第34話 其が背にするもの総てが楽園なり






 トライサプリングによって雁字搦めになったボス・エネミーに加えられた空爆、オリザによる魔法攻撃は次々に着弾する。


 ただその爆発音はシズの防音結界によって軽減され、くぐもった遠雷のような微かな音に変化している。


 すかさず、アイビーが地面の魔法陣に向かって手をかざす。


 アイビーの魔力供給により結界には一時的に対物理攻撃の性質が付与され、跳ね飛んで来た土石やトライサプリングの残骸を跳ね飛ばす。


「グングニル・アサイン」


 アイビーが魔法陣にかざした手を引っ込めた段階で、ソヨギが口にする。


 爆炎の中からステンレス製の棒がふっと現れて、空中を飛ぶ棒の先端に無数の破片が群がり、星形の立体が連なる槍の先端の形を取り戻していく。ソヨギの手元に帰って来る頃には完全に槍の形状を取り戻していた。


「……ヒトの形態が、完全に崩れていますわね」


 視界は爆発による煙に覆われハッキリ確認出来ないけど、周囲の蜘蛛型ロボットの魔力探知により表示されているVRゴーグル内の映像により、ボス・エネミーの状態がある程度観測出来た。


「想定よりもやや脆いですね……」

「素体の一部が人間に近いんだろうね。トライサプリングの毒がある程度効いたらしい」


「ちょっと待って、これって……!?」

 オリザの切迫した声に、全員が息を飲む。


 VRゴーグルに表示された、ボス・エネミーの魔力パラメーターがみるみる上昇している。魔力による構造物が傷付き壊れればそこから魔力が拡散して思惟が保てなくなるのが普通なのだが、オリザの攻撃魔法により頭部周辺が破壊されたアンジェアリーナは逆にその魔力量を上昇させているのだ。


「……第二形態持ちか」


 鬱陶し気にトラヴィスが呟く。


「予備段階に移行するしかないね。ミス・オリザ、頼める?」

 そうトラヴィスが口にすると、他3人が一斉にトラヴィスの顔を見て、それからオリザの顔を見た。


「はい、大丈夫です。いつでも言って下さい」

「いますぐ頼む。一刻の猶予も無いよ」

 その言葉を聞くとオリザは探索者一同の方を振り返り、少し思案してから片手を上げ、パワードスーツの腕部に内蔵された自撮り用カメラで自分の顔を映す。


「えと、急ですがわたしの配信はここでストップしなくてはならなくなりました。わたしの魔法にカメラの方が耐えられませんから、ごめんなさい。引き続き、他のパーティーメンバーの配信を観て頂けると幸いです。

 では、行ってきます!」


 もう片方の手で自撮り用カメラの方に手を振ると、オリザは自分のVRゴーグルを外し、ソヨギにゴーグルを渡してきた。


「……オリザのチャンネルでは、引き続き牧村くんの視界を配信することにするよ。牧村くん、それでいいかな?」

 不意に聴こえたジンジの声に、ソヨギは引き攣った笑顔で「うわ、責任重大だ……」と答える。


「ふふふ。よろしくお願いね」

 イヤホンの方は付けたままだったオリザは、ジンジの提案とソヨギの返事を聞き、屈託無く小さく笑う。間違い無く責任重大ではあるが、これからボス・エネミーと一騎打ちに挑むのに比べれば、まぁ大したことではない。


 オリザはそのまま一向に背を向け、一度小さく振り向いてソヨギに手を振ってから、結界を出て、魔力を増幅させ再変形しようとするボス・エネミーに向かって歩み寄った。


「よし、上層階フロアを爆破する」


 オリザの準備を確認したトラヴィスは、キーボードを操作する。


 途端、ドームの天井から断続的な爆発音が鳴り響く。


 程無く、凄まじい轟音と共にドームの天井が崩れ落ち、大量の土砂がボス・エネミーと残存するトライサプリングに向かって降り注いだ。






 ダンジョン探索を安全かつ確実に行うには、先人達のデータの取得が不可欠である。


 過去に行われた探索、ダンジョンの内部構造や性質、地図の有無、モンスターの種類、罠の有無、回廊が途中で水没していないかとか空気に毒が無いとか酸素は確保出来るのかとか。過去に行われた探索によるデータの蓄積が後進の探索者の安全性を大きく高める。


