第2話 捌き方



「んっ、硬い、全然切れる気がしない」


そう言ってハルは、慣れない作業で染み出てきた額の汗を拭いた。


「ハル、違うよ、ちょっと貸してみて」


いつの間にか後ろに立っていたアキがハルの肩を叩いた。


「はい」


「いい?こうやって関節に包丁を入れれば…」


アキは受け取った包丁を頭の付け根にざくりと刺し、刃の背をもう片方の手で押した。


無理に押し切ったため、頭はテーブルから落ちた。


「すごいすごい!アキなんで知ってるの?」


ハルはキャッキャとはしゃぎ、下に落ちた頭を拾ってテーブルの上に乗せた。


「前に二人で図書館に行ったとき、ハルが寝てて暇だったから魚の捌き方の本を見てたの。それを覚えてて、やってみたらできた」


アキは微かに笑いながら、頭を指で突っつくハルの背中を撫でた。


「アキ!もうたべられる?」


ハルは今にも食いついてしまいそうなほど、お腹を空かせていた。


「まだだよ、お腹の中の内臓と、あと火も通さないと」


「そうなんだ…」


アキの言葉にハルは少ししょんぼりとした。


「確かこの辺りから…」


アキはお腹に包丁を刺しこみ、サクサクと開いていった。


「これが内臓か…」


アキは内臓を摘まみ上げ、少しだけ匂いを嗅ぎ、額にしわを寄せた。


「これも食べれるの?」


「食べれないこともないって本には書いてあったけど、食べれそうな匂いはしないかな」


「そうなの?」


「うん、だから念のためやめておこう」


内臓をずるずると引き出し、切り取ってテーブルの上に置いた。


「…」


さっきまで好調だったアキの手が止まった。


「どうしたのアキ?」


「いや、形が本で見たのと違うから、どうやって三枚おろしをしようかなって…」


「さんまいおろし?」


「うん、思っていたより背骨の付け根が太くて、私の力じゃ切れなさそう」


「頭といっしょで、関節にいれてガンってやればいいんじゃないの?」


「やりたいけど、怪我しちゃうかも」


震える手で包丁を握ったままアキは悩んだ。


すると、ハルが「じゃあさ!」と言ってアキから包丁を取り上げた。


「食べる分だけ切って、残りは冷蔵庫に入れちゃえばいいんじゃない?」


「そうだね」


二人は食べる分だけ切り取り、残りは冷蔵庫の中に詰め込んだ。


「焼く?」


「焼くより、煮た方が味が濃いから食べやすいかもしれない」


「そうなの?」


「うん」


台所にアキが立ち、その横で踏み台を使ってハルが作業を見ていた。


「調味料ってどれ入れればいいんだろう?」


「サバの味噌煮ってあるから、味噌入れればいいんじゃない?」


「そうだね」


アキは、冷蔵庫から味噌を取り出し、容器の中からスプーンで半分ほど入れ、鍋の中の沸騰した水に溶かした。


「いい匂いだね」


鍋を混ぜるアキの横で機嫌がいいハルは踏み台の上でぴょんぴょんと小さく跳ねていた。


「危ないよ」


「だいじょ…」


そうハルが言いかけた瞬間、踏み台の足が折れ、ハルは後ろに倒れた。


「ハル!」


倒れてうずくまるハルに、アキは駆け寄った。


鍋を混ぜるのに使っていた木べらが床に落ち、静かな家の中にカーンと音が響いた。


「ハル!大丈夫?」


「うぅ、大丈夫、痛いけど私泣かないよ」


「……、もう泣いても怒られないからね…」


アキは頭から血を流すハルを抱きしめた。


アキは鍋を弱火にして、リビングから包帯と消毒液をもってハルの元に戻ってきた。


「染みるよ」


キッチンペーパーに消毒液を染み込ませ、頭の傷に当てた。


「だいじょう、ぶぅぅ…」


ハルのやせ我慢をする顔を見てアキは笑った。


不格好に包帯を巻きつけていると、気が付けば料理が煮込み終わっていた。


「ハル、お皿」


「はーい」


ふらふらと歩きながらハルは二枚のどんぶりを持ってきた。


アキはそれを受け取り、料理をよそった。


どんぶりを両手に持ち、二人で軍隊のように列になって歩き、リビングのテーブルに座った。


「アキ、食べてもいい?」


「ちゃんといただきますしてからね」


「うん!いただきます!」


ハルはがつがつとスプーンで料理を食べ始めた。


その様子を見て、アキは微笑み、自分も口を付け始めた。


「んぐんぐ、ん!ハル?これちょっとしょっぱすぎない?」


「そう?」


ハルはお構いなしに黙々と食べ続けた。


「うん、それに、なんだかちょっと酸っぱい」


「うーん、確かにそれはわかるかも」


「だよね」


「でもおいしい!」


そう言って、ハルは顔を上げてアキに笑った。


その顔には、たくさん料理が付いていた。


「ハル、少し止まって」


「んっ」


アキはティッシュでその顔についた汚れを拭き取った。


「よし、いいよ」


アキがそう言うと、ハルはまた料理を食べ始めた。


アキも続いて料理を口に運んだ。ゆっくりと咀嚼し、なるべく栄養が吸収できるように奥歯ですりつぶした。


もちゃもちゃと口を動かしながらアキはテレビ台の下に横たわる母の死体を見た。


「お母さんも腐る前に捌かなきゃね」


ハルは料理に夢中で聞こえていないようだった。

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