第3話 サイリ

8月らしい暑い日だった。

暑いよ。

勘弁してくれ。


「お待たせ」


駅で待っていたところ、カグヤがやってきた。

今日は一緒に謎解きイベントに行く。


「今日も可愛いね」

「どうも」


わたしがカグヤを褒めると、カグヤは適当な返事を返した。

カグヤの今日の衣装は和風の柄シャツ。

手には日傘。

王道の夏スタイルである。


「じゃあ、行こうか」

「そうね」


わたしも日傘をさす。

二つの傘が並んで行進する。

空から見てもわたしたちは仲良し。


「それにしても暑いわね」

「黒の服は暑いでしょ」


わたしの今日の服は、黒のゴシックスタイル。

ノースリーブにアームカバーを付けている。


「フリルみたいな装飾は無いから、そんなに暑くもないわよ。普通の服と同じよ」

「そんなものかしら?」

「カグヤも着てみる? いっつも和風のシャツだから。こういう西洋のゴシックも良いと思うわよ」

「もう少し涼しくなったらね」


確かに真夏に着せ替えして遊ぶのは難しいかもしれない。

そんなことを話していると、謎解きイベントの会場にはすぐに着いた。

イベントハウスの受付でチケットを買って入場する。

クーラーの効いた場所でベンチに腰かける。


「ちょっと歩いただけでも、すごい汗かくね」


わたしはバッグから制汗スプレーを取り出す。

胸の周りにスプレーを吹きかける。

桜の香りが宙に舞う。


「良い香りね」


カグヤが興味ありげにこちらを見てくる。


「使う?」

「うん」


カグヤにスプレーを渡す。

カグヤはシャツの胸元を広げてスプレーを吹きかける。

なんだかとっても良い光景。

カグヤはすっきりして、ふぅっと息を吐いた。

そしてスプレー缶をわたしに返す。


「気持ち良いでしょ」

「ええ。香りも良いわね」

「桜の香りよ。ミントとかシトラスも人気だけど、わたしはこれが好きなの」

「私も今度買うときはこれにするわ」


カグヤはそう言って、扇子で顔を仰いでいた。

わたしもハンドファンの風を浴びていた。

周囲に客は少ない。

イベント会場自体には人が多かったのに、入場したら周囲に人は少なかった。


「人が少なくて良かったわね」

「外にはまだ人が多いわよ。別のところに行く客かしら?」

「普通ルートの謎解きは向こうだからね。そっちに行く人の方が多いんでしょ」

「ん? 普通?」

「あれ? 言ってなかったっけ? わたしたちが入場したこっちのルートは超高難度コースよ」

「……超高難度?」


カグヤはぴんと来ていないようだった。

やっぱりわたしが言い忘れていたようだ。


「普通コースだとカグヤには物足りないかと思って、こっちのコースにしたのよ」

「大丈夫なの?」

「大丈夫だって」


カグヤもわたしも頭が良いからね。

一息ついてから、イベントハウスを進む。

まず最初の扉が現れた。

扉にはQRコードが書かれている。

スマホで読み取ると、ムービーが見られるようになっている。

わたしは早速、ムービーを再生する。

わたしとカグヤの二人で顔を寄せてムービーを見る。


「ようこそいらっしゃいました。私はナビゲーターの後藤です。皆さんの謎解きをご案内します。よろしくお願いします」


ムービーの中でお姉さんが喋っている。

字幕付き。

わたしとカグヤも後藤さんに合わせてお辞儀をする。


「皆さんは今から調査員になってもらいます。調査に入るのはここ。五十音博士の家です」

「…………珍しい苗字ね」


カグヤは突っ込みを入れた。


「五十音博士は日本語の研究をしていました。そのため五十音博士の家は日本語の謎解きでいっぱいです」


家の中が謎解きでいっぱいなのは息苦しくないかな。

と、どうでも良いような感想が浮かぶ。


「五十音博士は日々謎解きをして暮らしていました。それは妻のチエさんも同じでした。子供のカギョウさんやサギョウさんも同じです。家族みんなで謎解きをして遊んでいました」


妻の名前はチエと普通なのに、子供の名前は珍しい。


「ある日、五十音博士はぱたりと亡くなってしまいました。家族は大変悲しみましたが、それより遺産のことも気になりました」


おっと。

どろどろした話かな?


「五十音博士は遺産の手掛かりを謎解きで残しました」


なんでだよって突っ込みたくなる設定だけど、謎解きイベントなら普通の設定だ。


「五十音博士の家に九つの小部屋があります。皆さんはこれから九つの小部屋から遺産の手掛かりを集めてください」


最初の指示らしい指示が出た。

九つの小部屋に行けば良いのね。


「まずは五十音博士の家の扉を開けましょう。鍵は五十音博士の妻の名前です。それでは頑張ってください」


ムービーが終わった。

スマホの画面は入力画面に切り替わる。


「五十音博士の妻の名前は?」


わたしはカグヤの顔を見る。


「覚えてる?」


五十音博士の妻の名前なんて一瞬出ただけだ。

謎解きも何も必要ない。

単に覚えているかどうか。

わたしと目があったカグヤは自信満々に答えた。


「妻の名前はチエさんよ」


カグヤはわたしのスマホを手に取って入力した。

ピンポンッと正解音がした。

画面には「先に進んでください」と表示が出る。


「ちゃんと覚えていたのね。さすがだわ」

「謎解きイベントって些細な一言一言でも気にしないといけないんじゃないの?」


カグヤはわたしに訊いてきた。

そんな四面楚歌に放り込まれたような警戒はしなくてもいいと思う。


(i) チエ

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