愉快なバルクホルン侯爵家
社交界を終えてマリンダが家に帰ってくると、パパパパンッとクラッカーの破裂音が鳴り響く。
広間には大勢のバルクホルン家の人間が待ち構えていて、中央には『祝! 100敗!』と書かれた垂れ幕が掲げられていた。
「マリンダ、お疲れー!」
「マリちゃん、お疲れ様!」
「姉さん、お疲れ!」
「「お嬢様、お疲れ様です!」」
バルクホルン侯爵家の当主であるオブライエン=バルクホルンと、その妻イリーナと、弟のルクスと、執事やメイド達が一斉にマリンダを労ってくる。
別に馬鹿にしている訳ではない。やり方はアレだが、彼等なりに落ち込んでいるであろうマリンダを明るく励まそうとしているのだった。
騒々しい家族達に呆然としていると、父と母がいそいそと娘に歩み寄った。
「悲しむ必要はないぞマリンダ、お前はずっとこの家に居ればいいんだ。なんならお前がバルクホルン家を継いだっていい。うんそうだ、そうしよう」
「そうよマリちゃん。ルクスなんか婿に出しちゃえばいいのよ」
「お父様、お母様、流石にそれは僕が可哀想じゃない? 僕が継いで、姉さんも家に居ればいいんだよ」
「「う~ん、まぁそれはそれでありだ(ね)」」
御覧の通り、オブライエンとイリーナは娘のマリンダに対して超が付くほどの親バカである。
まぁそれは仕方ない。だってマリンダは超可愛いから。
オブライエンとイリーナが元々“そういう性格”なのもあるが、子供の頃からマリンダは素直な良い子で、見た目も宝石のように可愛らしくて、何でもできる優秀な子。
それはもう自慢の娘だった。
今でも鮮明に思い出せる。「お父様~お母様~」と無邪気な笑顔で自分達を呼ぶ娘の姿を。娘が可愛くてたまらないというのは正にこのことだろう。その愛情は歳を取った今でも変わらない。
そんな穏やかで親バカな両親に育てられたからなのか、マリンダは逆にしっかり者になった。勿論両親の事は大好きだが、侯爵家の娘としてしっかりしなくてはと己を律したからだった。
ルクスの場合は、単にお姉ちゃん子だった。
執務で忙しい両親に変わってマリンダがつきっきりで弟の面倒を見ていたからか、ルクスはマリンダにべったりだった。
侯爵家の人間として姉を尊敬するし、何でもできる姉を誇らしく思う。姉の為なら火の中水の中、死んだっていいとさえ思っているヤバいシスコンだった。
最後に執事やメイド達。
古株の執事やメイドは、マリンダがどれだけ努力してきたかその目で見てきている。ルクスや新参者はマリンダが最初から何でもできる人だと勘違いしているが、実はそうではない。
マリンダは影で努力していたのだ。
それを決して他人に見せたりひけらかしたりしない。料理や裁縫だって、自分から教えて欲しいと執事やメイドに頭を下げてくるし、遠慮はいらないと厳しくするよう自分から言ってくる。
最後にはちゃんとお礼を言ってきたり、いつも欠かさず「ありがとう」と労いの言葉をかけてくれたりもする。
その振る舞いは幼いながら立派な淑女で、古株達にとってもマリンダは自慢の娘のように思っていた。
では新参者はどうか。
彼等は皆、マリンダに拾われたり助けられた者達ばかりである。
借金を膨らませた親が娘を売ろうとしていたのを肩代わりする代わりにメイドとして雇ったり、町で窃盗や喧嘩をしていた幼い
雇われたばかりの頃はマリンダから「ちゃんと掃除が行き届いていないわ」とか「お茶もまともに淹れられなくて?」と口五月蠅い嫌味を言われたりしたが、別に怒ってる訳ではなく、侯爵家の人間として恥じないように注意しているのだ。
それは言い方を変えれば、自分達を家族として受け入れてくれる愛情あってのこと。
新参者達はマリンダに対して恩義があるのは勿論、家族として迎え入れてくれたことに感謝している。
そう、バルクホルン家の人間は全員がマリンダのことを愛していた。
だからこそ、マリンダが婚約破棄された時はキレにキレた。ウチのマリンダを振って悲しませるとはいったいどうことだコラと、一家総出でぶっ飛ばしにいく勢い。
しかし、マリンダを再び悲しませてしまうかもしれないとなんとか踏み留まった。
