第20話 もう笑うしかない




 タイミングとしては、オリザが穴の方へ移動して魔法を使った辺りからだった。


 首元が急に圧迫されて身体が浮き上がらんばかりの力で締め上げられたのだ。


 急に息苦しくなり声も出せなくなる。


 喉が圧迫されている。


 目の前には誰も居ないが、見えない『何者か』に首を絞められているとしか思えない状況だった。


 微かな呻き声を上げつつ両手で首の拘束を解こうとした。首には直接触れることは出来ず、間違い無く誰かの『手』だと思わせる感触が阻んでくる。


 息苦しさで確実に追い詰められていく肺と脳。見えない指を引き千切るように掴みなんとか呼吸を確保しようとするがあまり効果が無い。微かに気道を押さえる力を緩めさせるが、呼吸が出来ない苦しさの方が圧倒的に上回る。


 しかしソヨギは、この期に及んでまだ若干の『遠慮』があった。本当にダメそうならその寸前に行動を起こすが、耐えられるギリギリまでは耐えねばならないという謎の使命感が胸中を占めていた。

 こんな時になんでそんなことに命懸けになれるのかと冷静になれば呆れられるだろうけれど、そもそも、モンスターが犇めくダンジョンに自ら赴くような連中が冷静なはずが無い。


「……そろそろフィルムが切れるよ。一旦戻そう」


 ……ずっと待っていた言葉が耳に届いてきた。


 ソヨギは右手を透明な襲撃者の手から放し、手の平を半開きの筒状にしながら筒の出口を虚空に向ける。そして有らん限りの力で叫ぶ。


「……ぁ……! …………ぃっ!!」

 

 グングニル・アサイン。グングニル・アサイン。


 声は出ていなくても、『それ』を声に出そうとする意志性と動作が重要なのだ。声が出ていないとしてもチートスキルは発動しているはずだ。一度実験してうまくいっているから大丈夫なはずだ。大丈夫でなければ困る。


 そして、手元に戻ってくる瞬間、右手を前に押し出してから、腕を引っ込めた。


 腕を引っ込めた直後に、首を絞められるソヨギの背後からカメラ付きの槍が飛んできて、先程までソヨギの腕があった場所を通り過ぎ、そのまま慣性で直進するはずの槍が、空中で、ピタリと静止する。


 さくり、という嫌な音が聴こえた気がした。カメラから飛び出た槍の切っ先が、恐らく悪霊の身体を貫いた。

 普通の武器ならお化けには当たらないのかもしれないが、こっちは大神の力を宿した槍の模造品である。無いよりマシ程度には効くと言うルブフの言葉に縋らせてもらった。


 途端、首を締め上げる握力がふっと消え、ソヨギはその場に崩れ落ちた。


「ソヨギくん! 大丈夫!?」


 オリザとルブフが駆け寄ってきたのはその一瞬あとだ。オリザに抱き起されながらソヨギは激しく咳込んだ。


「カメラ……、フィルムを確認して……。ちゃんと撮れてるか……」

「いまそれ気にしなくていいから! ゆっくり呼吸して!」


 オリザに背中を擦られながらソヨギはゆっくり呼吸する。カビと〇〇ブリーズの匂いを大量に含んでいたが、空気は非常に美味しかった。


「……結界には何の反応も無かった。ここまで接近して気付かないなんて」

 多少困惑を含んだ声で呟きながら視線を上げるルブフ。


 その直後。


 浴室を囲んでいた注連縄は引き千切られるようにあらゆる箇所でぶちぶちと切断され始めた。しかも注連縄を吊っていた式神は握り潰されるようにへしゃげて、地面に落下した。


「…………!!!」


 そして、ホテルの内側、更衣室の暗闇の先から不意に突風が吹く。風は旅館の奥から浴室上の採光用の窓を駆け抜けるように通り過ぎる。一瞬吹き飛ばされそうになったが、オリザに身体を支えられつつ、なんとか踏み留まった。


「〇〇ブリーズが風で吹き飛ばされたな……」


 何故か感心している様子でそう言うルブフの向こうに、ソヨギは更に恐るべき光景を目にした。


 首への拘束が緩んだと同時に地面に落下しそうになったカメラ付きの槍はジンジが拾い上げていたが、そのアルミニウム製の槍が、急にパンと音を立て、二分割に切断されたのだ。


