発覚

 電車が停止し、真一郎は莉花の手を取って、歩き出した。

「莉花さん、あなたは特別でした。他の子たちと違って、父を本当の父親のように慕い、僕にもとても優しかった。僕はね、あなたと遊んでいるときだけ。そのときだけは、苦しみを忘れることができたのです」

 外は一面雪野原で、遠くにゴンドラが見えた。莉花はそのゴンドラに見覚えがあった。

「最後に隠れ鬼をしたのを覚えていますか? あのゴンドラに、一緒に乗りましたよね」

「……うん、ゴンドラで降りてユキちゃんと隠れ鬼をしていたら、私はなぜか眠くなって、起きたら警察に保護されていた。ねえ、なにかした?」

「すみません、一服盛りました。母が帰国する予定だったので、莉花さんは帰さなければならなかったんです」

「……ユキちゃんはさ、あの日、また会いにきてくれるって言っていた。明るい笑顔で。なにか吹っ切れたように見えたよ」

「そうですね……」

 真一郎は小さな、小さな吐息をこぼした。

「僕は……あなたと話している内に、現実に向き合おうと思うようになりました。なぜか、そんな気持ちになれたのです」

「うん……」

「誘拐ごっこは終わりにして、今度は普通に、男の子の恰好で、父と二人で会いに行くつもりでした」

「私はそれを待っていたよっ。約束だってしていたのに。でも……来てくれなかったよね?」

 莉花が恨み言をぶつけると、真一郎は悲しげに微笑んだ。

「すみません……あの後すぐ、警察から妹が発見されたと連絡があったので」

「っ……」

 莉花は表情を強張らせて、沈黙した。躊躇いながらも無言で真一郎の手に触れると、氷のように冷たかった。

「行こ」

 手を繋いでゴンドラに乗りこむと、彼はまた静かに語りだした。


 ◇◆◇


 外では雪が降りしきる、夕食どきだった。

 久しぶりに母と食卓を囲み、父も機嫌良くしているところに、その知らせは訪れた。

 電話を取ったのは、母だった。いつもハキハキと喋る母が、力なく応対しているから、真一郎は嫌な予感がした。

『……すぐに、伺います』

 電話の受話器を置き、振り返った母は、真っ青な顔をしていた。

『由紀の遺体が発見された、と警察から連絡がありました……あの子に会いにいきましょう』

『…………はい。すぐに、コートを取ってきます』

 現実感がないまま、真一郎はすぐに支度を始めた。

 脳が痺れて、ふわふわとしていた。悲しみは不思議と感じなかった。

『何を言ってるんだい? 由紀ならそこにいるじゃないか?』

 能天気な声。

 父は真一郎を指差して、母にそう訴えていた。本当に、本当に、不思議そうな顔をしていた。

 そのくせ、父は最後まで家を出るのを嫌がって、しまいには子供のように泣き出した。仕方なく、真一郎と母が、父を置いて出かけようとしたら、一人にされるのも嫌だと大号泣して、結局、電話を受けてから一時間後に、三人はタクシーで警察へと向かった。

『このたびは、我々の力が及ばず、誠に申し訳ありません……由紀さんは、こちらで眠っています』

 対応をしてくれたのは、倉科だった。三十代の刑事は、ひどく疲れた顔をしていた。

 両親が支え合うようにして妹と最後の面会をするのを、真一郎は霊安室の入口で眺めていた。

『……ゆきぃぃ……父さんを置いていかないで、くれよぉぉ……』

『おかえりなさい、由紀……』

 倉科はしばらく両親を見守ると、霊安室から出ていった。外で、声をひそめて捜査の電話をしているようだった。

『そうか……保護されたのは、本宮莉花さん……だったか。わかった……ああ、それで……』

 霊安室の中と外は、別世界のようだった。

 ……僕は、なんて愚かなのだろう。

 その狭間に立っていた真一郎は、一気に現実に引き戻されていた。

 刑事の捜査状況のやり取りを聞いている内に、父親の泣き声を聞いている内に、真一郎は恐ろしい事実に気づいたのである。

 僕はなんて愚かなんだ。こんなっ、こんなことにも気づかないなんて!

 由紀がいなくなり、父親が壊れそうだったから、自分たち親子は誘拐ごっこをしていた。しかしそれは同時に、由紀の捜索をする警察の捜査を、混乱させることだったのではないか、と。

 一人少女が消えるたびに、捜査の人員はそちらに割かれていった、はずだ。確実に、捜査は分散せざるを得なかっただろう……

 もしも。

 もしも、自分たちが誘拐ごっこなんてしていなかったら、今の、この現実はどうなっていた?

 もしかすると、もしかしたら、由紀は生きて帰って……

『真一郎、由紀と会ってあげて。由紀も、きっと喜ぶから』

 呆然と立ち尽くしていると、母に声をかけられた。

 泣きじゃくる父をつれて、母は倉科に挨拶をしていた。妹を発見した人の話を聞くかどうか、倉科に問われ、母はうなずいている。

 その姿を、由紀は死んじゃったのに何でそんなことをするんだろうと、真一郎は思った。そんなことは無意味なのに、と。

 ……ああ……でも、今さら気づいても、手遅れだ。もうっ、もう、取り返しがつかない……

『っ……ごめんよ、由紀。馬鹿なお兄ちゃんで、ごめん……!』

 真一郎は涙を流しながら、妹の頬に触れる。

 氷のようだった。

 自分の手がいかにあたたかいのかを思い知って、胸が締め付けられた。熱を分けられればいいのにと思うのに、恐ろしくてそれ以上触れていられなかった。

『っ……ぅうう……ごめんっ、ごめん、由紀! ……ごめ……』

 涙はどんどん溢れ出て、嗚咽がこぼれた。

 自分はなんて、なんて愚かなのだろう……賢いなんて、思い上がりだった……僕は、無力で、弱くてどうしようもなくてっ……

 一人で泣いて泣いて泣きじゃくって―

 ふと、一生懸命に生きなければと思った。

 これからは目をそらさず、真っ直ぐに。死んだ由紀の分まで。

 由紀は誰に連れ去られたのか、なぜ死んだのか、その原因を警察は掴めていないようだった。

 警察にそれが分からないのならば、犯人を白日の下に晒すのが残された自分の役割だと、真一郎は、深く胸に刻んだ。

 由紀との約束を破り、父と誘拐ごっこをしていた自分にとってそれは、虫のいい話かもしれないけれど。

 苦しみながら、精一杯に途方もくれない時間を、父といっしょに秘密を抱えて生きることこそが罰だと悟った。

 どうしようもない現実に、とりかえしのつかない過ちに対して、これからできるのは、それだけだと思った。


 十歳の少年は、そうするしかなかった。

 しかしそうするしかなかった彼に、神様は、さらに厳しい罰をお与えになったのです。


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