとうなど今まで一度も使ったことなどなかったから、若干照れてしまう。

 

 男はそれに気づき嬉しそうに笑った。



「な、何だ…。俺がお礼を言うのがおかしいのか?」


「いや、違う。まさか河童にお礼をされる時がくるとは思わなくてだな。嬉しかったんだ。」


「そうかよ。」



 何だか恥ずかしくなり男の顔から顔を背ける。

 この気を紛らわそうと鮎を口元へ運ぶと、鮎の香りと旨みが口一杯に広がった。

 知らなかった、調理した魚がこんなにも美味しいとは。自分のほころぶ顔を見て、男はまた満足げな顔をして笑った。



「どうだ、うまいだろ?」


「ま、まぁまぁだな。」


「そうかい。」



 言葉ではそう言うが、体は正直で鮎を食べる手にさらに拍車がかかる。

 あっという間に手元から鮎がなくなり物足りなさだけが残った。



「もう、食べちまったのかい?」


「違う、お前の食べるペースが遅いのだ。」


「まぁね。」



 とても美味しかったからなんて事は言えず、思わず突っぱねた返事をしてしまう。

 

 だがこの男の食べるペースが遅いのも事実、男の持つ鮎を見るとまだ一口しか食べていなかった。

 男の鮎を持つ腕はとても細く、とても力強さなどは感じられない。

 

 この腕では鮎を釣っても竿を持ち上げる事は出来ないだろう。



「お前、何かの病気か?」


「分かるのかい?」


「…そんな細い腕を見たら誰でも気づくわ。」


「そうだよな。」


「で、なんの病気なんだ。」


「胃癌だよ。すでに胃の3分の1は無いんだ。」



 男は気まずくなり思わず下に顔を背ける。

 恐らくもう助からないのだろう、もう生への執着がないことは顔を見ればすぐわかった。



「もう、助からないんだな…。」


「あぁ、もう癌は他の箇所にも転移してる……。何だ?心配してくれてんのか?」


「うるさい、短い時間とは言え同じ食卓を囲んだ仲だ。多少の心配はしてやる。」


「そうか、嬉しいよ。」



 まさか人間の心配をする時がするなんて、今までの人生からは考えられなかった。

 何故だろう、人間は嫌いだがこいつだけは死んでほしくないと思った。



「それにしても、お前は死が怖く無いのか?」


「怖く無いわけがないだろ…。いつだって死に怯えてるさ。」


「ならこんな所に無理してこないで、家でゆっくり休んでればいいだろ。」


「そうだな、その通りだ…。でも、残りの人生をベットの上で過ごすのは寂しい物だろ?」


「それも…そうだな。」


「それに、河童に会えたんだ。無理をしてでも此処に来た甲斐があったってもんだ。」



 男は高々と笑った。

 男の笑い声が辺りの山に響く。

 


 そんな二人の時間に、終わりが近づいてくる。

 山に夕陽が隠れ始め、辺りが暗くなり始める。



「なぁ、河童……。また会えるか?」


「そうだな……。お前がまた此処まで来れたらな。」


「……そうか、また頑張って此処まで登ってくるとするよ。」 



 男の目はどこか寂しそうな目をしていた。

 その細い足を見ればわかる、今回だけでもかなり無理して来たはずだ。

 それなのに、今日よりも明日悪くなる体で、此処にまた訪れるのは難しいだろう。



 男は、細い足で立ち上がると、俺から背を向けて下山していく。

 その後ろ姿はとても小さく儚い物だった。



「なぁ、人間。」



 覚束無い足取りを止め、後ろを振り向く。

 その表情は先程と同じ寂しい目をしていた。

 

 せっかく、人間と河童が話すことができたんだ。

 そんな表情でお別れは寂しいだろ?

 

 だから敢えて言う。叶いもしない言葉を。



「また会おうな。」



 その言葉に男は驚き、目から涙が溢れ出していた。

 

 何度も、何度も涙を拭うが、それでも溢れ出てくる。

 俺はそれを黙ってそれを見届けていた。



 男は落ち着きを取り戻すと、今までで一番でかい声で言った。



「また、会いにくるからな!」


 

 男は背を向け、山を降りていく。

 最後に見た男の顔はとても眩しかった。

  

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