夢想家のひまわり

虚数クマー

第1話


 子供がすきだ。


 すきといっても、ころころとして可愛らしいなぁとか、まだまだ世間に染まっておらず純粋だとか、そういうのとはちょっと違う。


 なんというか、風景として好きなのだ。

 できれば――そう、田舎。田舎の晴れた空だ。

 

 ちょっと見渡せばあっちには田んぼ、こっちには畑みたいな土地の、その隙間にわしゃわしゃと小さい森でも生えたかのようになっている空き地。上を見上げれば、おう俺は青色しか使わねえんでござい、なにか文句があるかい、みたいな一色の空。浮島のように雲がぽつぽつといて、真っ昼間の太陽が、睨めつけるみたいにびかびか光って。茹だる空気を、じぃじぃじわじわ鳴くセミがさらに気温を上げてるような。


 そんな中で、セミ共よりもぎゃあぎゃあ騒いで、汗と土埃で汚くなって、それでも満面の笑みでトンボだかなんだかを追っかけてる子供。夏の空だか太陽だか、そんなものを苦にもせず走り回って、失敗すればワンワン泣いて、なにかあればやぁっと喜んで、なんにも考えぬままに我こそが主役だと駆け回っている。


 そんな子供たちの姿を、風景として、涼しい風の通る縁側だの、クーラーの効いた部屋だので、アイスと風鈴を楽しみながらのんびり眺めていたいのだ。


 「……お言葉ですが。」


 「なんだいヨウくん。いいところだったじゃないか。」


 そう、今まさに。気持ちよぉく風が吹く縁側で、チョコアイスをガブリとやりながら理想に限りなく近い光景を楽しんでいたというのに。駆け回っていた子供本人が文句を言ってきたのである。なんと困った少年であろう。水を差されたというか、もうホースでじゃぶじゃぶくらいだ。


 「ハヤねえちゃんのさ、そういう趣味は……なんか、まあ、よくわかんないけど、わかることにしときますけど。」


 「含みがある言葉だねヨウくん。」


 理想に、というのは、このあたりだ。

 駆け回る子供がひとりな事。全然大はしゃぎしていないこと。

 むしろ、かろうじて時々敬語をつかってくれる、この利発そうな半袖短パン姿の黒髪の少年は、まあまあ不服げにあんまり捕まえる気もなさそうに虫取り網を振るっていること、である。ひとりだけなのは全然OKとしても、彼の態度は頷けない。他の部分は空も土地も虫たちも、ついでに気温も理想通りでばっちりなのだが。一体全体、どこにどんな不満を含んでいるというのだろう。


 「文句あるよそりゃ。小遣い貰ってねえちゃんの趣味につきあわされてるだけだもん。こっちとしちゃ、全然純粋な気持ちでやってないんですよ僕は。」


 何が問題であろうか。労働に対する対価は払っているのだ。わざとらしく首を傾げていると、ため息と睨む目が露骨に突き刺さってきた。というか、物理的に虫取り網で足の甲をツンツンされている。ううむ、流石にちょっとつらい。精神も肉体も。


 「……いやね、言いたいことはわかるよ。うん。そういう風景が好きだといっても、やらされてるのを見るのはちょっと違うだろ、とか。いくら金をもらってるったって、そっちが一人涼しげにしてるのはずるいぞ、とか。もらったお小遣いだって三百円だぞとか、そのあたりだろ。」


 「わかってるならとぼけないでほしいんですけど。ハヤねえちゃんてさ、いっつも大体そうだよね……。」


 さらにため息が深くなった。ヨウくんからの私への尊敬というものが、音を立てて削れている気がする。例えるなら、ショベルカーで土砂をガリガリやるくらいには削れている。最初出会った時は、もっとこう、大人の女性に対する照れくささとか、憧れとか……そんなきらきらした光を瞳に宿していた子だったのに。


