第13話 七度打たれど燃えぬ君
『堕ちて、唸れ——夏の
リーザが三つ、指を鳴らす。すると、たちまちリーザの指から火の
(木円盤がないから、木霊と共にちゃんと夏を呼べない……!)
リーザが肌身離さず持ち歩いていた木円盤は現在手元になく、離れた所で既に
リーザは思わず唇を噛みしめるが、何とか
「? ……何の、音だ」
もはや聴き慣れた低音の声が確かに聞こえた。シムルグだ。
リーザが目を凝らすと、
「シムルグ!」
リーザが鱗に覆われた大きな手を握って、
リーザはそんなシムルグの姿を目にして、言葉を失った。
リーザが手を握っている反対側のシムルグの半身は既に霜に覆われて、片目も開けられないほどに凍っていた。シムルグはたださえ白い顔を更に青白くさせ、か細く短い息を肩で繰り返し、明らかに衰弱している。
こんなにも苦しそうな思いをして、いつもシムルグは眠っているのか。
その事実をまざまざと突き付けられたリーザは、胸の奥で激しく熱い火花が止むことなく弾けだすのを感じた。
「……だれ、だ」
シムルグはリーザを幻でも見ているかのような遠い眼で見上げるが、すぐに我に返って息を吞み、己の手を握るリーザの手を乱暴に振り払って怒鳴り声を上げた。
「は……お、まえ……こんな所で何してる!? 早くここを離れろ、馬鹿が! 死にてぇのか!?」
「死ぬよりも……今ここで、シムルグをひとりにするのは、もっといやだ!」
リーザも負けじとシムルグに向かって大声を張り上げる。そして再び、凍っていないシムルグの手を握った。シムルグはすぐに振り払おうと藻搔くが、衰弱した身体ではリーザにさえ思うままに抗えない。
「やめ、ろ……! 只人が、俺に
「うるさい! 只人だろうが何だろうが、わたしは宮廷霜祓い!
不意に、
「この、大馬鹿が……くそ……」
いよいよ、シムルグの意識も危うくなってきたようだった。シムルグはそばにあった大きな何かに寄りかかる。リーザは霜に覆われたそれにようやく気が付いて、大きく瞳を見開いた。
「これ、さっきわたしとシムルグが寄りかかってた木……! しかも、ナナカマド!」
リーザは即座にそう思い至ると、シムルグへと寄り添い、握っているシムルグの手と共にナナカマドの木へと触れた。シムルグは既に閉じかけている片目を凝らして、リーザを見やる。もう、声を出す気力さえ残っていないようだった。
「……」
「心配しないで、シムルグ。わたしは、あなたが認めた宮廷霜祓い。だから、見ていて欲しい」
リーザは栗色の瞳を伏せて、深く息を吸い込んだ。
『
リーザの異邦の言葉と共に、リーザとシムルグの手が触れている箇所から、ナナカマドの木を覆っていた白霜がみるみるうちに溶けてゆく。
リーザは凛とした声で、狼の遠吠えの如く美しく歌い始めた。
『いざや、歌おう。いざや、詠おう。気高き玉座は眩く煌き。揺れる大地は歓喜に轟く。聡きは白く、堅きは赤く。魔を退け、魔の如く愛しき君——ローワンよ。我らは謳おう。愛しき御霊の
リーザが歌うと、リーザたちとナナカマドの木を囲むように、遥か頭上で円状の火の
リーザや植物、ナナカマドの木が発する熱によって、地表からは風が巻き起こった。その熱風によって既に身体を覆う霜が溶け切っていたシムルグは、大きく蛇の眼を見開いて、隣にいるリーザを見る。リーザはシムルグの視線に流し目で応えて、小さく微笑み、頷いた。
『常夏の魂をもつ子らよ——いざや、歌おう』
いつも、リーザの歌声は歓喜に満ち溢れていた。
『聡きは白花。落つる葉と実は血潮の音。王の鼓動に七度打たれど燃えぬ君。
最後にリーザは空いている手で、カン、と指を打ち鳴らした。すると、リーザたちを囲む円状の
リーザは気持ちよさそうに、夏の風と降り注ぐ光の欠片を受けながら微笑む。
この世のものとは思えぬほど美しい光景から、目など離せなくて。シムルグはしばらく、わななくように羽音を立てて飛び去る
◇◇◇
「手、見せろ」
一匹残らず
シムルグの手を握っていたリーザの手は所々が赤くなっており、微かに皮が
「……馬鹿。だからあれだけ、
「でも、こんなの痛くも痒くもない。砂にもなってない。やっぱりもっと上手く体温をあげることが出来たら、夏が宿るわたしの肉体には、シムルグが怖がってる冷気の毒、効かないよ」
「うるせぇ。こうして怪我する可能性はあるだろうが。……もう二度と、俺には
シムルグは恐ろしいほど静かな低い声で、吐息と共にそう零す。
「……シムルグ、教えて」
蛇の眼を伏せて、未だ肩で呼吸するシムルグをリーザは真っ直ぐ見据えて尋ねる。
「霜の中でひとり眠るのは、恐ろしいほど寒い。寒くて苦しくて、痛いほど寒くて——さみしくて、堪らない。そうでしょう?」
「……だったら、なに」
シムルグは微かに眼を開くと、ぞっとするほど冷めきった蛇の血の色で、リーザを刺した。
リーザはその視線に思いがけず息を吞むが、夏色の強い光を宿した瞳は揺らぐことなく、シムルグを見つめ返す。
「そう、だったら。わたし——」
ふと、遠くからベルーガの声が響いてきて、リーザの言葉を遮った。
シムルグはふらつきながらも立ち上がってゆるりと歩き出し、座っているリーザの細い肩をすれ違いざまに一度だけ軽く叩く。
「悪い。大人げない態度をした——お前にはまた助けられた。ありがとう。だが、もう二度とこういう真似はするな。只人はすぐ死ぬ。お前が馬鹿やって死ぬところなんざ、見たくもねぇ」
シムルグはいつもの声色でそう残すと、何事もなかったかのような足取りでベルーガのもとへと歩いて行った。
「霜祓いの応援を呼んできた! 殿下、無事か!? リーザちゃんは!?」
「俺は大事ない。ベルーガ、お前はアイツを看てやってくれ。試しの儀の結果と
「って、おい! 殿下!? ……ったく、相変わらず愛想のねぇ殿下だ」
淡々と言って、ベルーガをも通り越し、スカラ城へとまっすぐ歩いていくシムルグ。リーザはその大きくて——しかしどこか、儚くも見えるシムルグの背中を、無意識に唇を強く噛み締めてひたすら見つめていた。
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