「グングニル・アサイン……!」


 反射的に口にしたソヨギ。


 切断されカメラ部分から落下しそうになりかけていた投げ槍は、切断部を再度接着しながらソヨギの差し出した手に向かって飛んで行った。


 が、ソヨギが槍を掴んだ瞬間、また槍は真っ二つに切断される。


「えっ!? グングニル・アサイン!」


 よろめく槍に慌てながら再度唱えるソヨギ。槍は瞬く間に修復される。


 ぱん。しかしまた切断される。


「グングニル・アサイン!」


 しかし、すぐさま修復される。


 ぱん、また切断される。


「グングニル・アサイン」


 すぐさま修復される。


 ぱん、また切断される。


「グングニル・アサイン」


 すぐさま修復。


 ぱん、また切断。


「グングニル・アサイン」


 すぐ修復。


 ぱん


「グングニル・アサイン……」


 修復


 …………


 ……


 …






「…………」

「…………」

「…………」


 ソヨギ以外の三人は、その無為に繰り返され続ける破壊と再生を怪訝な眼差しで眺めてしまっていた。


 ソヨギも、この延々と続く怪現象(多分霊障とかポルターガイスト現象)に恐怖よりも最早うんざりする気持ちを覚えながらも、しかしカメラを地面に落としてしまうと中のフィルムを傷付けてしまう危険性があるため、心霊現象との千日手に付き合い続けるしかなくなってしまっている。


 むしろ周囲の眼差しが痛い! 誰か何とかして欲しいと思う反面、具体的にどうすればいいか判断出来ていないのだろう。


「グングニ……、あれ?」

 そして、不意に槍の切断が止まった。


 が、その直後突然首元に圧迫感が襲い身体が持ち上げられ、


「それは止めろ!!」


 しかし狐崎ルブフがメダイ付きメリケンサックを装着した右手で思いっきり虚空を殴り付け、肉を抉るような謎の打撃音と共にソヨギの首の圧迫感も無くなった。


「ヘスティア・フレイム!」

 松明を掲げながら叫ぶオリザ。


 松明に火が灯り、ルブフが殴り付けた何者かを煌々と照らした。


 地面に倒れ伏す人の形をした半透明の存在は、オリザに照らされた身体とルブフに殴られた顔面から白い粒子を吹き出し、そのまま消えていった。


「……脅かすつもりで護法効果がある槍を破壊しようとしたら上手くいかなくて突然強硬手段に出てきたわね」


 なんか冷静にさっきの奇妙な状況を分析するルブフ。


「と、とっ……!」

 不意に、風で煽られたようにオリザの松明の火が激しく揺らめき、オリザは慌てて松明の火を頭の上の方に掲げた。


「この火も、急に消えてしまわないでしょうか?」

「それは心配しなくていいわ。オリザの松明の火を吹き消すなんて日本三大怨霊に比類するレベルでない限り無理よ。こんな場末の心霊スポットにそんなの居ない」

 なんかよくわからないけどオリザの灯は決して消えないらしい。なんかよくわからないけど。なんなんだよ、日本三大怨霊って。


「とは言えジンジくん、ステージが変わったわ。いますぐ旅館から出た方がいい」

 ソヨギから槍を受け取り、カメラのフィルムを確認しようとしていたジンジは視線をルブフに向ける。その表情からは、若干の安堵が見て取れた。


「やっぱり、ヤバいですか?」

「旅館そのものが敵意を向けてきているのがハッキリわかる。何らかの行動が、彼らの虎の尾を踏んだみたいね」


 無論、脱出に反論する者は居なかった。全員いち早くここから出たくて仕方が無かった。






 そんな訳で、千切れた注連縄と潰された和紙の式神をオリザの炬火で燃やした(お焚き上げした)あと、速やかに元来た道を引き返す工程に入った。


 先頭は狐崎ルブフ。

 その少し後ろに牧村ソヨギと山野辺ジンジ。一応の気休め程度の護法効果を期待して、二人でカメラ付きの槍を握って歩く。

 そしてその後ろに、殆ど密着するような距離で歩く灯藤オリザ。ふたつの蛍光魔法に加え、掲げる松明に灯った火が暗い旅館の回廊を抗うように照らす。


 階段を上り、B2階からB1階に到着した辺りで、ルブフは首を振り肩を鳴らす。軽いストレッチか?


