第29話 沈黙の魔物






 『トライサプリング大量発生 以降騒音・会話厳禁!!』


 ダンジョンを進む一行の前は、その注意書きを前に一時立ち止まった。

 ソヨギの動画配信を観るコメント群も『いよいよか……』『ああ、ここからね』と色めき立つコメントが大量に行き過ぎる。


 相変わらず、道幅の広い発光するレンガで壁を補強された回廊が続いていたけれど、その壁に不意に、上記の一文が書かれた看板が貼られていた。そしてその看板の少し先にダンジョンの内部構造とは明らかに違う人工物の扉と壁が道を塞いでいる。壁と扉は一面綿のようなものに覆われていて壁自体もかなり重厚な造りのようだ。  

 人の手で嵌め込まれた壁なのだ。


「無論、あの線を越えて会話しても奥に居るトライサプリングが即暴れ出すという訳ではないからね」

 その注意書きと只事ではない壁を前にして、あっけらかんとした様子でトラヴィスが言う。せめて、声のトーンを落とすくらいはして欲しい。


「……実際のグレーゾーンよりもかなり手前に設けられているボーダーラインだと思いますけど、かと言って注意書きはちゃんと守る方向でよろしくお願いできますか?」

「チキンレースを楽しみに来たのではなくてよ、わたし達」

 シズとアイビーに同時に窘められて、「あははわかってるよ、視聴者への説明用さ」と弁解するように言う。


「トライサプリングが聞き耳出来る範囲に近付いて来たってことだよね? まぁ、『アレ』に耳なんて無いんだけど」

「ええ。でもトライサプリングが音を聞くメカニズムは人間にかなり近いですよ。花と葉っぱが組み合わさった頭部に近い器官の中の薄い葉っぱの振動で音を判断しているようですし。可聴域も人間にかなり近い」

「人間並みの聴覚……、でもまだここから目的地まで10km近くあるよね?」

「巨大奇光石がある『ドームから』移動している場合もありますし、反響でダンジョンの奥まで音が響いちゃう危険性も高いんですよ」

 改めて、今回ボス・エネミーとは別に相手するもう一種類の敵について確認をするオリザとそれに答えるシズ。


「ではまぁ、騒音厳禁の区画に入る前に、改めて確認しておこう」

 そして改めて状況説明を追加するトラヴィス。

「防音壁を超えると会話が出来なくなるから、意思疎通は文字チャットアプリで行う。チャット上のやり取りは配信画面にも反映されるようにしてあるからね。一度テストをしておこうか」


 ソヨギはVRゴーグルの拡張現実機能により視界の端の方に表示されたキーボードが吹き出しで喋っているアイコンをポンと触れる。途端、目の前にキーボードがフェードインしてくる。視界端に呼び出された設定画面でチャットアプリが他のメンバーと動画配信に接続しているのを確認してから、文字入力テストを行ってみる。中空に手を伸ばし、音の出ないキーボードを短く叩く。




ソヨギ:test




すると、配信画面の下の方に入力したのと同様の文字が即座に現れる。




シズ :接続確認

オリザ:てすとー

Ivy  :接続はよろしくて?

Travis:テストテストテストテスト

オリザ:上手くいってる!




 配信画面に他のメンバーの文字チャットも次々に表示される。接続は問題無いらしい。――現状において実にどうでもいい話だが、文字チャットの翻訳においてもアイビーの言葉がお嬢様言葉に変換されている事実にソヨギは密かに驚愕した。


「よし、大丈夫そうだね。それじゃあ防音壁の中に入ったあとの段取りもう一度確認しておこう」

 無論そんなもんは全員がスルー。話は続く。


「先行するのはアイビーとソヨギ。その少し後ろから私とオリザとシズが続く。ソヨギは進路上の明らかに邪魔になるトライサプリングの排除。排除を行うか見逃すかの判断はアイビーに一任する。そしてグングニルへの魔力の充填は基本的にアイビーが行うけれど回数が増えてきたらオリザが先行組に加わって交代で充填を行う。そうして巨大奇光石が鎮座する空洞まで進み安全地帯を確保する。とりあえずここまでで改めて質問は有るかな?」

 そう言ってからトラヴィスは全員の顔を見渡した。

 ……ハッキリ言って、ここに行き着くまでに何度も一連の流れを再確認させられたし、バーチャル空間で実際のダンジョン内を模した予行演習までさせられた。実際の現場までやって来たのは初めてだが、その上でもとりあえず、質問したいことなどなにも無かった。


