第11話 あなただけを見つめる

 木円盤の中心部へと乗ったリーザは眼を伏せ、深く息を吸い込み、細く連ねるように吐き出した。


『舞えよ、舞え。夏色娘たちサウラ・イニン——シダーの名のもとに。つるぎの葉を持て、薔薇ばらを持て』


 リーザは木円盤の上で、トーン。トーン、と軽やかに踵を鳴らして跳ぶ。すると、音が鳴る度に木円盤から紫紅の火花が飛び散った。


『高く舞え。いざや歌おう。シダーの御霊にいらえ、猛き王にまみえる踊り子と成ろう』


 トーン、トーン。木の音が鳴る。

 辺りに散った紫紅の火花は針のような形となり、リーザの周りをぐるぐると巡りだした。リーザが跳ぶ間隔は徐々に狭まってゆき、木の音色が短く拍を刻み始める。

 リーザの周辺の草原もたちまち、ざわざわと蠢きだす。あわせて、凍てつく白霜も溶け失せた。


『待ち惚け、待ち惚け。節巡る度、涙の種は降り積もる。積もれど、積もれど。君は彼方を待ちましょう。その身を穿つつるぎよ、そよぎなさい。夢見し花よ、そよぎなさい。不滅の薔薇ばらが咲きほころうと——』


 トッ、トッ、トッ、トッ。リーザの華奢な身体が、細かく跳ねる。まるで、何処か迫り来るような。勇ましい舞を舞っているようだった。辺りの草原からは、背の高い瑞々しい植物たちが天へと向かって立ち昇っていく。

 リーザの周りを囲んで巡る紫紅の火針が音に合わせて密集してゆき——まるで、大輪の薔薇の如く咲き誇る。同時にリーザは力強く、カン! と踵を打ち鳴らした。


『君は彼方を待ちましょう』


 大輪の薔薇が、パンっと散った。辺りに生い茂った植物たちも花を咲きほこらせ、その身を歓喜で震わせる。

 大量の霜蟲しもむしたちは羽音を轟かせて、八方へと飛び去り。一頭だけでなく、集団となって固まって眠っていた全ての駆蛇くじゃの姿が露わとなって、駆蛇くじゃたちはゆっくりと頭を空に向かってもたげた。


「フ——……」


 リーザは深く慎重に息を吐き出し切って、ようやく栗色の瞳を瞬かせた。

 それに重なるように、背後からベルーガの感嘆の声と拍手が上がる。


「おい……おいおいおい! すげーな、リーザちゃん! 一頭どころか、集団の駆蛇くじゃ全部を目覚めさせちまうなんて! 初めて見たぜ、おい!」


 ベルーガは子供のようなキラキラとした眼で、リーザのもとへと駆け寄ってきた。少し遅れてシムルグもやってくると、リーザへと短く頷いて見せる。


「ご苦労。……試しの儀は合格だ。これでお前は、正真正銘の宮廷霜祓い。よくやった」

「! ……うん! よかった、やったぁ……!」


 リーザはシムルグの言葉で、心底ほっとしたように顔を綻ばせながら木円盤を抱える。一方ベルーガは、未だ無邪気に蛇の眼を輝かせたまま、リーザへと矢継ぎ早に尋ねた。


「つーか、何だ今の術は!? 歌と舞踊を使ってるみたいだったけど……あれが異大陸の〝魔法〟ってヤツ? それにずっと気になってたが、その円盤は? 色々と詳しく聴きてぇ!」

「あ、わたしの夏呼びは……〝歌術かじゅつ〟って言って。呪術と似てるもの。わたしの声や音に、わたしの中にいる夏の精霊の力を乗せて、近くにいる木霊や草花の魂に呼びかけるの、です。『手伝ってほしい』って。そして、木や草花たちの身体や魂の熱も交えて、夏を呼ぶんだ。……あと、この円盤は色んな種類の木を組み合わせて作ってて。たくさんの木霊が、宿ってる」


 リーザは拙い言葉ながらも、ベルーガの問いに答える。ベルーガは興味深そうに何度も頷いて聴き入り、シムルグもへぇ、と小さく声を漏らした。


「呪術か。それにしてもよく、そんなものを容易に扱えるようになったな。師でもいんのか?」

「えっと。わたし、もともと呪術師一族の生まれだから……生きてたら、勝手に身についてた。でも、その一族は古くから〝太陽を憎む〟習わしがあって。太陽の力が一番強くなる夏を呼べるわたしは、〝悪いもの〟だったんだ」