 「そうは言ってもねヨウくん。私だって、こんなこと望んでやらせてるわけじゃ……いや望んでやらせてはいるんだけどさ。違うんだよ。こんなことしなくたって、もっとこうみんなワーーーッとやってるもんだと思っていたんだよ、こっちに越してくる前は。」


 「仕方ないでしょ。ここらも昔に比べて過疎化しちゃったらしいから。」


 「ヨウくんは難しい言葉しってるなあ……」


 褒められてもごまかされんぞ、とばかりにまだツンツンされているので、両手をあわせて降参の意を示し、見事許してもらった。お情けをちょうだいしたので、日陰まで引っ張って用意しておいた濡れタオルであちこち拭いてやる。お、耳がりんごみたいな色になった。まだまだ多少大人の色香みたいなものを私に見てくれてはいるらしい。


 「あれだっけ?ここらの小学生って、あと……三つとなりの姉妹の子と、交番近くのタカさんとこの子と……」


 「……いちばんハズレの、おばあちゃんの友達の……なんだっけ。あそこ、中二と小五の兄弟いるって。話したことないけど。」


 「あー、ヤマんとこの弟か……」


 「? ハヤねえちゃん、知ってるの?」


 む。まずい。適当に曖昧にごまかして、食べかけのチョコアイスを思い出したようにくれてやるとする。照れた。ヨシ。危ないところであった。私自身、こういう抜けたところがあるから余計に尊敬されないのだなあと自覚はしているのだが、どうしてもこう……なんとかリカバリーできてしまっているからいいかと思ってしまうのだ。その呑気さが長所だと父は言うけれど……ううん。ま、今はとりあえずいいか。うん。


 「ともかくだね。夢破れた涙に暮れる私には、こうして協力してくれるヨウくんだけが、唯一の救いというわけなんだよ。都会でさ、ひとり寂しい大人がさ、小説読みながら繰り広げた妄想の中のさ。実際には体験したことのないノスタルジーとかエモというものをさ~、味わいたいんだよぉ私は。ほら、熱中症にならないようちゃんと対策もしてるだろ!ね!スポドリもある!」


 「…………。だれかに見られたら、っていうか確実に見られてるんですけど。ご近所さんとか、散歩してるおじさんとか」


 「私がうまい言い訳考えてやるから~~!」


 「…………。」


 ぶつくさ言いながらも、なんだかんだ付き合ってくれるのが彼の良いところだと思う。最初に子供は風景として好きだなどと文句を垂れ流したけれど、こうして実際に人付き合いというものをしてみると、やはり年下の子ってかわいくて好きだなぁ、大人ぶりたいなぁ、などと気持ちが湧いてくるもので。月並みすぎる言葉ではあるが、類推と想像でのみ作られた風景と、実際に起きる事柄というものはまるで違う。


 「……ありがとうね、ヨウくん。大好きだよ~~?」


 「…………!ばっ、べつ、お小遣いもらいましたから!からかわっ、あーっ、もうっ!!」


 くすくす、気がつけば駆け出す彼を眺めて笑っている。


 ヤケクソのように網を振り回すヨウくん。のっぺりとした、青色絵の具の空。雲の浮島。慣れてしまうほどセミは鳴き続けているし、日差しはまだまだ元気いっぱい。


 それを眺めているのは、背丈と顔だけは大人みたいな、小難しい言い回しの思考でかっけこつけた、ほんのふたつだけしか彼と歳の違わない、自分。


 「うーん。この夏だけでも隠し通したとして……でも絶対そのうちバレるよなぁ、これ……。どうしよっかなー。怒られるかなーヨウくんに……」


 必死で制作中の言い訳は、「せめてちゃんと見ててくださいよ!」なんて怒鳴り声にかき消されて。思わず身をすくめながら……なんだか、こうして声をかけられるっていうのは……独りで夢想していた風景に、自分もいつのまにか混じれているような気がして。


 じゃ、ま、いいか。なんて、思ってしまうのだった。

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夢想家のひまわり 虚数クマー @kumahoooi

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