8月4日 印象に残らない夢も、記憶には残っている

 夢を覚えていられるのは起きてから数分で、よほど印象に残る夢でないと覚えていられないというのは常識としてあるかと思います。しかし、記憶したことは絶対に忘れません。思いだせないだけです。これはとある映画のおばあちゃんキャラのセリフなのですが、この企画(?)を始めて「そう言えばこんな夢があったなぁ」と思う夢をどんどん思いだしたのです。あまりにも多いので、思いだせているうちに断片だけでも仕事中にメモっています。今回は、こんなしょーもない夢も忘れていなかった人間の脳に感動した。そんな感じの話です。こうやってたまに夢の話ではなく夢とはなんぞやということについて語る回もこれからあると思います。


 完全に十割思いだせることはありません。しかし、いくらかは思いだすことができます。それだけで物語の本体は作ることができます。そしてできあがった物こそ、私がその当時見た夢の全容なのだと思います。例えば起きたばかりのときに急いで夢日記を書こうとしてもそんな暇すらない日もあると思います。寝坊した日とか。そんな日に夢日記を完成させる方法としてはとても有効なのがこの肉付け行為だと確信しています。

 起きたばかりに夢日記を書くデメリットから考えると、この方法はかなり有効です。しかし、ある程度メリットが少なくなるため節度を持って使うことが大事です。夢日記のデメリットとして一番有名なのが、現実の生活に支障を来たすことだと思います。どういうことなのかと言うと、夢日記を書くと、その夢がもう一つの世界として存在することになりますよね。そうすると、続けていくうちに夢の世界もまた現実なのだと認識してしまうようで、それが原因で本当の意味での現実世界で横暴な振る舞いをしてしまう可能性が高まるのです。そもそも夢を見てる途中で起きている時点で睡眠の質的にはあまり良くなく日中の活動に弊害がでるだけでなく、本当は現実世界なのに、夢の世界ならばとヤケクソな動きをしてしまうのです。そのデメリットも、先のを使えば、日中の活動に多少の弊害は出ますが、冷静になって二つの世界が違うことを分析できるため、夢は夢、現実は現実で楽しむことができます(え? 現実はそもそも楽しくない? …【人生 楽しみ方】とかで検索することをオススメします)。逆に失ってしまうメリットとしては、これはデメリットと表裏一体なところではありますが、夢への没入感は当然減ります。当たり前ですよね。夢を夢としてわきまえているのですから、夢の世界に夢中にはなれません。そうなると、本当に見た夢とはまた違う展開になります。それがどうしても許せなく、そして現実リアルでの生活に支障がでても問題ない暮らしをしている方なら全然夢日記を書くのはありだと思います。しかし、せっかく断片だけでも覚えてくれる優秀な脳という臓器を持って生まれてくるのですから、その脳は夢を見ることだけでなく、夢の世界を彩ることにも使いたいですよね。

 これは完全に個人的な意見になるのですが、とあるゲームで夢日記を題材にしたゲームが存在します。話していくうちに当てられるとは思うので、そのゲームについて少し語りますが、その語りを見た後でも夢日記をそっくりそのまま物語にしたいならそれで全然良いです。

 それは、開発スタッフの一人が十年間書き続けた夢日記から作り上げたゲームだそうで、私はアレを初めて見たときにあまりの衝撃に己の作品観が大きく変わりました。奇才(天才と言っても差し支えない)たちによって支えられたゲームであり、BGMはもちろんのこと、目的がないゲーム性、意味不明なムービー、現実では存在し得ない意味不明な世界の数々、そしてプレイヤーと同じく夢の中をさすらうNPCたち。世界は日付が進むにつれておかしくなっていき、三六五日目(一年)を迎えたときに、エンディングムービーが流れ、再び一日目からスタート……開発に携わった人が全員奇才だったのはありますが、大元となった夢日記を十年間書き続けた開発スタッフが一番作品に影響を与えているのは間違いないです。そしてそれをゲームとして具現化すると上記のような内容になるのです。

 じゃあそのゲームが嫌いかと言うと、私の作品を読む、見る、プレイするときの物の評価基準を大きく変えた神ゲーと言わざるを得ないです。しかし、残念ながらそのゲームを作った開発スタッフの代表が作品同様人間性も素晴らしいかと言うと、そんなことはなく、むしろちょっと傲慢に感じる方もいるかなと思うくらいの動きをしています。まあ彼はその夢日記書いたスタッフではないので同じにするのはおかしいですが、このように人間性が良くない人間になる可能性が高いです。正当な怒りも当然あるのですが、不用意に相手を煽ったり、常に上から目線というところはあります。そんな人間になりたいかどうかという話です。

 これ以上行くと多くの作家をコケにする話になるので話を本筋に戻します。とにかく人の脳というのは夢を見る能力があれば、その夢を作品に昇華する能力もあります。脳の使い方は自由です。当然臓器なので、こうなってくれとか、あいつが嫌いだからなんとかしてくれという相談はあまり受け付けてくれません。しかし、思考に縛りはありません。仮に丸は三角であるという洗脳教育を受けたとしても、丸は丸だろと考えられるのです。それを考えられないようにする国ではない…と断言するのは難しいですが、なんにせよ脳は万能です。

 夢を見るメカニズムとして、レム睡眠とノンレム睡眠という物があります。簡単に言えば、九十分おきに切り替わる二つの睡眠で、レム睡眠が夢を見ている時間、ノンレム睡眠が夢すら見ないくらい休んでいる時間というのが今の定説です。そして、レム睡眠のときに起きると夢を覚えているということです。夢が支離滅裂荒唐無稽な理由は、簡単に言えば脳内のデータを整理整頓してるからです。タンスが埋まってきたら、中の物を狭く収めて、新しく物を入れると思うのですが、脳も同じで、新たな知識を得たらそれを置いておく場所を作るためにスペースを作る目的で脳内のデータを移動させるのです。この移動の際にそれが夢の世界に具現化するということです。これは知っている方が多いかと思われます。

 当然知識が入る機会がとても多い子ども時代はよく夢を見るのは間違いないですが、仮に新たな知識があまり入らなくなった大人になったとしても夢は見ます。脳の機能が全盛期から衰えるとともに、情報を圧縮する必要が出てくるのです。それなりに聞く話としては、戦争経験者の老人が寝言(ここでは寝言を言う=夢を見ているとします)で戦争関連の言葉(撃て! 伏せろ! など)を言うことでしょうか。

 なので、夢日記、ひいては夢十夜を作ることは何歳からでも可能です。しかし、やはり若い頃からその力をやしなっているとよりそれがやりやすくなります。しかし、やりすぎると人間性が崩壊しておかしい人として扱われます。なので、なんでもそうですが、節度を持ってやることが大切です。

 思考というのは万能で便利です。しかし、使い方には気をつけなくてはなりません。これが、夢日記を小学校四年生から社会人になるまで夢日記を書き続けたことでおかしい人扱いされるようになった私からの忠告です。皆さんは私みたいにならないように、これを反面教師にして、適度に楽しみましょう

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