「!」


 シムルグはリーザの言葉に目を丸くする。そういえば、リーザの口からリーザ自身についての話はあまり聞いたことがなかった。つい先ほど聞いた「わたしも、よくバケモノって言われてた。だから、シムルグの気持ち。ちょっとだけ、わかる」というリーザの言葉が頭を過る。

 リーザはどこか遠い眼をして、静かに語る。


「それにわたしの一族はね、金髪金目が当たり前なんだ。なのにわたしの眼は、全然違うけがれた色で。わたしはとっても醜い、夏のバケモノなんだって。みんな言うの。こんなにも〝悪いもの〟のクセに、なんで産まれてきたんだって。だからわたし、どうして醜くて〝悪いもの〟なわたしが産まれてきたのか、知りたいんだ」


 そこまで語り終えてリーザは、はっと我に返った。

 つい、今までひた隠しにしてきた本音の一部が零れ出てしまった。こんなに汚い自分の心なんて、誰も耳にしたくはないだろうに。

 リーザは慌てて、静かにこちらを見つめているシムルグとベルーガに頭を下げた。


「あ、う、ごめんなさい! 変なこと、喋っちゃった。本当にわたしはダメで、悪いなぁ……」

「悪くはねぇだろ」


 シムルグの低い声が降ってきた。リーザはその声に誘われるかのように顔を上げて、シムルグを見る。


「お前の金色の髪と栗色の眼——向日葵に、よく似てる」


 向日葵。それはまさしく、〝太陽の花〟とも呼ばれる夏の象徴。

 リーザは思いがけず大きく栗色の瞳を見開いて、シムルグの蛇の眼をひたすらに見つめる。シムルグはそんなリーザの瞳を真っ直ぐに見つめ返しながら、変わらぬ声色で淡々と言葉を紡いだ。


「向日葵は、俺が一番すきな花だ。だから、お前の髪色も瞳の色も、悪くねぇと思う。むしろ、夏を呼ぶことができるお前にこそ相応しい色だとも思うがな。だから、夏が恵みであり、向日葵がすきな俺にとってお前は、悪くねぇ」


 シムルグの声と言葉と蛇の眼が、心の臓にそのままずぶりと。深く、深く突き刺さった気がした。

 そんなことを思ったのと同時に、心の臓が今までに感じたことないほど暴れ回り、全身に勢いよく血が巡り渡って、沸騰したように熱くなる。醜い両の眼からも、熱い水が堰を切ったが如く溢れ出した。

 リーザは思いがけず、両手で顔を覆い隠してその場に蹲る。

 何なのだろう。この、感情は。

 熱くて、痛くて、激しくて、苦しくて——ひどく、心地好い。


「は? おい、なんだ。また泣いてんのか?」


 震える身体もそのままで蹲ってしまったリーザの傍に、シムルグも同じく屈みこむ。シムルグの低くて、落ち着く声がすぐ近くで聴こえる。

 醜く悪いわたしに、美しいあなたは近づかないで欲しい。

 しかしもっと——もっと、近づいても欲しい。

 リーザの中で、形容しがたい激情が渦巻く。


「……あーあーあー! もう! ほんっと、この殿下ヒトは……! どんだけ悪質な人誑し王子なんだよ!?」


 シムルグとリーザの二人をしばらく呆然と眺めていたベルーガは呆れたように溜め息を吐き出すと、自分よりも大きなシムルグの身体を押しのけてリーザの丸まった背を擦る。


「リーザちゃん、ごめんな。悪いこと聞いて——んで、試しの儀も無事終わったことだし。ちょいと休もうか。な?」

「……は、い……ご、ごめんなさ」

「リーザちゃんが謝る必要は全くもってねぇから。ほら、立てるかい?」


 リーザはベルーガに支えられながら立ち上がり、そばにあった木の下へと腰掛ける。ベルーガはシムルグのもとへと戻ってくると、未だ不思議そうに首を傾げているシムルグを半眼で見て、大袈裟に溜め息を吐いて見せた。


「はあー……じゃ、俺は目覚めた駆蛇くじゃたちを移動させてくるから。殿下はリーザちゃんをくれぐれも頼むぜ?」

「泣いてる小娘を、俺がか」

「旦那のアンタしかおらんだろうが!」


 ベルーガの叱咤に「わかった。……何とかしてみる」と頷いたシムルグは、リーザのもとへと足を向ける。遠ざかってゆくシムルグの大きな背中を見送って。ベルーガは軽く頭を抱えながら独り言ちた。


「人に言えたことじゃねぇが。オンナ泣かせも大概にな……殿下」

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