メッケルのピアノ

 王城下町も盛り上がっている。ただその盛り上がりは、ヘロウデ王の生まれた日を祝うためではなく、祭だからという理由であった。

 酒を飲めるならなんでもいい町人と、酒を売れるならなんでもいい商人たちで溢れる街が忠誠を誓うのは、もしかしたら酒と金だけなのかもしれない。彼らの酒臭い口からは、酒場の女を口説く言葉と、人気も落ちて久しいこの国の王への文句ばかりが聞こえる。

 カイゼル髭を蓄えた老紳士、とはいえ高級そうなスーツは袖の部分がボロボロになっているその人は、場末の酒場でビールを飲みながら王への侮辱の言葉を放っていた。彼はヨルバーネ派として強引に追放された学者の一人であった。このようなタイプの人物は城下に溢れるほど居る。ときにうとまれ、ときに哀れまれ、ときに尊敬されたこの没落インテリたちは、城下に反王政の空気をうっすらと吹き込んでいた。


 とにかく、城下には白と赤の灯りと、うっすらとした革命の炎、それの燃料ともなる酒と金が、奇妙な色に混ざって空気の中に見えないように溶け込んでいる。

 そんなことはつゆ知らず――いや誰もが知らないだが、王城内は喧騒に、これもまた酒の匂いが強い喧騒が広がっていた。

「王、次の催し物はなにになさいますか?」

 若い兵士がたずねる。

「次は音楽だ! メッケル! ピアノを弾け!」


 王の野太い声が宴会場に響く。メッケルとは、王の腹心で、悪役にありがちな宰相さいしょうというものをしているが、野心が強かったり無能だったりするわけではない。彼は財政改革に熱心で、徴税人の横領を取り締まるため、帳簿の作成を義務付け、実際に横領を減らすことに成功している。数年前に行い国民に歓迎された宮廷内の帳簿開示も、彼の提案した施策である。ただ国民の誰一人としてその功績を知らない。さらに彼はどちらかというと忠臣ちゅうしんたぐいで、学識は高いが決しておごらず、私欲というものもあまりないという。誰にでもやさしいという美徳さえ持っている。悪いところがないような好人物であった。

 ただ一つ悪いところを挙げるとするならば、外見である。頭頂部にはハゲが広がり、背は低く、やせ細っている。王より一つ下の四十一歳で、まだ若いはずなのに、王の隣にいると六十代の老人に、しかも典型的な小悪党のような老人にしか見えない。


 外見ゆえに――外見のせいだけではないかもしれないが、メッケルは多少の嘲笑を受ける。重宝してくれているはずの王にさえ多少軽んじられているのは矛盾じみているが、そんな王にも忠臣であるメッケルもやはり矛盾じみている。

 メッケルはとたとたとピアノに駆け寄る。席についただけで少しの笑いがおきるが、彼のピアノの音色は外見の笑いを感嘆に変える程度の力があった。宴会らしく鍵盤けんばんを叩く手を躍らせながら奏でた曲に、皆が気分を良くしている。調理場にさえ楽しげなムードが流れた。酒が一つ上質な味わいになった気さえする。宴会場の中央にある大窓から見える二つの月も、微笑んでいるようだ。


――――


 メッケルのピアノが最後の音を奏で終わると、皆は口笛を吹き拍手をしていた。一番大きな音で手を叩く主賓しゅひん、王ヘロウデはしきりに素晴らしいというメッケルへの賛辞と、楽しいというこの場への感想を口にしている。

 しかしいくら素晴らしい音でも、地下牢ではこもった音の一つにしかならないし、城下町には音色自体が届くこともない。まだまだ宴は続いている……

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