君と出逢った日(6)

 少年は薄暗い屋敷の中を薄汚れた窓から覗き込む。


 常ノ梅と女子二人は松原の猫に夢中で、新井はその光景をつまらそうに見ていた。日向たちを案内していたときとは違って、常ノ梅がこの場にいることがよほど気に食わないのかずっと不機嫌そうな顔をしている。足元の小石を蹴り、屋敷の中を窺いながら窓や扉に手をかけては、固く閉ざされているのを確認して「くそっ」と悪態をついていた。


 あいつの目論みも台無しだな。


 ふっと口端が上がる。


 庭への出入り口の為のガラス張りの扉。新井のようにドアノブに手をかけてみるが、やはり開きはしない。


 ガラス部分に顔を寄せて、もう一度屋敷の中を覗く。


 吊り下がった影がある。


 風もないのにその影は、ぶらり、ぶらりと——




「うわっ!?」


 突然の叫び声に、猫と戯れていた修治たちは屋敷の方にいる古河を見た。


 見開いた目でガラス張りの扉の方を凝視して、口は魚のように空気を食む。


 日向と夢原が首を傾げる。


「古河くん?」


「ちょっと、悪ふざけならやめてよ」


「今、人が……」


 精悍な顔がみるみると真っ青に。


「どうしたの古河君」


 常ノ梅が問いかけて、古河は呆然とした顔で振り向いた。


「人影が見えた」


「うん」


「浮いてたんだ」


「え、幽霊ってこと!?」


 日向の声に驚いて、彼女の手に甘えていたククが修治の後ろに走って隠れる。


 修治はしゃがんで、両脇にいるリンとシャオリンの頭を撫でた。


 二匹は耳を立てて喉を鳴らす。


 アリスは我関せずという感じで顔を洗っていた。


 なんだか、雲行きがらしくなってきたな。


 修治はちらっと隣を見上げる。常ノ梅は静かに古河を見ていた。


 古河は頭に付いた何かを払うように首を振る。


「紐が見えた。あれは……ぶら下がってたんだと思う……」


 修治はガラス張りの扉に近づき、手をあてて中を覗き込んだ。


 残り僅かな夕明りでうっすらと手前の輪郭を捉えるのがやっと。ところどころ穴の空いた荒れた床と、少し広めの空間に階段があるのはわかる。人影に見間違えそうな物やぶら下がっていたというナニかは見えない。


 隣で新井が同じように覗いているが、見える物は修治と変わらないだろう。


 新井は肩透かしを食らった顔で扉を蹴った。


「なんだよ。何もねぇじゃん」


 何か金属が動いたような小さな音がした。それまで無言を貫いてた古びた扉が、キィと鳴いて僅かな隙間を生む。


「お、いた」


 新井は隙間に手を差し込み、扉を引いて入り口を広げる。どうやって、という古河の呟きは届かなかったのか、振り返ることなく意気揚々と踏み入る。


「だ、ダメだよ新井くん!」


 慌てた日向が修治の横を通り過ぎていく。


 修治は足元に落ちている財布を見つけた。扉の外にいるまま手を伸ばし、角の擦れや表面の傷など、使い込まれた感じの財布を拾い上げ、すぐ後ろまで来ていた常ノ梅に渡す。


 少し考えるように財布を見つめてから、常ノ梅は中身を改め、男の顔写真が入った免許証を見つけた。


 一方で、奥に進もうとしている新井を日向と夢原が腕を掴んで引き止めている。古河は外で立ち尽くしたまま。


 常ノ梅が口を開いたとき、声が聞こえた。


 彼の声ではない。


 この場にいる誰のものでもない。


 体が強張り、耳を澄ませる。


 ——誰か、いるのぉ


 上階から、天井や壁に遮られているせいか聞こえづらいが、女性らしきもの。


 ——たすけてぇ


 修治は急に寒気を感じた。


 表情から穏やかさを消した常ノ梅はスマホを手にした。しかし画面を見るなり、何もせずポケットに戻してしまう。


 修治は己のスマホを取り出した。


 圏外。


 日向も自分のスマホを見て目を丸める。


「うそ、さっきまで使えてたのに」


「松原君のも?」


「ん」


 常ノ梅の問いかけに頷いて、修治はスマホをポケットにしまう。


「警察は呼べそうにないか——万が一ということもあるし、僕ちょっと確認してくるから、みんなはここで待ってて」


「待って常ノ梅くん、一人じゃ危ないよ。私も——」


「ううん。ここで待っていて。もし二十分しても戻って来なかったら、スマホが使える場所まで戻って警察への連絡を頼むよ」


 そして常ノ梅は扉の下枠を超えた。


 修治たちは常ノ梅が階段を上がって行くのを見送った。


 窓を叩く小音に夢原が「雨?」と呟く。


「ほんとだ。古河くん、松原くん、大丈夫だから入りなよ。そこにいると濡れちゃうよ」


「あ、ああ……」


 戸惑いを塗りつぶすように迷いない足取りで、古河は修治の横を通って先に入った。


 結局、全員が屋敷に入ってしまった。


 どこからか来た唐突な雨。


 舞台がどんどん整っていく。まるで何かにいざなわれたように。


 これは、当たり﹅﹅﹅なんじゃないか。


 少しの期待を胸に抱き、足元を囲む四匹の猫と共に修治は一歩進む。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る