そして二人目の貴族と婚約したのだが、また婚約破棄されてしまう。もうそんな事はさせないと、今度はバルクホルン家全員で慎重に調査し、マリンダに合う貴族を探し出した。
なのに、三人目が一番早く結婚破棄を申し出てきた。
これにはバルクホルン家も驚きだ。あれだけ慎重に調査したのにダメだったのかと。
三人の婚約者がマリンダを振る理由はどれも同じ。
口が悪いとか、気が強いとか。確かにマリンダは思ったことを口に出してしまう強気な性格だ。
しかしそれは愛情あってのことだとバルクホルン家の人間は理解している。だがそれを知らない人や、プライドが高い貴族の男からしたらマリンダのような気の強い女性を好まないのだろう。
悪い噂も流れてしまい、ついぞマリンダと婚約してくれる者が居なくなってしまった。
だがマリンダは諦めなかった。婚約が無理なら自分から探しに行くと、社交界に出るようになる。
でも、彼女の噂を知っているからか誰もマリンダを相手にしなかった。それどころか、『毒舌令嬢』だとか揶揄したり『必死なアラサー』と笑い者にしてくる。
バルクホルン家の人間は「おいたわしや……」と見るに絶えず、せめてマリンダが気の済むまで見守ることにした。
そして今日。
100回目の社交界でマリンダが婚活を諦めるというから、これまでお疲れ様という意味で落ち込んでいるであろうマリンダを慰める会を開いたという訳だった。
だったのだが――、
「……」
「あれ、マリンダ?」
「どうしたのマリちゃん」
「お~い、姉さん聞こえてる?」
「「お嬢様?」」
マリンダの様子がおかしい。
皆が話しかけているというのに、マリンダは心ここにあらずといった風にボーっとしていた。その様子に戸惑う中、マリンダはフラフラと自室に戻ってしまう。
「これはどういうことだ?」
「マリちゃん、何かあったのかしら?」
「もしや……」
てっきり100回目の社交界も失敗に終わり落ち込んでいると思っていたのだが、見た所そうではないらしい。
オブライエンとイリーナは怪訝そうに、執事やメイド達は困惑していたが、ルクスだけは思い当たる節があるようにニヤリと口角を上げていた。
「はぁ……」
バタンとベッドに倒れるマリンダは、深くため息を吐いた。
彼女の頭にはずっと、カールとのひと時がリフレインされている。
面白い人だと笑われたのも、手を引かれて会場に連れてかれたのも、胸が躍るようなダンスを踊ったのも、手の甲に唇を落とされたのも、全部が夢のような時間だった。
楽しかった。これまでの嫌なことを全部忘れるくらい楽しかった。
未だにあの時の興奮が冷め止まない。
「~~~~っ!!」
思い出してはパタパタと足を振って、思い出しては枕を抱えながらベッドの上をゴロゴロと転がる。アラサーということ見ればかなりキツい仕草だが、その光景はまるで初恋を知った少女のようだった。
「はぁ……」
再びため息を吐く。
でも、アレは単なるカールの気まぐれに過ぎないだろう。たまたま女性が泣いていたから、気を遣っただけの話。きっと彼はマリンダ以外の女性でも同じことをしていた筈だ。
「そう……あれは王子の気まぐれですわ」
期待してはいけない。
そもそも相手は第三王子だ。アラサーの自分なんかが夢見ていい相手ではない。
カールとのひと時は良い思い出として、胸の中に仕舞っておくことにした。
最後と決めていた社交界も終わったし、これからどうしましょうと先のことを考えていたら、体力的にも精神的にも疲労していたのかうとうとしてきて、いつの間にか眠ってしまっていた。
「う……ううん。あれ、わたくし寝てしまいましたの?」
目が覚めると、次の日の朝だった。
ぐっすり眠ったし空は快晴で、なんと気持の良い朝だろうか。
ふわぁと欠伸をしながら、ぐ~っと両手を伸ばしたその時、誰かに声をかけられる。
「おはよう、マリンダ嬢」
「ええ、おはようございます……えっ?」
挨拶されたから挨拶をしたが、声の主に驚いてしまう。
いったい誰? とそちらを向けば、第三王子のカールが優雅に紅茶を飲んでいるではないか。
カールはティーカップを置いて王子スマイルを浮かべると、突然こう言ってきた。
「デートに誘いにきたよ」
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