第4話 旅する古時計
時計屋のミミは市場で一番安い名前の知らない魚を毎日食べていた。
時計屋を生業としているが、自分の腕が良いおかげで収入は減るばかり、修理の依頼も週に一度来るかどうか。十字の木枠にガラスがはめられた店のドアの鍵を開け、表の「寝てます」の看板を「起きてます」に変えて店の中に戻った。申し訳程度のエプロンを付け、カウンターの裏に座り、道具を並べる。
カチカチと時間を刻む音に包まれながらうつらうつらと仕事道具を隅々までピカピカに磨き、満足そうに眺め、工具箱に戻した。
両腕をカウンターに立てて顔を乗せると、静かな店の中にミミの鼻歌が流れ始める。
鼻歌を歌いながら店内を見渡していると、床に転がった埃が目に入り、仕方なく根っこが生え始めていた腰を上げた。カウンター裏の倉庫から箒と塵取りを取り出し、小さな店内の床をなるべくゆっくり時間をかけて掃除する。塵取りで集めた埃をごみ箱に捨て、カウンターに戻った。丸椅子に座り、意味もなく高さ調節のノブをいじり、それに飽きたらカウンターに肘をついて窓の外を歩く人を数え始めた。だんだんと首が前後に揺れ始め、あっという間にミミはカウンターに突っ伏して眠りについた。
申し訳なさそうな女性の声が聞こえ、閉じようとする目を無理やりこじ開けると、ぼやけた視界の中に人が一人見えた。客が来たと反射的に気づき、口から垂れていたよだれを袖で拭って体を起こして前を向くと、そこにはいつものあいつが居た。
あいつと言ってもそれは人間ではない。カウンター越しに立っている黄色のワンピースを身に着け、つやつやの黒髪を後ろで結んだ若そうな女性ではなく、彼女が抱えているおんぼろな時計だ。つやの無い真っ黒な表面、文字盤は数字は無く線のみ、微妙に反っている秒針は他の金色の針と違って目に刺さるようなピンク、間違いなくあいつだった。
ミミは時計屋を始めた頃にこの時計に出会った。その見た目に一目惚れをして行商人からそれはそれは高い値段で買ったが、見た目がいいだけで中身は壊れていた。ミミは未熟だったが時計に関しては誰よりも燃えるような感情を持ち合わせていた。そして、何日もかけてミミはこの時計を直し、店に入ってすぐ目に入る場所に飾った。変な見た目だが数日でその時計が売れた。自慢の子供が旅立ったと考え、うれしい反面少しだけ寂しく思っていた。それから数年後、驚く事にこの時計は持ち主を変えて修理されに戻ってきた。その時の持ち主は、ほかの所では構造が複雑すぎて無理だと言われたが、やっと直してもらえて嬉しいと言って、時計を連れて店を出て行った。帰って来る度に、次はいつ帰って来るかなと考えるようになっていて、修理して送り出す度に寂しい気分になっていた。そして、数十年以上経った今でもこの時計は時折ミミの元に帰ってくる。持ち主を変えて旅をして、中身を見れば何があったのか教えてくれる。
ミミは慣れた手つきで故障の原因を直し女性に渡すと、彼女は大喜びで帰っていった。あの古い時計の何に魅力があってあんな若い人が買うんだろうかとミミは思いながら、時計が去って静かになった店のカウンターでまた転寝をするのだった。
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