怒り

 



「待ってくれ、マリンダ嬢!」


「行けませんわ、カール様」


「サラ……」


 涙を流して立ち去っていくマリンダを追いかけようとしたら、サラに腕を掴まれ止められてしまう。その間に、マリンダの姿は見えなくなってしまった。


「サラ……どうして君がここに」


「それは当然のことです。だって、全部知っていましたから。“今までのことを全部”」


「なっ……」


 サラの言葉に、いや瞳の奥に潜む暗い闇にカールは怯んでしまう。

 これだ……時折見せる彼女の悪意がカールは恐いのだ。


「カール様が多くの女性と遊んだって私はなんとも思いませんし、許容します。だけど、彼女マリンダだけは許しません」


「どうして……」


「だってカール様、彼女のことを本気で愛していますでしょ?」


「それは……」


 サラには全部お見通しのようだ。

 恐らく、全部知っていると言ったのも強ち間違いではないだろう。病弱な身体な為に外に出ることはできないから、誰かに尾行させてカールのその日の行動を逐一報告させていた。

 それは昨日今日に限らず、“ずっと”だ。


 そこまでするかと、あり得ないかと思われるが、サラならやる。

 サラスヴァティ・ベルという女性は、そういう人間だからだ。


「カール様、彼女のことはもう忘れてください」


「サラ……俺は……」


「王妃……貴方のお母様に歯向かうと?」


「くっ……」


「さぁ、行きましょう。私、今日は身体の調子がよろしいんです。久しぶりに一緒に歩きませんか」


「……わかった」


 無邪気な笑顔で誘ってくるサラに、カールは諦めたように了承したのだった。



 ◇◆◇



「姉さん、今頃上手くやってるかな……」


 マリンダを王宮に届けた後に宿に戻ってきた弟のルクスは、自分で淹れた紅茶を飲みながら姉の行方を案じていた。


 人一倍度胸があり、一人前の淑女レディである姉ならカールの両親――王や王妃相手にも臆することはないだろう。それにカールだってついているから心配する必要はないが、やはり弟としては心配してしまう。

 そう思うのは、ルクスが本気で二人の恋を応援しているからだった。


「まさか本当にあの二人がねぇ……」


 貴族らしきお堅い姉と、王子らしくない自由奔放なカール。

 相反するタイプの二人を合わせてどうなることやらと思われたが、意外にも波長が合うようだった。

 というより、カールがマリンダを気に入ったみたいで何度も誘ってきたし、マリンダも拒むことがなく、アタックしてくるカールを気に入ったみたいだった。


 短い間で二人は何度も会うようになり、次第に恋を芽生えさせた。

 傍から見たら砂糖を吐き出したくなるくらいのラブラブ空間を展開していて、それはもうお似合いのカップルだった。


 きっとカールにはマリンダのような芯があるしっかり者の女性が合っていて、マリンダには明るく引っ張ってくれるカールのような男性が合っていたのだろう。


 互いに、運命の相手と巡り会えたということだ。


「結婚かぁ……」


 そして二人はとうとう結婚する話をつけにいく。

 姉が結婚することは大変嬉しいことこの上ないが、同時に一抹の寂しさを抱いていた。

 それはやはり、大好きな姉を取られてしまうという弟ならではの可愛い嫉妬だろう。

 例えそれが、“自分が二人をくっつけようとした張本人キューピットだとしても”だ。


 22歳の良い大人が何を嫉妬しているんだと思われるが、どれだけ歳を取ったとしても弟であることに変わりはないし、尊敬する姉を想うのは当然のことだろう。


 マリンダには幸せになって欲しい。

 これまで散々辛い目に遭ってきたのだから、余計にそう思う。そして親友であるカールなら、きっと姉を幸せにしてくれるだろう。


「あ~あ、姉さんが結婚したら今度は僕の番かぁ」


 ルクスは姉が結婚するまで自分も結婚しないことにしていたが、マリンダが結婚するなら自分もそろそろ考えてもいいだろう。というか、次期領主として真剣に考えないといけない。世継ぎのこととかもあるし。


 別段好きな相手とかは居ないが、マリンダのように社交界に出てもいいし、誰かに紹介されるのでもいい。なんせ自分は侯爵家の人間であり、ルックスも優れているのだから、引く手あまただろう。


 あとはまぁ、なんだ。

 マリンダとカールを近くで見ていて、自分も恋をしてみたくなったというのもある。


 そんな風に自分の将来を考えていた時だった。

 キー……と豪奢な扉が開く。何事かとそちらを向けば――、


「えっ姉さん?」


 扉の外からマリンダが入ってきた。

 驚きながらも、俯いているマリンダにどうしたのか問いかける。


「随分早かったね……って、どうしたのさ!?」


「ひぐ……ぅぐ……ルクス~~~」


 見上げた姉の顔はぐしゃぐしゃで、大量の涙を流していた。

 そしてルクスの胸に飛び込むではわぁ~っと泣きじゃくってしまう。


 そんな姉の様子に、ルクスは戸惑ってしまう。

 もしや結婚の話が上手くいかなかったのだろうか。まずは話を聞いてみなくてはどうしようもないと、マリンダに訳を尋ねる。


「いったい何があったのさ。僕に話してごらんよ」


「カール様に裏切られましたわ……カール様、既に婚約者が居たんですの」


「何だって!?」


 目を見開くルクス。

 信じられない……カールに婚約者が居たなんて今まで一度も本人の口から聞いたことがない。きっと何かの間違いだ。


「間違いではないですわ。サラスヴァティ・ベル公爵という女性という婚約者が居ましたの」


「ベル公爵だって……」


 その貴族は勿論知っている。

 侯爵家よりも格式が高い、王家に次ぐ貴族だ。ベル公爵家に娘がいるというのも聞いたことがある。だが、その娘は病弱であり表舞台には一度も現れていなかった為、ルクスも拝謁したことはなかった。


 まさかその娘とカールが婚約していたなんて……。

 何故親友である自分に黙っていたんだ。しかも黙っていた上でマリンダに会いに、結婚していたというのか。


 泣きじゃくるマリンダからその時の状況を説明される。

 王宮に入ろうとしていたらサラが転んでしまい、助け起こして一緒に行こうとしたらカールが来て、話かけようとした矢先にサラがカールに走り寄った。


 そしてこう言ってきたのだ。

 自分はカールの婚約者であると。


「何かの間違いだと思いましたわ……。でも、カール様は何もおっしゃってくれなかったんですの。立ち去るわたくしに声もかけず、追いかけてもくれなかった……」 


「姉さん……」


「もう、何もかも信じられませんわ……」


 そう言って、子供のように泣きわめくマリンダ。

 壊れてしまいそうな姉を強く抱きしめながら、ルクスは激しい怒りを抱いていた。


(カール……どうして姉さんを裏切ったんだ!)

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