 無論、ボス・エネミーに関するデータもそうした先人の調査によって集められた。


 これまで確認されたボス・エネミーの発生件数は23件。内ボス・エネミーが撃破されたのは5回。つまり、のこり18件は研究調査のために出現させたケースと討伐に失敗したケースだ。


 4年前、アメリカのテキサス州での巨大奇光石破壊は遠隔での魔法攻撃及び爆発物で変形したボス・エネミー諸共消し飛ばす手段が採用されたのだが、そうして現れた『騒麗霊嬢アンジェアリーナ』は爆発物による攻撃を耐え抜き、非常に強力な衝撃波でダンジョン内外の設備を破壊。その場に居た人間の大部分は許容力を大きく超えた爆音でショック死した。巨大奇光石を『騒麗霊嬢アンジェアリーナ』に転じさせるプランが採用されたとき、音響魔法のエキスパートである大轟寺シズに声が掛かったのはそのときの経験があったが故である。迷図拡散(ミノスロード・スプレッド)発生以降の命が安い時代。ダンジョンに纏わる些細な情報ひとつひとつでさえも、多くの倒れ伏した人々が積み上がってようやく手に入る些細な断片である。


 ちなみに蛇足だが、テキサス州でのボス・エネミー出現時に、ボス・エネミーとの白兵戦になるケースを想定して複数人のダンジョン探索者が招集されていた。その内のひとりに、トラヴィス・フィビスがベンチャー企業を始める前からダンジョン探索のパーティーを組んでいた旧友も参加していたのだが、他の探索者や関係者諸共、アンジェアリーナの姿を見ることも無く、爆音により殺されていた。






「さて……、手札は出し切ったけどあっちはどんな感じだろうね」


 瓦礫の粉塵で、視界が殆ど無くなってしまった中で、唇の端を吊り上げながらトラヴィスが呟く。


 この、巨大奇光石があるフロアの真上には、この部屋と同程度の広さの空洞があり、そこに仕掛けた爆薬で空洞の床を爆破して、床ごと真下に居るボス・エネミーに叩き落したのだ。ダンジョンそのものは非常な強力な思惟で補強されているので、この程度の爆発でダンジョンそのものが崩落することはない。ちなみに、ソヨギ達の真上の床は爆発で崩落しないように逆に補強魔法が掛けられていた。


「……この程度でどうにかなる相手ではないでしょうけどね」

「まぁ、これは時間稼ぎでしかないしね」

 そういうシズとトラヴィスの視線の先にあるのは瓦礫の中に埋もれるボス・エネミー、ではなくもっと手前。

 結界の外に立つ灯藤オリザである。


 留め金を外し、おもむろに赤いフード付きマントを脱ぎ捨てる。


 女性らしい稜線の、華奢なボディラインを強調する黒いタイトなパワードスーツだけのシルエットに、手にするのは銀色の松明。


 オリザは、銀色の松明を両手に持って、頭上に高らかに掲げる。


「光ありて」


 オリザが呟く。その声は瓦礫の倒壊が反響する余韻の中で、そして防音結界越しであるにも関わらず異様なほどハッキリと聴こえた。


「都市に無数の瞬きを造り」


「高台に熱き在り方を示し」


「暗夜に行くべき航路を照らし」


「英知と探求の輝く萌芽 ここにありて」


 オリザの声が、普段の彼女の面影を感じさせない落ち着いた低い響きを持って、喧噪が鎮まる中で小さく響く。


「其が見渡すものその全てがヒトの灯なり 其が背にするその全てが永久なる御心」


 魔術を行使する際の呪文は、魔法の起動鍵(キー)のようなもので、肉体と思考、そして手持ちの術具などで組み上げた術式を完成させる最後の1ピースとして用いられることが多い。自身と縁遠い魔法、下準備が整っていない魔法、内容が複雑な魔法であれば、どうしても長い詠唱が必要になる。


 灯藤オリザのチートスキルは『松明を持つと火系統の魔法に対する感応性が大幅に上昇する』というもの。まるで、炎の魔法を自身の手足のように扱ってしまう。

火・熱・光に纏わる魔法なら起動鍵ひとつで何種類も発動してしまうし、簡易な魔法ならば念じるだけで構築してしまう。オリザの在り方自体が火の魔法と絶対的な親和性が有り、その存在そのものが火の魔法に対する強力な触媒なのだ。


