第19話 『上三川Deep』の入り口
B1階の回廊を進み、B2階の階段を発見し下階層へと進む。
B2階に付いた途端、何故か視界がやや明るくなっている印象を受けた。
階段を降り切った先は少し広い区画になっており、正面の目立つ位置に、小さな入り口がふたつ並んでいた。
「男湯と女湯ですね……」
見取り図を蛍光魔法の光の玉で照らしながら確認するソヨギ。
とりあえず、パーティーは右側の入り口に入る。
回廊を進むと、明らかにかつて更衣室だったと見られる棚が並んでいる。そして、明らかに今まで進んで来た館内よりも明るく、空気も澄んでいる。光源は、更衣室の更に先にあるらしい。
かつてガラス張りの引き戸があったと思しき鉄の枠を潜り、つるりとした石畳の道を進む。かつて浴場があった場所だと思われる。
「おおぉ……」
「ついに来たね……」
オリザとジンジは感嘆の声を漏らす。
浴場の中心、かつて湯船があったであろう場所に巨大な穴が開いていた。かなり面積の広いはずの浴場の半分以上の面積が、その大穴に閉められていた。
目線より少し高い場所に採光用の窓があり、そこから光と外気が浴場へと入り込んでいる。人間が通り抜けられそうなサイズだが、あの外は恐らく渓谷の崖の真ん中辺りである。ロープなりを伝ってあそこから侵入するのと、へぐ・あざぜるの門番を切り抜けて旅館の暗闇を通り抜けるのとどちらが楽かを問われれば、かなり返答が難しい。
ソヨギは恐る恐る湯船に空いた大穴を覗き込む。
両腕を拡げた大人二人分くらいの直径があり、穴の奥は真っ暗でどの程度深いかはハッキリ見定められない。穴の壁面には下に降りられるスロープや階段は存在しない。
「高難易度ダンジョンあるある。やたら垂直移動を要求する」
ソヨギが口にすると、隣で同様に穴を覗いていたオリザは「ああ、あるある」とくすくすと笑う。
「途中で下移動要求するダンジョンって基本楽な印象無いかも。途中で道が水没してたり」
「あはは、地元だそれ」
不意に、背後でしゅーしゅーと謎の噴射音が微かに聴こえた。
振り向くとルブフが、プラスチックのスプレー容器を片手に、周囲に何やら散布していた。
「えと……、何ですか、それ?」
「え? ああ、これは注連縄の束だ。式神で吊って四方を囲む。簡易的な結界よ」
ルブフの伏せた視線の先を見ると、和紙でできた式神がいつの間にやら取り出されていた注連縄の束(多分ジンジのバックパックに入っていたもの)の先端を何やら超常的な力で摘まみ上げ、ふわふわと縄を引っ張っている最中だった。
いやまぁ、それはそれで奇妙な光景ではあるんだけども……。
「いや、そのスプレーは何かなって?」
巫女装束の美女がスプレーで何かを振り撒いている光景にインパクトがあり過ぎて、注連縄を運ぶ式神が目に入らなかった。
「ああこれ? これは○○ブリーズよ」
ファッ!? ○○ブリーズ!?
「え……、なんで……?」
「もちろん、除霊のため。えっ? ホラー映画とかで○○ブリーズ散布しているシーン、観たこと無い?」
「いえ……、一切無いです……」
てかこの人、ホラー映画にやけに詳しくないか? 神職にとってはホラー映画の履修が必須科目だったりするのだろうか……?
「……そもそも古い時代においては、『悪霊の祟り』と『不衛生による疫病』の区別が付かなかった。呪術師がお祓いの儀式のために行ってきた場を清める行為、例えば掃除とか清酒や盛り塩を用いたりするのは、衛生管理の概念が無い時代に、そういった清めの行為が問題解決に役立つと経験則として知っていたからだ。悪霊を払う儀式が結果的に不衛生を退治していた訳だね。
場を清める行為が『本物』の悪霊に効くのかは正直なところ不明。でも、長い歴史において『場を清める行為』が『除霊に効く』というストーリーが根付いてしまった。これは魔術的には非常に重要なトピックスで、場を清めるための所作が現代魔術で言う所の術式や儀式として成立して対呪詛の効果を発揮する。○○ブリーズでの除菌はやらないよりもずっと効果がある」
「…………はぁ」
はぁ、と言う以外に無かった。いかに珍妙な光景でも専門家が大真面目に行う儀式を、ソヨギに止める道理は無かった。
そしてそのまま神楽を思わせる優雅な舞のようにスプレーによる除菌成分散布を再開したルブフ。しかし隣にいたオリザから無言で同様のスプレー容器を手渡され、止む無く散布に加わることとなった。
式神が浴室の四方を注連縄で囲っている中、ソヨギとオリザとルブフは囲いの中で淡々とスプレーを散布した。
