第36話 大神の槍と炎の剣 -前編-
八王子Deepの最深部のフロア内。
瓦礫の中に数十個設置されているスピーカーからは意味有り気な放送はもはや途切れており、耳障りな騒音が流れ続けている。それは防音結界越しだから『耳障り』と認知できるだけであって、実際は聞くだけで命に係わるレベルのショックを与えてくる大爆音なのだが。
黒いパワードスーツの細長い体躯に絶対的な存在感を放つ炎の剣を持つオリザと、黒いドレスと鉱石が混じったような姿のボス・エネミーの攻防は、人間が追い付けないような速度で淡々と続いていた。淡々と続いているようだが、オリザの肉体の限界は確実に近付いているらしい……。
「とりあえずやらなくてはいけないのは術式の構築、フロア内に落ちている指向性を失った奇光石から魔力を吸い上げて、留めて、殺傷力に転嫁する魔法」
急に重大な任務を振られて唖然としているソヨギを気にも留めないのか気付きもしないのか、トラヴィスはそのまま話を進める。
「ただ、私は現状騒音対策で手が! 離せない!(地面のスピーカーに杖を突き立てながら)、そこで、ええと……(またアイビーに視線を向けながら)、アルバート・パライノフ! どうせ観てるんだろ、ってかさっきキミも似たようなアイデアコメントしてたよな!? 今こっちは忙しい代わりに構築式書いてくれないかな!? 3分以内で! いや、もちろんギャラはあとでちゃんと出すんで、お願いします!!」
世界に向かって謎の男の名を読んだトラヴィスは一瞬虚空を見詰め、「……よし、よしよし恩に着る!」と切実に嬉しそうに首肯する。
「ただ、術式を構築して貰ったとしてもソヨギの槍に彫られた術式の書き直しは私がやらなければならない! かなり集中力が必要な作業だからね、この最中はスピーカーの破壊が出来なくなる。私の代わりを誰かにして貰わねばならないんだけどね……!」
「そんな曲芸真似出来る魔法使い世界に50人も居ませんわ……」
「だよ! ね(杖を刺突)!」
「スピーカーを無力化する別の方法ならやれると思います」
そう言ったのは大轟寺シズだ。
「ただ、こっちも構築式を組み直す必要があるので、5分……、3分でやってみます」
「わかった、任せたよ」
そうトラヴィスが答えると、シズは中空のキーボードを操作して何やら打ち込み作業を始めた。
「アイビーは……、槍で攻撃する役! ぶっちゃけ一番負担を掛けるけど! コンサントレ―ションを高めといて欲しい!!」
「……まぁ、そういうことになるのでしょうね。……わかりましたわ」
「牧村くん牧村くん!」
不意な状況変化に付いて行けてないソヨギの耳元で、通話越しに山野辺ジンジが語り掛けてきた。
「え、あっはい!?」
少し驚きつつも返事するソヨギ。
「他のみんながそれぞれ別のことに集中しているから、牧村くんにはオリザの撮影を頼めないかな!? 出来るだけオリザの姿を画角に収め続けて欲しい!」
まぁ、この映像を撮影しない理由は無い。戦況には全く関係無い仕事だが、何分我々は動画配信者なのだ。
「わ、わかりました! あ、あとひとつ確認して欲しいことが有るんですけどっ!」
「なに?」
「コメント欄に何回か『狐崎ルブフ』さんの名前が流れていた気がしたんですけど文章まで読み取れなくて見逃してしまって……。コメントをピックアップとか出来ませんか?」
「ホント? やってみるよ!」
狐崎ルブフ、前回『上三川Deep』の探索で一緒だった巫女で霊媒師で他諸々の女性である。物凄いスピードで流れるコメント欄だが、見知った人物の名前だったので反射的にはっきり目に留まった。一瞬目にしたコメントは、ある程度の重要そうなことが書いたある気配がなんとなく感じられた。読む必要があるだろう。
「何件かあるね、表示する」