 そのオリザが長い詠唱を行い行使する魔法。

 それは、灯藤オリザの手を持ってしても強力な、莫大な魔力を要する魔法を発動させようとしている先触れである。


「携えるは火 そして楽園」


 その一言一句ごとに分子は震え、大気は脈打ち、エーテルは激しく軋む。


 魔法というものは本質的に、自然法則に恣意的に術者の意志/法を反映させようとする手段であるが、このオリザの詠唱もその例に漏れず恣意的に、今生に属するありとあらゆるものをその意志性により別の何かに矯正しようとする厳格さと力強さを帯びていた。


「星の瞬きと地の躍動 人の子の業と拾い上げる灯火 その狭間におわすひと振りを我にもたらし給え」 


 オリザが掲げる松明の先端に、小さな赤い光が生まれる。


 小さな光だが、それはあまりにも眩くて、ソヨギは思わず目を細めざるを得なかった。


 そしてオリザは呼ぶ。


 それは夜を打ち砕く黎明のようですらあった。




「いでよ 楽 園 の 守 護 剣ブレイド・オブ・パラダイスロスト




 灯火の先に瞬いた光は爆熱した。


 夜明け、或いは後光のように天頂を貫き、崩落したドームの天井を超えその上層の天井を高らかと一筋の光が照らした。


 その清廉とした白い光は紅色に転じ、炎の揺らめき、昏い劫火へとその輝きを移ろわせていく。











 奔出する紅い光は絶え間無く湧き上がりながら、その光の奔流の中心に、目を瞠るほど赤く輝く鉄塊ののような巨大な影が姿を現した。


 眩い輝きの炎の核心。目が焼かれそうなほどに眩しいが、目が離せないほどに神々しく、揺らぐことの無い至上の光輝。


 それは神話の再現。


 創世記において最初の人間が楽園から追放されたのち、命の木を守るため楽園に遣わされた天使ケルビムが手にしていた炎の剣、そのレプリカを作製する大魔法。本来人類が手にするべきではない英智の炎であり、白魔法の極致のひとつである。






「成功だ……」

 オリザが掲げる光の奔流を見上げ、目を離せぬまま呆けたように呟くシズ。

「さすが、本番に強いね彼女は」

 トラヴィスの母国語の方も震えており、翻訳AIは生真面目にその動揺を翻訳に反映した。


 ソヨギの配信のコメント群も完全に狂乱状態と化していた。


 オリザの掲げた松明から、赤々と輝く刀身が伸びていた。丈は1メートルほど、幅は西洋剣としてもかなり広い。刀身は陽炎の様に揺らめき、ぶち抜かれた天井の先まで赤い輝きが空間を波立たせながら真っ直ぐ立ち上っている。


 目にするだけでその熱に焼かれる自身を幻視してしまうほどの威圧感ではあるが、不思議と熱さは感じない。この世のあらゆる熱がこのひと振りに集約されてしまっているかのようだ。


 落下してきた瓦礫の粉塵が晴れてくる。


 不意に、オリザの視線の先で大きな破裂音が響く。


 黒いドレスを着た、華奢な人影がその中心で瓦礫を押し退けつつも上体を起こす。


「小賢しい仕掛けの連続に、少々面喰いましたわ……」


 忌々し気に吐き捨てるような言い方ではあるが、その声量は相変わらず爆音。結界越しでも周囲が微震しているのがわかる。


 『第二形態』に変形ししたアンジェアリーナの背格好はあまり変わっていない。しかし、ドレスや全身を覆う黒曜石のような黒い結晶の面積は増え、全身が刺々しい、より攻撃的なシルエットを成している。頭部のティアラのようだった結晶は兜のように頭部全体に被さり、少女と老人の頬まで悪魔の手の平のように包み込んでいた。


「……知的生物の探求心に突き動かされ、自己洞察の最果てたるこの地に足を」

 そして律義に、先程トライサプリングの群れに遮られた口上を再開しようとするアンジェアリーナだが。


 オリザはそれを無視してゆらりと、松明から伸びた炎の剣を下段に構えながら歩き始める。


「踏み入れ……っ! え、ちょっと? その魔力塊はなに」


 どちらかと言うと結界内に居るメンバーに視線を向けて喋っていたアンジェアリーナはゆらりと炎の剣を構えながら近付くオリザの姿に視線が向いた瞬間、目を見開き驚愕の表情を露わにした。


「へ? は? 知性た……? 人間!?」


 当惑するボス・エネミーを前に、オリザは前傾姿勢になり、地面を蹴ってアンジェアリーナに飛び掛かった。





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