 よし、じゃあ、行こうか。


 トラヴィスが号令を掛け、アイビーはドアノブを掴んだ。


 全員が口を噤んでいるのを確認したあと、アイビーはゆっくりドアノブを引いた。


 通常のドアより明らかに太い扉は音も無くゆっくりと開き、探索者達はダンジョンの奥へと身体を滑り込ませる。


 最後にドアを通ったシズがゆっくりと音が鳴らないようにドアを閉める。


 扉の向こうの光景は、扉を通り抜ける前と比べて特に変化のある部分は無い。まばらに発光するレンガで補強された壁、仄かに明るい回廊がずっと先まで伸びている。


 ただ、会話厳禁、という制約によりダンジョン特有の深い静けさがより強調されてしまっているように感じられる。


 心細くなるほどに、静かだ。


 先頭のアイビーが振り向き、シズがドアを閉めるのを確認する。それにシズは小さく頷き、トラヴィスは進行方向に向かってぴしっと指を差す。

 アイビーは頷き、進行方向へ、不気味なほど明るいダンジョンの奥へと歩みを進めた。


 アイビーに続き、進行方向に視線を進行方向に向けようとする直前、視界の端に両手を中空に添えるオリザの姿を見ていた。指を忙しなく動かし、拡張現実内のキーボードに文字入力を行っていた。




オリザ:防音壁の外よりも、ずっと空気が澄んでる……




 チャット画面には、そんな文章が姿を現した。






 しばらく続く沈黙の行軍。


 ただチャット画面の方はそれなりに活発で、視聴者のコメントに返答する用に利用されていた。ただ、そういう風に利用していたのは主にトラヴィスだけで、オリザとシズはそんなトラヴィスの文章に時折補足を加える程度の利用に留めていた。


 ソヨギに関しては、トラヴィスに茶々を入れている余裕すら無かった。


 ペアを組んで目の前を歩いているアイビーが張り詰めた緊張感を帯びて前方の安全確認を行いながら歩いているので、その緊張感に影響されてチャットに参加する余裕が完全に無くなっていた。


 唐突に、アイビーが足を止める。


 真後ろに手の平を突き出し後続のソヨギ達を制止する。

 ソヨギは、アイビーの掌と肩越しに前方を覗き込む。


 そこには細長い、植物が直立していた。


 背丈は背の低い成人程度、一見すると植林されたばかりの若木のような印象を受ける。しかし、しげしげと観察すればするほど、既知の植物とは明らかに違う性質が散見され、居心地の悪い不気味な印象を抱かせる。


 背丈は若木のようだがその構造は木の枝の方が近いかもしれない。緑色の細長い幹を中心に、ヒトの顔ほどある広い葉が複数枚、幹から直接生えており、その葉の内のひとつは複数枚が一カ所に織り重なっており、丸い頭部のような形を形成している。そして特徴的なのはその根元の部分。幹は根元で三ツ又にわかれ、土の地面に突き刺さっているのだ。


 身体の構成は植物そっくりなのだが、それは紛れも無くモンスターである。この奥にある巨大奇光石から生み出されたモンスター、『トライサプリング』である。




○:きたきたきた!

○:第一モンスター、発見!

○:ぱっと見は植物なんだけど、何となく不気味なんだよなぁ……




 本配信初遭遇のモンスターに配信画面のコメント欄は色めき立つのだが、反面現場の一行は押し黙ったままゆっくりとその植物モンスターが居る反対側の壁際に移動し、距離を取る。


 トライサンプリングは音に対して非常に敏感なのだ。目も鼻も無い植物モンスターだが周囲の振動や音に対しては非常に鋭く反応をする。頭部のような葉っぱの球体に収められた薄い葉が耳の鼓膜に近い役割を果たしているのだ。

 しかし逆に言えば、大きな物音を立てさえしなければ、トライサプリングに人間の位置を割り出す術は無い。




Ivy :単体なら、ここで仕留めておきますわ

Travis:わかった



 

 一行をトライサプリングが離れさせたあと、チャット内で短いやり取りが行われ、アイビーがいつの間にかカバーが外されていた青龍偃月刀を構えながらそろりそろりと制止するトライサプリングとの間合いを詰めた。


 アイビーが警戒しているのは地面に貼っている2本の蔦だ。葉とは別にトライサプリングの幹から垂れ下がり、地面を這うように蛇行している。無論、その蔦も音を発さなければ反応はしないのだが、万が一踏んでしまうと音を聞きつけたとき同様弾かれたように動き出し、音のする方へ先端に毒針が付いた蔦を打ち据えるのだ。


 アイビーは蔦を踏まないように、そして万が一何かの音で動き出したときに即座に対応出来るように神経を研ぎ澄ませつつ近付き、おもむろに両手で構えた青龍偃月刀の柄を緩く振りかぶる。


 そして次の瞬間、青龍偃月刀の刃は地面を撫でるように走り抜け、右から左に振り抜けたあと、瞬時に中空を横一文字に切り裂いて、真っ直ぐ伸びる右腕と共に、刃が右側に帰り着いていた。


 途端、トライサプリングの上半分が崩れ落ちるように地面に倒れた。根元の方の幹が、アイビーの斬撃でぱっくりと切断されているのだ。




○:はぁ!?