 B1階の回廊、一階への階段に続く通路は、行きに通ったときとは明らかに違う雰囲気を帯びていた。心なしか闇に濃度が濃く、「何かが出そう」な圧迫感をソヨギにも感じさせる。


 そんな回廊を前に狐崎ルブフは仁王立ちし、おもむろに前方に手を振り、お札を投げる。


「雷帝招来」


 お札は投げナイフのように真っ直ぐと闇の中に飛び、轟音と共に無数の稲光を吹き出す。稲妻に照らされた闇の中で、複数体の半透明の人影が電撃に絡め取られ、全身を硬直させていた光景を最後に、網膜に余韻だけを残し稲妻は消え、また回廊の暗闇だけが残った。


 すご……。


 ルブフの魔法に驚かされつつも、回廊の中で一瞬見えてしまった人影の多さにソヨギはゾッとさせられてしまい、自分がとんでもない場所に来てしまったと改めて思い知らされた。


 そして、全く予想していなかった事態が起こる。




「ふーは、は、は、は、は、は、は、は!」




 突然、狐崎ルブフが笑い出した。


 非常によく通る声の、凄まじく不自然な笑いだ。狂言師が演技として舞台で笑うような『笑う』という記号的側面に特化し過ぎた、全然楽しそうに聴こえない笑い方。


「え……、なに?」

 何か良くないものに取り憑かれた可能性も考慮し、ソヨギは恐る恐る尋ねた。




「無論、笑っているのさ!


 笑い声には古くから破邪の力がある!


 怯えさせようとしている亡者のやる気を削ぐのさ!


 キミも『となりのトト○』くらいは観たことあるだろ?」




 狂言調の笑い声と同じ調子でルブフは背を向けたまま答えた。だから、古いホラー映画を引き合いに出されてもわからないし返答出来ないので止めて欲しい。

 そして笑い声も変だが喋り声もさらに変だ。腹の底から空気を震わすような声を出し、喋り方も芝居染みてて不自然極まりない。男装の麗人が舞台の上で演技しているみたいな大袈裟な喋り方。




「このまま地上まで突き進む!


 付いてきたまえ!」




 大袈裟な口調と大声のまま大股で歩き出す狐崎ルブフ。


「はーは、は、は、は、は、は、は!」


 そして腹の底からの笑い声。


「ぐ、ぎゅあぁぁあああぁあぁぁ!!!」


 前方から、暗闇の不穏な気配がそのまま襲い掛かって来るかのように半透明の人影が悲憤で歪んだ表情を顔面に貼り付けて駆け出してくる。不意に現れた如何にもな悪霊にソヨギは声を出しそうになったが。


「はーは、は、は、は、は、は!!!」


 朗らかな大爆笑をしたままルブフは腰を鋭く落とし、ボクシングのような身のこなしで半透明の悪霊にボディーブローを見舞った。

 メダイ付きメリケンサックの拳で腹を貫かれた悪霊はそのまま白い粒子と共に瞬く間に消え去ってしまう。


 そのまま爆笑と共に群がる悪霊をフックやアッパーを駆使して沈めつつも前進を続け、おもむろにお札を前方に投げまた轟音と共に稲妻を弾けさせる。


「はー、は、は、は、は、は!」


 歩きながら通り過ぎざまに横の扉にばんと平手で叩きつけるようにお札を張り


「背後の守りを考えなくて良いのは楽で良い! は、は、は、は、は!」


 快活に笑いながら群がる霊を次々と殴り倒し、


「ははははは雷帝招来!!」


 向かってくる数が多くなるとまたお札を投げ付けて稲妻で一網打尽にする。


「はー、は、は、は、は、は、は!」


 そして舞台を練り歩くように大股でまた先へと進む。






「…………」


 ルブフがお札を張った扉の傍を通り過ぎようとしたとき、扉からどんどんと、ノックする音が聴こえ震えた。向こうに何が居るかなど考えたくは無かったが、不思議と怖さは感じなかった。


「……頼り甲斐あるなぁ」

 松明を掲げながらしみじみと言うオリザ。


 概ね同意だけど、どちらかと言うとお化けとは別のベクトルでちょっと怖かった。

ある意味、自らが恐怖される対象になりきるのが恐怖を跳ね退ける手段という気もしないでもないが、ルブフはあくまでも『笑い』の持つ陽の力を利用しようとしている訳で。 


 まぁどっちにしろお化けを跳ね退けるのに役には立っているので、文句を言う必要性は無い。



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