第16話 カグヤ

「というわけで、シーザー暗号は日本語だと英語よりはちょっと強いのよ」


私はここまでの話をざっくりまとめた。


「それでもパスワード17だと、弱いのよね?」


このパスワード17は解読文を示さないといけない。

解読文を見れば何文字ずらすか、すぐに分かってしまう。

日本語だと平仮名の順番は一意に定まらないけれど。

それでも予測できないことはない。

パスワード17のゲーム上ではシーザー暗号は敵に解読されてしまう。


「そうね。シーザー暗号はこのルールだと弱い。歴史上でも15世紀頃にはシーザー暗号の解読方法が発明されていくわ」

「解読方法があるのね?」

「ええ。頻度分析っていうんだけど、今回は使わないから置いておくわ。大事なのはこのシーザー暗号が弱くなったときに、新しく発明されたのがヴィジュネル暗号なの」

「おっ! そのヴィジュネル暗号がわたしたちが使うやつよね?」

「そうよ。そのヴィジュネル暗号を今から説明するわ」


というわけで、私はヴィジュネル暗号の説明をサイリにした。

シーザー暗号よりかなり複雑なのでかなり大変だった。

サイリがきちんと理解して、自力で暗号が書けるようになるまで、2時間を費やした。


「うぅ……、疲れた……」

「……私も、頭がくたくたよ……」


私もサイリも疲労困憊だった。

肉体労働はしていない。

頭を使ってペンを動かしているだけで、こんなに疲れるなんて。


「でも、これなら敵チームに見破られることはなさそうね」


サイリもそう思ってくれて良かった。

昨日、一所懸命になって文献を調べながら考えた成果ではある。


「そうでしょう。というわけで本番はこれを正確に解くことを頑張ろうね」

「了解」


流石に休むかと思って、私は冷蔵庫からアイスを取ってきた。


「サイリ、どっちを食べる?」


私は2種類のアイスからサイリに選んでもらう。

いちご味とぶどう味。


「さくらんぼ味とかないの?」

「そんな珍しい味は冷蔵庫に常備していないわよ」

「じゃあ、いちご味で」


サイリにいちご味を渡して、私はぶどう味を食べる。

冷たい甘味が舌に染みる。


「美味しいわね」

「やっぱり頭が疲れたときには甘いものよね」


そんなことを話しながらアイスを食べる。


「サイリはさくらんぼ味が好きなの?」


そういえば謎解きイベントの後もさくらんぼ味のアイスを食べていた。

「ええ。さくらんぼって特有の甘さがあるじゃない?」

「私はあんまり食べないかも」


さくらんぼはケーキやプリンにおまけとして乗っているイメージ。

さくらんぼを単体で食べようと思ったことがない。


「カグヤは好きな果物ってある?」

「りんごは好きよ」

「今度一緒にスイーツ食べ放題でも行こうよ」


それは魅力的な提案だった。


「パスワード17で勝ったご褒美にする?」

「良いね。勝利祝いにいっぱい食べたいわ」


そして同時に悪魔の提案も思いついた。


「負けたら青汁でも飲むことにする?」

「嫌だよ! なんでいわれもない罰ゲームを科されるのよ!?」

「冗談よ」


サイリは慌てふためいていた。

私だってそんなことをするつもりはない。

誰も得しない罰ゲームなんてただの自傷だ。


「優勝したら賞品ってあるの?」

「あぁ、どうなんだろ?」


要項には書いていないな。

あとでセーラさんに聞いておこう。


「本番っていつだっけ?」


そういえば大事な確認をしていなかった。


「あと10日後ね」


私はセーラさんから送られてきた要項を見て確認する。


「もうちょっと時間あるね」


私とサイリはカレンダーを見て確認する。

そして私はあることに気付いた。


「あっ、申し込み申請をしないと」


それは要項に書いてあった。

パスワード17の対戦本番の前日までに送ってほしいとのこと。


「申し込み申請って何を書くの?」

「名前と学年とチーム名だって」

「チーム名が必要なんだ?」


名前と学年はすぐ書けるけれど、チーム名は考えないと。


「何にする? 私は特にこだわりはないからサイリが決めても良いわよ」


サイリは腕を組んで考え始めた。

そして恐ろしいことを言い出した。


「わたしとカグヤがラブラブだってアピールできるチーム名が良いわよね」

「なんでそんなアピールするのよ。恥ずかしい」


私の反対意見を無視してサイリは話を続ける。


「『賢者の贈り物』ってどう?」

「何それ?」

「知らない? オー・ヘンリーの短編小説よ」


サイリは読書家だ。

いろんな物語を読むのが好きで、普段からいろんな小説の話をしてくれる。

対して私は自然科学や科学技術の解説本を読むことが多い。

簡単に言うとサイリが文系で私が理系。


「どんな話なの?」

「こんな話」


サイリはあらすじを話してくれた。


あるところに貧しい夫妻がいた。

夫は、祖父から父そして自分へと受け継いだ金の懐中時計を宝物にしていた。

妻は、膝下まで届く美しい髪を持ち、それはまた夫婦の宝物でもあった。

そんな夫婦が、お互いにクリスマスプレゼントを買うお金を稼ごうとする。

妻は、懐中時計に付けるプラチナの鎖を夫へのプレゼントとして買おうと思い立つ。

髪の毛を買い取る商人の元で宝物の髪をバッサリと切り落として売ってしまう。

一方、夫は妻が欲しがっていた綺麗な櫛をプレゼントとして買おうとする。

そのため宝物の懐中時計を質に入れてしまっていた。


妻が買ったプラチナの鎖が付くはずだった懐中時計は夫の手元にはすでに無くなってしまった。

夫が買った綺麗な櫛が留めるはずだった妻の髪もすでに無くなってしまった。

結局お互いのプレゼントは無駄になってしまった。


「なるほど」


サイリの話したあらすじを聞いて、私は可愛い話だなぁと思った。


「ここで問題です!」

「急に!?」


サイリがバラエティの司会みたいなことを言い出した。


「髪を売ってしまった妻。夫が櫛を買ってきた後に気の利いた一言を言います。それは何でしょうか?」


それは謎解きでも暗号でもなく。

人間的な情緒を問う問題だった。

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