隠れ鬼の楽しみ方

 夕暮れ時の公園のベンチで、真一郎は隣の少女をうかがった。

「今日は、静かですね」

「えー、そんなことないよ~ 集中して、見張ってるだけっ」


 もういいかい。

 まぁだだよと、隠れ鬼の呼びかけが響く。


 莉花は駆け回る子供を見つめながら、缶のココアを一口。先ほどから自分からは話そうとしない。

 正直、今日は何を言われるのかと思ったのだけど。

 別に被虐趣味があるわけではないが、いささか拍子抜けだ。そもそも本宮莉花という人は笑顔で本心を隠し、女の子らしいものを好むように見せているが、実際のところ、かなりきつい性格をしている。

 そんな彼女だから、昨日のあれは失態だった。母の電話に動揺していたとはいえ、あんな姿を彼女に見せてしまうなんて。

『なーんだ、生きてるんだね。残念っ!』

 毒にまみれた台詞は彼女らしいといえば、彼女らしい。

 あの後すぐに彼女の後ろから見知らぬ青年が割ってこなければ、なぜ自分がそういう状態だったか探られていたことだろう。

 その点だけは幸運だった。

 だけど、それ以外は最悪だ。

 好きな女の子が知らない男に笑顔を向けたり、華奢な肩に男の手が触れたり、あまつさえ連絡先を教えているのを見せられて、なんとも思わない男はいない。

 彼女流の嫌がらせなのは分かっていても、ムカつくものはムカつくのである。それにいくら男より強いとはいえ、いささか無防備じゃないかと思う。

 莉花さん、わかってるのかなぁ?

 一見すると人の良さそうな青年だが、真一郎に向けてきた眼差しは、明らかな敵意と嫉妬の感情があった。

「莉花さん、昨日いっしょにいた男とは、また会いますか?」

「うーん。やけに熱心なメールをくれるんだよね」

「期待させるような返信は残酷ですよ? それに彼、ずいぶんと思い込みが強そうだ。ストーカーになるタイプです」

 莉花は呆れたような視線をくれる。

「真一郎くんが言うと、とっても、説得力があるね」

「あの手のタイプはうまくおだてれば、なんでもやりますよ。ですが、使いやすい道具も、一歩、使い方を間違えれば怪我をします」

「さっきから過激だなぁ。どうしたの? えへ、もしかして嫉妬~」

「嫉妬ですか? もちろんしてます」

 というより、嫉妬するように仕向けたのはどこのどなたですか?

「でもそれより、心配なんです」

 それは純粋な本音だった。

 莉花の空手の試合を見たことがある。

 いくら寸止めの試合とはいえ、あの間合いの詰め方は異常だった。怪我をしても構わないという飛び込みをする。莉花にはいささか恐怖心というものが欠けている気がした。

 そんな真一郎の心配も、莉花にはどうでもいいらしい。

「それにしても~ かくれんぼって、なにが楽しいのかな?」

「……人の話、聞いてます? もう、いいですけど。かくれんぼ、ですか? 見つからないように隠れて、探す人の姿を見るのが楽しいんじゃないですか?」

「真一郎くんらしい、意地悪な答えだね」

 一瞬だけ、莉花の唇に微笑みが浮かぶ。どこか寂しげな、力のない表情だ。

 それはいつもの作りものめいたものとは違う気がして、真一郎はどきりとした、次の瞬間。

「ねえ、昨日はなんであんな死にそうな顔していたの?」

 これ以上ないくらい直球の台詞。それも人の動揺を突くタイミングに、真一郎は内心、苦笑いだ。

 答えを用意しておかなければ、ボロが出ていただろう。あるいはボロを出させるために、あんな表情をしたのだとしたら、危険だと思う。

「そんなひどい顔をしていましたか? 少し気分が悪かっただけですよ」

「そういうふうには見えなかったけど。その前に電話してたよね? 誰からだったの?」

「母です」

 意外そうに、莉花は目をすがめる。

「父との離婚が成立したそうなので、その報告でした。それと今、日本に帰ってきているようで、明日、会えないかとも言われましたが……」

「……ご両親はすでに離婚していたんじゃなかったの?」

「周りからはそう見えるようですが、実情としては別居状態が精確です」

「…………」

「睨まないでください。いろいろ込み入った事情があるんです」

 だいたい八十点の精確性で満足したのは、そちらですよ?

