第35話 集合知と地中の星
下段から切り上げる一閃がボス・エネミーに対して襲い掛かる。
「……ぃひいっ!」
取り繕う暇の無い素っ頓狂な悲鳴を上げながらボス・エネミー『騒麗霊嬢アンジェアリーナ』は炎の剣の斬撃をバックステップで躱す。
が、剣を振り上げ切ったオリザはそのままの姿勢のまま手首を捻り、足で地面を蹴ること無く前進した。背面に発生させた爆発魔法で無理矢理前方へ飛び、そのまま切り掛かったのだ。
生身では有り得ない無理矢理な追撃だがアンジェアリーナは冷静にオリザの動きを見据えており、振り下ろされる炎の剣に対してゆらりと自分の掌を向ける。
途端、弾けるような音が響き、飛翔して来たオリザの身体は背面に飛ばされる。
アンジェアリーナから数メートル離れた場所まで飛ばされたが難無く着地し、何が起こったか確認するように松明の柄を両手で握り直したオリザは、またボス・エネミーを見据え、地面を蹴って切り掛かった。
しかし斬撃が当たる前にアンジェアリーナは先程と同じように襲い掛かる炎の刀身、の根元の松明の部分に手をかざし、オリザの一太刀を弾き飛ばす。どうやら、松明の部分に非常に強力な衝撃波をぶつけて、炎の刀身が当たる前に剣を根元から弾き飛ばしているらしい。
しかし、オリザは異常なほど素早い身のこなしでまた態勢を整え、すぐさま追撃をする。それもすかさずアンジェアリーナに弾かれ、様々な角度から打ち据えられるオリザの斬撃を衝撃波の魔法で防ぎ続ける鍔迫り合いの様相を呈してきた。
「シールド魔法で防いでくれてたらその時点でこっちの勝ちだったんだけどな……」
ソヨギの隣で同じ光景を見詰めながら、冗談めかした苦笑いで呟くトラヴィス。苦笑いだが、それはかなり引き攣り気味な産物であった。
……灯藤オリザの詠唱を以て構築された魔法『楽園の守護剣(ブレイド・オブ・パラダイスロスト)』は炎の剣を作製する魔法である。その剣には切れない物が無い。厳密には、高温で溶ける物質ならばなんだって切断出来る。刀身自体は熱を発しないが、何かしらがそれに触れれば、物質自体にそれが溶解する高熱を発生させながら切断してしまう。それはなんと魔法による構築物も例外ではなく、シールド魔法などの魔力の塊に炎の剣が触れた瞬間、何だかよくわからない発熱現象を起こしながら思惟も術式も溶け崩れ、魔法の構築物を破壊してしまう、らしい。
そして、そんな剣は、それを振るうオリザ自身にも影響を与える。この魔法は智天使ケルビムが手にする『べき』炎の剣を作製する、つまり、その剣を手にしているものは(魔術的な)理屈上『天使』ということになってしまうのだ。具体的にそれは肉体の強化と身体能力の向上、魔法の感応性の更なる上昇という形で現れる。人体が吹き飛ぶレベルの衝撃波を受けながらボス・エネミーと鍔迫り合いを続けていられる理由はその人間を超えた身体能力と耐久性の向上に因るものなのだ。
アンジェアリーナはそんな炎の剣の特異性を、最初の一太刀の時点で察知していたようなのだ。斬撃を防ぐ際、根元の松明を衝撃波で弾く選択肢を取ったのは恐らく偶然ではない。
オリザの太刀を防いでいく中で、戸惑いと驚愕が見え隠れしていた少女の表情が、徐々に冷たく沈んでいくように見て取れた。
不意に、オリザの斬撃を勢い良く弾き、オリザが炎の剣を振り上げつつ大きく仰け反ったときにアンジェアリーナは右手を開き大きく後ろに引いた。
アンジェアリーナの右手の平の茶色に光る魔法陣が幾重にも発生し、まるでパイを投げる要領で体勢を崩したオリザにその右手の魔法陣をぶつけた。
途端、背後に強かに吹き飛ばされるオリザ。
一瞬だけ、強張ったアンジェアリーナの全身からふっと力が抜けるのを見て取れた。そして、その視線が一瞬だけ何気無くこちらを、防音結界の中で観戦するソヨギ達の方に向く。
「あ、やべ」
小さく漏らすトラヴィス。
しかしそれは一瞬だけだった。