遠隔での山野辺ジンジの操作により、VRゴーグル上に狐崎ルブフのコメントがピックアップして表示された。
狐崎ルブフ:君の新しい槍は意識的に本物のグングニルを前提に造られているのが予
想出来る。
狐崎ルブフ:大神オーディンの魔術の王としての側面と術式を記述するその槍の性能
は恐らくそれほど悪くないのだろう。
狐崎ルブフ:その槍で地面の奇光石の魔力を集める前に、出来るだけ多くの回数、
『グングニル・アサイン』と唱えた方が良いだろうね。その槍と『グング
ニル』の繋がりを深めることが、恐らく次に記述する術式の安定性の向上
に繋がる。
狐崎ルブフ:とは言え、ほんのちょっと気持ち程度のおまじないレベルの違いしかな
いだろうけれど、やらないよりはずっとマシだと思う。
狐崎ルブフ:君とオリザ、そして他のメンバーが無事に帰還出来るように心から祈っ
ているよ。
「うわぁ……」
ソヨギは思わず小さく呻いた。ルブフがおまじない程度の効果しかないと言うなら本当におまじない程度しか意味は無いのだろう。しかし、こんな文章を見てしまえば、やるしかないではないか。
そもそも、ソヨギのチートスキルの対象になった槍に『神話の』グングニルと同じ性質があるかもしれないと最初に言い出したのは狐崎ルブフである。それをオリザが動画で話してトラヴィスがそれを基にいま手元にあるこの槍を作ったのだ。
「狐崎さん、コメントありがとうございます! 参考にします!」
そう動画配信の向こうに居るはずのルブフに向かって礼を言ってから、ソヨギは唱え始めた。グングニル・アサイン、グングニル・アサイン、グングニル・アサイン、と。
動画配信内では「狐崎ルブフってだれ?」というコメントが複数飛び交い別の視聴者が説明を試みるような状況が展開していたが、ソヨギは既にグングニル・アサイングングニル・アサインと唱え始めていたのでそれらのコメントへのレスポンスに遅れて、ただ唱え続けながら見守るような形になってしまった。唱え始める前に『狐崎ルブフ』が誰なのか軽く説明しておくべきだったか? と軽く後悔したが、もう遅い。みんなに任せよう。
「グングニル・アサイン、グングニル・アサイン、グングニル・アサイン、グングニル・アサイン、グングニル・アサイン、グングニル・アサイン……」
シズが術式の再構築を急ピッチで行い、トラヴィスが忙しなくスピーカーを破壊して回っている中、ソヨギは繰り返し繰り返しチートスキルを発動させ続けながらオリザとボス・エネミーが戦う様子を撮影し続けた。
紅い弧を描き異様なスピードで振り回される長い刀身の炎の剣は黒いドレスのボス・エネミーに叩き付けられる直前に弾かれ反対方向に弧を描く、そんな行ったり来たりを何度も何度も凄まじいスピードの中で行われている。時折、オリザの背中辺りから眩い光の粒が紅い線を引き連れて伸び、アンジェアリーナの顔面に向かって飛ぶことがある。どうやら、戦いながら『スパーク・ウィップ』を構築しているらしい。しかしそれらの火花はアンジェアリーナに行き着く前に不意に空中に現れたスピーカーにぶつかり、その場で弾かれてしまう。周辺にランダムに発生させているスピーカーを任意に出現させ、デコイにして自分を守っているらしい。そんな細かい攻防すらソヨギの目で捉えられないほど素早く何度も繰り返されている。
「グングニル・アサイン、グングニル・アサイン、グングニル・アサイン、グングニル・アサイン、グングニル・アサイン、グングニル・アサイン……」
そんな中、ソヨギはオリザの顔をしばしば目にする。
灯藤オリザは非常にハッキリと自身の目を見開き、表情が消失している。真剣な顔をしているというのともまた違い、表情が無いのだ。そしてその瞳を大きく見開き、見るべき場所に油断無く視線を走らせ続けている。おそらく瞬きをしていないのではないだろうか?
