踊り子

笠井 野里

預言者ヨルバーネ

 ハドリアという国の王城では、王ヘロウデの誕生祭が行なわれていた。城下町も城も白と赤の灯りがきらめいて、空気さえ光っているような騒ぎだった。広間には王侯貴族おうこうきぞくが集まり、宴が開かれた。二つの月が真上にまで昇った頃には、皆愉快な面持ちで歌さえ歌っていた。宮廷料理人は汗水垂らして、この日の豪華なテーブルを支える。城は踊るような慌しさと騒がしさで動いていた。


 しかし、そんな城にも一つ、石のように澄みきった静寂せいじゃくの場があった。薄暗い部屋には一人の男がへたり込んでいる。彼はもう何日も飯を食べていないのが、骨のような肉付きからわかった。

 その男はヨルバーネという名で、ヘロウデによって捕らえられ、王城の地下にある独房に閉じ込められた咎人とがびとであった。ヨルバーネは、自らを「導くもの」と言い、ハドリアにはない教えを旅の中で伝え歩いた預言者よげんしゃであった。彼はその信奉者から、異世界の者としてもあがめられた。彼の伝える教えが、パンディア大陸のどの国の教えからもかけ離れたものであったからだ。さらに、ヨルバーネは度々奇跡を起こして見せた。彼は五千人の民衆に、パンとワインを分け与え、飢えに苦しむ民を救った。さらにはぺデア村で流行した肌が真っ黒になって死ぬ灰病はいのやまいを収めた。ハドリアの疫病学会がさじを投げ、灰病の流行を防ぐために村を焼き払う決断がされていたぺデア村だが、村を焼きに来た軍と医学者の一団は、病人一人さえいないぺデア村を眼前に見たのだ。村人たちは皆、ヨルバーネの名を称え、その奇跡を興奮状態で語った。


 このような形で名を連ねていったヨルバーネは、王ヘロウデによって保護され、重宝されるようになったのだ。元々、王ヘロウデは国教改革を断行しようと画策していたため、ヨルバーネの登場は、金権と世俗に支配された国教会を非難するのにうってつけだった。

 ヨルバーネは、国教改革の指導者として王国内で権力を得た。弱冠じゃっかん二十五にして権力の座につき、改革者、預言者、異世界者などさまざまなあだ名を持ったヨルバーネは、国民に圧倒的カリスマとして映った。その人気は王ヘロウデ以上となり、とくに農民と学者は彼を支持した。啓蒙主義けいもうしゅぎ思想と、民主主義思想はこれらの人種にウケが良かったのは当然だが、起こした奇跡の神秘性の影響のほうが多いのかもしれない。

 しかし王は次第にヨルバーネを疎んじるようになった。彼の急進的改革は王政をぐらつかせる危険があった。彼の思想が貴族ウケをしないのもまた当然だった。

 そんな緊張状態のとき、ヨルバーネは王ヘロウデが死んだ兄弟の妻と結婚していることを非難した。これを王は侮辱と取って、彼を罪人とし、地下牢へ閉じ込めた。国内はカリスマの唐突な罷免ひめんと投獄をよしとするほど王にやさしくはなかった。国内には王政打倒の気配さえ漂い、隣国のプラシアは舌なめずりをしながらハドリアの様子を伺っていた。


 そうして半年が経ち、このヘロウデの誕生祭が開かれている。ヨルバーネがいる地下牢の天井からは、かすかに騒ぎの音が漏れていた。彼は半年前の自分の権力を懐かしんだ。その権力の座の空想はすぐに、彼の空腹によってかき消された。彼の頭の中には、今上で食べられているだろう料理のことばかりが浮かんだ。腹の音が静かな部屋に響くと、髭の生えた背の低い中年の看守が低い声で言った。

「パンとワインを生み出したんじゃなかったか?」

 地下牢の囚人ヨルバーネは彼の嘲笑になんの反応もする気力が残って居なかった。

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