吹き飛ばされて地面に倒れたオリザの周囲に、前触れも無く不意に赤黒い水滴のような球体が複数現れ、弧を描きながらアンジェアリーナに飛び掛かった。
無詠唱で構築される攻撃魔法『メルト・ハウザー』。
アンジェアリーナは一瞬身構えるが、地面を駆ける魔法攻撃を盾にするように身を低くして走るオリザを視止めた瞬間それらを無視し、オリザにのみ視線を合わせる。
完全に無防備な態勢のアンジェアリーナに着弾し爆発する赤黒い球体。しかし『第二形態』になったボス・エネミーはその爆発に動じることも上半身が吹き飛ぶことも無く、爆炎と魔力の残滓の中で淡々と襲い来るオリザの刃のみを弾き飛ばす。
「っ! ふわぁぁぁあぁぁぁぁぁぁ!!!」
不意に、隣のトラヴィスが意味不明な奇声を上げる。
何事かとソヨギがトラヴィスの方に振り向けば、トラヴィスは振り向き様に自身の杖を、パーティー一行の背後に振り下ろしていた。
「……ぃ!?」
小さな悲鳴を上げたのはシズ。
トラヴィスが振り下ろした杖の先には縦に長い茶色の箱のようなものがあり、トラヴィスの押し当てられた杖により、ぐにゃりとその形状を歪め、雲散霧消している真っ最中だった。
『『『自己洞察の最果てであるこの地に足を踏み入れたのは必然、ヒトの業なのでしょうね!』』』
そしてその直後不意に、聞き覚えのある口上が、壁越しのような籠った音で周囲から同時に聴こえてきた。
「スピーカー!?」
アイビーが周囲を見渡しながら叫ぶ。
ソヨギも周囲に視線を走らせて愕然とする。
アイビーの言う通り、ソヨギ達の周囲、というかフロア全体にいつの間にか、オーディオセットのスピーカーを思わせる丸いウーファのようなものが付いた縦長の箱が大量に置かれていたのだ。
『『『ダンジョンとは言うなれば自らの尾を喰らう蛇の管、知性体総体の自意識の投影になり得る場、なのですわ!』』』
しかも、そのスピーカー全てから、中断され続けていたボス・エネミーの口上が大音量で打ち鳴らされていた。
「いま、トラヴィスさんが潰したのって、このスピーカーだったんですか?」
「恐らくねぇ……」
ソヨギが尋ねると、トラヴィスは苦々し気に頷いた。
「フロア内の無作為の場所にスピーカーを構築する魔法ってところかな」
そう呟くトラヴィスはまた杖を地面に向け、ソヨギの背後の足元を杖の先で刺突した。先程トラヴィスが破壊した箱型のスピーカーがまたぐにゃりと歪んでいた。
「音波は結界で防がれるけど、音波を発生させる装置を作り出す魔法なら結界を無視出来ると気付いたんだろうね! まぁ、ここまで強固な構築物なら魔力の収縮が先触れになるし、構築が完了する前に過剰魔力を注入して思惟を打ち消せるんだけどね!」
地面に視線を走らせ、杖を振り下ろしながら得意げに言うトラヴィスだが、ソヨギにはいつどこでスピーカーが発生するのか、そんな先触れがあるのかなんて全くわからなかった。ただわかるのは、防音結界の内部でスピーカーが構築され、周囲のそれと同じ音声が発せられれば、自分達の命は無いということだ。
『『『……探りなさい洞察なさい原生知性体達よ! いつか星の血脈たる魔力の流転は……』』』
大爆音でボスっぽい口上が演説されている中、オリザとアンジェアリーナの尋常ではない速度の近接戦闘が行われている。
アンジェアリーナがぶつける衝撃波はオリザにダメージを与えているようには見えないが、オリザの炎の剣の太刀筋は完全に対応されており、炎の剣がアンジェアリーナに命中する前に、その手の平の衝撃波で根元の松明を弾き飛ばしている。
「ジリ貧ですわね、これは……」
焦燥の籠った声でアイビーが呟く。
「うん、このままじゃこちらが負けるだろうね!」
先程からしばしば発生するスピーカーを杖を突き立てて打ち消しながら、妙に力強くトラヴィスが発言する。若干、余裕が無くなって自棄なのかもしれないのか?