ソヨギは、オリザのそんな姿に密かに恐怖を感じた。その姿が怖いという訳ではなく、オリザが、どんどんどんどん、どこか取り返しの付かない遠い場所へ直進しているように思えてしまうのだ。
少しでも早く連れ戻さねばならない。ソヨギはチートスキルを発動させ続け撮影をし続けながら、そんな焦燥感を募らせた。
「出来ました!」
大轟寺シズが叫ぶ。
「防音結界を書き換えます! 全員僕と背中合わせにくっついて下さい!」
「オーケイ!」
「ええ! ……ええと、こういうことかしら?」
「グングニルアサイングングニルアサイングングニルアサイン」
背中を向けるシズに対して、トラヴィスとアイビーとソヨギはすぐさま背中を向けてお互いの背中を貼り合わせるようにくっついた。
「では、結界を書き換えます!」
そう言って空中のキーボードを素早く操作すると地面に描かれた魔法陣の文字がばっ、と白く輝いた。
そしてその地面の魔法陣が縁の方から消滅していくのに併せて、地面から、魔法陣に書かれていたものに似た文字や図形が、4人の身体の表面を足元から這い上がるように移し替えられていくのだ。
「ええと、真円や正方形や正三角形などは魔術的に『安定した図形』とされていて、魔法陣のパーツとして利用しやすいんですけど、そういった、数学的にも魔術的にも美しい図形とはまた別の性質で、人類にとって馴染み深くて、絶対的な安定感がある立体が存在します」
「つまり、『人体』だね!」
「グングニル・アサイングングニル・アサイン」
シズの説明に、トラヴィスがすかさず割って入る。
「そうです。コリント信徒への手紙の『神殿としての肉体』とかの辺りの記述をオリザ先輩の魔法の神話的な影響力に便乗しつつ絡めてみましたけど、まぁ、真円に比べればどうしても安定感には欠けますね!」
魔法陣の縮小に比例して白い文字や図形/魔術的な覆いは4人全員の身体を駆け上がり包み込み、足元の魔法陣が完全に無くなる頃には4人の全身を魔力の膜がぴったりと覆っていた。
「防音結界で人体を覆いました。隙間無く身体に貼り付けているので結界の内側にスピーカーが入り込まないはずです!」
そう言いながらシズは3人から背中を離す。
「グングニル・アサイングングニル・アサイン」
「性能は据え置きと言いたかったんですが、アンジェアリーナが手の平から発射してくる衝撃波を喰らうと多分危ないです。それから、安定性もいまひとつなので多分10分くらいしか持ちません」
イヤホンからシズの説明を聞き取る。それぞれの身体に個別の結界を張り付けているから、肉声は結界に阻まれて聴こえないのだ。
「充分さ、私も作業に入ろう」
スピーカーを破壊する作業から解放されたトラヴィスは自身の杖を手から離し宙に浮遊させ(どうやら、杖の中に待機している人工精霊が持ち上げて浮かせているらしい)、中空のキーボードに手を添える。
「……早速完成させてくれているね、……レビューをさせて貰う」
そう言いとんでもない高速でキー操作を数秒行い
「よし完成。ソヨギくん、一旦呪文を止めてくれたまえ!」
「アサイ……、え! あ! はい!」
トラヴィスに止められ慌てて、トラヴィスの作業中もずっと唱え続けていた『グングニル・アサイン』を止めた。
「一旦任命を解除する、ですよね!」
「そうだね、よろしく!」
ソヨギは、丁寧に念じる。一旦、手元のこの星形の立体が連なる槍を『グングニル』の任命から外す……。
「オーケイです、外れました!」
「よし。頼むよ、ライト・オブ・ウィピス!」
トラヴィスは宙に浮いた杖を手に取り指示を出す。
杖の先端から飛び出した小さな光の粒がソヨギの槍の星形立方体の辺りに貼り付く。
「全速力で!」
トラヴィスがそう言って念じると、光の粒は凄まじい速度で星の連なりの周囲を回り始める。光の尾が残像になって、ボビンに糸が巻かれていく様を超高速で見せられているようだ。人造精霊が星形の図形に書かれた『植物を枯れさせる魔法』の術式をその表面を削り取ることで消し去り、新たな魔法『周囲の奇光石の魔力を集め、攻撃魔法に転嫁する魔法』を書き込もうとしているのだ。
「よーし完成!」
星の連なりを包み込む金糸の残像を残しながら槍から光の粒は主の杖へと帰っていく。
「さーてソヨギ、改めてグングニルに任命(アサイン)してくれたまえ!」
「はい、グングニル・アサイン!」
満を持して言われ、早速唱える。
問題無く任命は出来たが、特別派手なエフェクトが発生する訳では無いので、非常に地味な任命式である。
ソヨギは一応気を利かせて、その場で手を放して槍を自由落下させる。
「グングニル・アサイン」
そして地面に激突する前にチートスキルを発動させると、槍は重力とは逆方向に浮かび上がりソヨギの手元へと戻って来る。途端、周囲の3人から小さな歓声が上がる。
……下手くそな手品を披露したような照れと居た堪れなさが同居したような気分になってしまう。
「オーケイ、術式も元に戻ったりしていないね。ソヨギ、槍を地面に対して水平に向けてくれないかい?」
「へ?」
一瞬、なにもわからずに言われるがままにしてしまうソヨギ。
「え? いや、あの待って??」
「私が合図したらチートスキルを発動させ続けるようにしてくれたまえ」
そう言うとトラヴィスは槍の柄に手を添え、魔力を注入。
連なる小星型十二面体に記述された術式が発動する。
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