○:……!?

○:えっ!? 切った!!?

○:燕返し!?

○:動きが早過ぎて、目で追えんかった……!




 配信画面に走る視聴者の驚愕コメント。撮影するソヨギも視聴者達同様にアイビーの『ふた太刀』を目で追うことは出来なかった。


 アイビーの斬撃は弧を描いていた。まず地面スレスレを右から左に撫でるようなひと振りで地面を這う二本の蔦を切断し、左側に振り切ったあとに刃を返し、左から右へその幹を切断したのだ。


 ダンジョン内で捕獲されたモンスターは研究機関に運ばれ、その生態を研究されている。トライサンプリングもそういったモンスターのひとつである。トライサンプリングは他のモンスター同様に小さな奇光石の魔力と思惟を基に象られているが、身体の構造は植物に近いことが解明されている。トライサンプリングが動き出すメカニズムはハエトリソウが虫を捕食するそれに近く、与えられた刺激により植物の体内で電気信号が走り、細胞の伸縮により蔦が動き出す。


 そしてそれにより導き出されるトライサンプリングに対する対処法のひとつは、『電気信号が走り終える前に無力化すれば良い』という非常にストレートな解決法。

 まず前以て主要攻撃手段である蔦の切断。そして『切断された刺激』が身体中に行き渡る前にふた太刀目で幹を断ち完全に無力化、という訳だ。実は頭部からも一発毒針を発射出来ることが知られているが、どうも根元にある奇光石から魔力を吸い上げて発射しているようなので、根元と切断されれば、攻撃手段を失ってしまうのだ。




Travis:良い仕事だ

シズ :お見事です

オリザ:すごい!

ソヨギ:目で追うことすら出来ませんでした……




 律義に賞賛コメントを送るパーティーメンバー。社交辞令とかと言うより、アイビーの体捌きには一言絶賛したくなる鮮やかさがあった。


 しかし当のアイビーは、柄の握り心地を再確認するように青龍偃月刀を軽く振り、不満そうな表情を浮かべていた。




Ivy :やはり硬いですわね。切断に苦労しましたわ




 片手だけ空中で走らせてキー入力をするアイビー。傍目には、そんな苦労しているようには見えなかった。




Ivy :しっかり振りかぶるスペースが無いとちゃんと切れませんし、刃が空を切る音も想像以上に響いている気がしますわ

Travis:まあね。そのためにソヨギを呼んだんだから。アイビーが処理するか、ソヨギに任せるかも含めて君の判断に一任するよ。




 ……そうして、倒れ伏した植物の若木を避けるように一行は先へと進む。


 トライサンプリングの切断された上半分と蔦は、今まで見てきたモンスター同様に奇光石からの魔力供給を失い、瞬く間に干からびていく。地面に残された三ツ又の脚、言うなれば切り株の部分も過剰な破壊が負荷となり、少しずつ朽ち果てていくようだった。


 トライサンプリングの本体は、小さな奇光石を内部に持つ根元だと考えられている。植物同様、地中の養分を吸いいまもまだ生長している。


 この根は、動物の脚の性質もある。つまり歩くのだ。速度は非常にゆっくりだが、三本の音を一本ずつ持ち上げ、地面に突きさしながら少しずつ移動する。脚を兼ねた根っこという訳だ。


 植物によっては、根だけの状態になってもまた新たに芽吹くタイプも存在するが、幹の切断により本来の形態を大きく損ねる刺激は奇光石に多大な負荷を掛け、根元も朽ち果ててしまう。


 そして残るのが、奇光石の粒とトライサンプリングにより穴が開けられた地面と、朽ち果てるトライサンプリングの残骸だ。


 壁に発光するレンガのような塊が埋め込まれているのに地面が妙に柔らかい土で構成されレンガのように凝固していないのはトライサンプリングの存在に因るものなのかもしれない。歩行用も兼ねる根が地面を耕す鍬のような働きをし、植物モンスターの残骸が肥料の役割を果たしてしまう。

 植物モンスターの残骸が、また新たな植物モンスターを作り出す温床になっているのだ……。

 





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