「魔力のキャパシティー的にはまだ余裕が有るだろうけれど、過剰な身体能力強化にオリザの肉体の方が耐えられないよ。術式を保っていられるのは精々あと10分……」
「オリザ先輩の攻撃をあそこまでちゃんと防げるとか正直想定外でしたからねぇ……」
「……追加のプランは何かありませんの?」
「いやぁ、こっちの魔力のキャパシティーも結構かつかつ、というかあのボス・エネミーの強固過ぎる魔力結合を破壊出来る手段がオリザの炎の剣以外に無いんだよねぇ……、マジック・ブラストで援護するにしても当たる気がしないし当ててどうにかなりそうな気もしないしオリザに当たっちゃったら最悪だしなにより、いま、そんな余裕無いっ!」
と言いながらまた杖の先端を地面に突き立て、現れたスピーカーをくにゃりと打ち消した。
「……ボス・エネミーに10分粘られたらこちらの負け、か」
呟くソヨギを、トラヴィスは眉を吊り上げながら一瞥する。
「まぁ、まだ万策尽きてる訳じゃないんだ」
「そうなんですか?」
「うん、奥の手中の奥の手だけどね。
……やるだけやってみようか」
素早く頷く一同。
トラヴィスは、チラリとアイビーの顔を見る。
そしてトラヴィス泣きそうな表情を作りながら、叫ぶ。
「配信をご覧の世界中の皆さん! ピンチです! 助けて下さい!!」
えー……。
「ぶっちゃけ万策尽きました!! 正直ボス・エネミーが想定よりちょっと強過ぎました!! このままでは勝てません! なんかこう、この状況でも挽回出来る方法を皆様から募集します! 皆さんの力をお貸し下さい! このままでは、八王子の街に大惨事を引き起こしてしまいます!!!」
恥も外聞も無く悲痛な表情で動画配信の視聴者に助けを求めるトラヴィス。切実さは十二分に伝わるのだが、普段が普段なので、必死な様子からも絶妙な胡散臭さが滲み出てしまっているように感じてしまう。
「……さっき、『まだ万策尽きてない』って言ってませんでした?」
「いやだから、集合知に頼る方法がまだ残っているという意味でだよ」
ソヨギが突っ込むと、トラヴィスは不意にけろりとした表情に転じてしれっと答えた。
「まぁでも、リアクションは上々というか、僕の配信のコメント欄は結構盛り上がってますよ」
シズが苦笑いを押し殺したような表情でそう言うと、トラヴィスは「よしよし!」と笑みを浮かべながら虚空を見詰める。恐らく、VRゴーグル上に表示された動画配信のコメントに目を通している。
が。
不意に、動画配信のコメントを読んでいると思しきトラヴィスの動きがピタリと静止する。表情も、強張って硬直しているように見える。
「えと、どうしました……?」
なにやら只ならぬものを感じたソヨギが声を掛けると、トラヴィスは片手をピシッと上げ、「いや、大丈夫だよ」と制するように言う。
「さっそくね、実効性の有りそうなアイデアを貰ったんだよ、ええとね……」
そう言いながらトラヴィスは結界内の探索者達の顔を見渡すのだが、途端口元に手を当てながら「Ohhhhh……」と妙な呻き声を上げた。
「ええと……、本当に大丈夫ですか?」
「いやうん、大丈夫、大丈夫なんだけどね、いや~、これ、オレが自分で気付かないといけない奴だよねぇ……」
……どうも、視聴者から受け取ったアイデアを自分が思い付けなかったから凹んでいる、みたいな話らしかった。
「そういう反省はあとで付き合って差し上げますから。いまはどうすべきか決めるべきではなくって?」
そう言いながらアイビーはトラヴィスの腰をどんと押す。
「……オーケーわかった。プランを伝えるよ」
鎮痛な面持ちで何かを振り切るように激しく頷きながら、(表面上)気を取り直すトラヴィス。
「オリザの援護を行うんだけど、現状手に入る魔力リソースではボス・エネミーにダメージを与えられる術式を構築出来ない。いや、構築出来ないと思っていたんだけどよく考えれば別にそんなこと無かったんだ」
そう言うとトラヴィスは、現れかけたスピーカーを潰しながら防音結界の外を手の平で撫でるように指し示した。
「指向性の無い魔力リソースがフロア中に転がっている。トライサプリングの奇光石さ。ソヨギの槍で倒したものは思惟の破壊を術式に組み込んだからちょっと微妙だけど、大部分はボス・エネミーの衝撃波で吹き飛んだか瓦礫に押し潰されたかのどちらかだからね、奇光石が潰れてさえいなければ大部分は利用出来る」
「お、おおお……」
「お待ちになって?」
ソヨギは思わず感嘆したが、アイビーが即座に口を挿む。
「魔力リソースの確保はそれで良いとしても、その魔力をどこに充填するつもりですの? 魔力を確保できたとしても魔力量が大き過ぎて受け皿である人体の方が持ち堪えられないのではなくって?」
「いやー……、有るんだよ、どんなに魔力を充填しても壊れない器が」
そう言いながらトラヴィスはゆらりと一点を指差す。
その指先が向いているのは牧村ソヨギ。厳密にはソヨギが持っている槍である。
「厳密には、壊れてもノーコストで修復し続けられる器さ。ミスターソヨギのグングニルさ」
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