 口に出しては言わなかったが気持ちは伝わったらしく、莉花の唇が無音を吐き出した。読唇術によれば……

「……それ、女の子が言ってはいけない言葉です」

「えー、何にも言ってないよ?」

 にっこりと、頬にえくぼ作って首を振る。

「ただ、ちょっとびっくり~ 意外と、お母さんと仲がいいんだね」

「別に普通ですよ。ときどきしか会えないので、母はいささか過保護ですが」

「そうなんだ……うん、わかった。明日は私のこと気にしないでお母さんと会ってきていいよ。私は一人で大丈夫だからね」

「そう言うと思ってました。でも少し心配なので、これを持っていてください」

 真一郎はハートのキーホルダーを渡す。

「お守りです」

「えーとぉぉ、これはもしや盗聴器?」

「っ、防犯ブザーです! ……なにかあったら引っ張ってください。たいていの人間なら腰を抜かすくらいの爆音が鳴り響きますから」

「爆音やだなぁ」

 莉花の拒絶を無視して、真一郎は彼女がいつも持っている革鞄に無理やりつける。

「もうっ、みんな心配性だなぁ。私は大丈夫なのに~」

 莉花は細い指で不服そうにキーホルダーを突っついていたが、気が済んだのか、また視線を遠くへやる。その先を追えば、隠れ鬼が子供を一人見つけていた。

「じゃあ、真一郎くんは近々、杉崎くんじゃなくなっちゃうんだね。新しい苗字は何になるの?」

「ずっと杉崎のままですよ。中学入学と同時に、母の苗字を名乗っているので」

「へえ、そうなんだ……じゃあ、前の苗字はなぁに?」

「鳴海、といいます」

 真一郎は含みをもたせて言ったが、莉花の表情は動かなかった。いつも通りの愛想笑い。

 ……あれ、気づいてない? いや? 気づいていて一切、動揺を出していないのか?

 読めない。

 焦れた視線を送る真一郎をよそに、莉花は駆け回る子供たちを見つめている。

「卒業まで、あと少しだね」

「え、ええ……」

 三月に入り、卒業式は二週間後だ。

 こうして毎日会えるのは、あとほんの少しの期間だろう。もちろん真一郎は卒業後も繋がりをもとうとしているが……

「莉花さんは、卒業後はお嬢様系のカトリック大学で、寮生活になるんですよね?」

「そうっ! ストーカーとか入り込めない安心安全な生活を送ることになるんだぁ」

「……安心安全が目的なら、他にも候補があったと思いますが。空手の特待生で、全寮制の大学もありましたよね?」

「えー、私、お嬢様大学、似合うでしょう? それに、空手はもともと高校までって、ママと話してたし」

「似合うとか、親とか、気にする人でしたか?」

「もちろん気にするよ~……それに、全国レベルで考えると、私にはトップでやれる才能はないんだよ」

 莉花はさり気なく言ったが、いつもよりひんやりとした物言いだった。

「僕は素人なのでよくわかりませんが……」

 もったいないと、真一郎は思った。

 彼女は感情を押し殺して、損得を優先するところがある。女の子はもっと我が儘でもいいのに。

「僕には、上段回し蹴りをしている莉花さんは、とても楽しそうに見えますよ」


 ◇◆◇


 ふわりと、天が回って、仰いだ空は透き通っていた。

 走り回ってほてった体に、柔らかな雪が気持ちがいい。

『だ、だいじょうぶ!』

 覗き込んできたのは、鬼ごっこの鬼。

 出会ってから四日間。ずっと暗い顔をしていた少女は、慌てたせいで目を真ん丸にしていた。

『あはは~ ユキちゃんに捕まっちゃったぁぁ』

『……なんで、笑ってるの? ねえ、この状況わかってないの?』

 怒った顔をしながらも、転んだ自分に差し出される手。

 ユキちゃんは怒りっぽいけど優しいなぁ。でも、甘いなぁ。

 悪戯心がわいて、思いっきり手を引っ張ると、ふぎゃっと妙な声をあげてバランスを崩す。

『リカちゃん、なにするの!?』

 ぎゅぅうぅと暴れる体を抱きしめて笑う。笑う。

 楽しくて、楽しくて、面白くて!

 どうしてこんな楽しいんだろう? 笑顔を作らなくても笑い声が出るのは、はじめてだなぁ。

 けれど、腕の中からひっくひっくと聞こえてきて、笑みが引っ込む。

『ユキちゃん、泣いてるの? 帰りたい?』

『…………』

 何も答えず、震える少女。

 しがみついてくる存在を抱きしめて、空を見上げる。

 あーあ……おじさん、早く帰ってこないかなぁ。おじさんが頭を撫でたら、ユキちゃんもきっと泣き止むのに。

『ねえねえ、泣いてないで遊ぼうよ? 鬼ごっこの続きしよ~』

『……鬼ごっこは、もういいよ』

『じゃあ、違うことしよ? ユキちゃんは、なにしたい?』

『…………それなら、隠れ鬼』


 ◇◆◇


 目覚めると、なぜか頬が濡れていた。

 幸せの光景は瞬く間に消えて、怒っていた少女の顔も思い出せない。

 莉花はしばらく冷たい枕に顔を埋め、準備をはじめた。



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