ジンジはそんな奇怪な作業をしばらく撮影してからアンティークのカメラのカバーを開け、非常に素早い動作でフィルムの入れ替えをした。フィルム一本に付きなんと2分くらいしか撮影が出来ないらしく、すでに何度かフィルムの交換を行っている。そもそも、フィルムの所持数の限界とフィルム入れ替えの煩雑さがあり、普段の生配信と違い常にカメラを回している訳ではない。要所要所の撮れ高になりそうな部分でのみ、ピンポイントでカメラを回しているようだ。
そして、浴室を囲むように注連縄が張られ、容器が空になるまで〇〇ブリーズが撒かれ、ようやく本題のダンジョン探索に着手することとなった。壁の四隅にはルブフの式神が計4体ふわふわ浮き、不思議な力で注連縄を摘まみ上げて四方を囲んでいる。
「一応、『上三川Deep探索にロープが必須』っていうのがわかっただけでも収穫と言えば収穫なんですけど……」
4人で穴の縁から下を見下ろし、これからの方針を思案している中でオリザが呟いた。
「ちょっと落としてみますね」
オリザはタイルの破片を拾い上げ、穴の上でそれを手放した。
……1、……2、……さ、こん、と小さな音が響く。
「30メートルくらい?」
「蛍光魔法の玉の操作範囲かな?」
「そうですね、投入してみます」
ジンジの質問に答えたオリザは中空に浮かんだ光の玉の片方を指差し、その指をゆっくり大穴の奥へと振った。指差された光の玉はふわふわゆっくりと穴の底へと落下していく。
「わっ!」
「げぇ……!」
暗闇を照らし縦穴の奥へと進む道程で、あまり歓迎出来ない相手も照らし出された。
穴の絶壁を這い上がろうとするモンスター、レッサーデビルである。
いわゆる『動物性魔法生物』の一種。針金のように細い四肢と胴体と、それに不釣り合いに大きな手足、翼竜を思わせる縦長の頭に細い嘴のような口と鋭い牙と爪を持つ怪物。サイズは人間よりも一回り大きく、動きも機敏で好戦的、集団には出会いたくないタイプのモンスターである。
そのレッサーデビルが、手足の鋭い爪を活かして絶壁を這い上がっている最中であった。通り過ぎる光の玉の眩しさに一瞬身を竦ませたが、見上げる先に探索者を見止め、すぐさま登攀を再開する。
「倒します。まず、ヘスティア・フレイムを解除……、して、大丈夫ですよね?」
「わたしが結界を張った。大丈夫だろう」
ルブフが同意すると、オリザの松明から燃え出ていた灯がふっと消えた。
「スパーク・フレイル!」
そう諳んじ、穴の奥に向かって松明を振り下ろす。松明から複数の紅い光の糸が伸び、束になりながらクライミング中のレッサーデビルに殺到する。紅い糸の先がレッサーデビルに触れた瞬間無数の乾いた破裂音が穴の中に反響し、レッサーデビルは弾き落とされ穴の奥へと落下していった。落下するレッサーデビルの上半身は、吹き飛んで無くなっていた。
「もう一体……!」
オリザは松明を鍋をかき混ぜるように軽く振るう。その動きに併せ紅い糸の束は大穴の奥でしなり、更にその奥で登攀中だった別のレッサーデビルに襲い掛かる。二体目の獲物が、穴の底へと落下する。
……光の玉は穴の底へと到着。光の玉の眩しさと距離の遠さで細部までは見て取れないが、レッサーデビルの残骸がふたつ並んでいるのはぼんやりとわかる。
「もしかして、横道があるかな?」
穴底を覗き込みながらジンジは呟く。
「う~ん、肉眼で観測するのはここが限界だよねぇ……」
「ドローンカメラとかが欲しいタイミングですよね」
「いやそっか、疑似的にならいけるよ」
オリザの言葉で何か思い付いたらしいジンジは、ルブフの方に向き直る。
「このカメラを式神で吊り下げて飛ぶとかって出来ませんかね?」
「……ちょっと重さを確認させて」
ルブフはジンジからカメラ付きの槍を受け取る。一瞬重さを確かめたあと「十分可能ね」と槍をジンジに返す。
「ネジを巻き切ればあとは自動でフィルムが回るからフリーハンドで撮影が出来る。フィルムの長さの都合で撮影出来る時間は大体2分かな」
「横穴の先はどうなってるかわからないけど、この縦穴は出来るだけ素早く降りたいわね」
「わたしは旅館から何か来ないように見張っておきます。あ、蛍光魔法は式神に追従するように設定しておきますね」
……こうして完成したのが魔法とゼンマイバネで稼働する簡易ドローンカメラである。
ネジ巻き式ムービーカメラを取り付けた槍を上からルブフの式神で吊り下げ、式神の背後にはオリザの蛍光魔法で作り出した照明が追従する。
穴の真上に浮いたカメラにジンジは手を伸ばし、ハンドルを回しゼンマイバネを巻く。
撮影に関して特に何も出来そうにないので、ソヨギはオリザと並んで浴室の出口、旅館側の様子を監視することにする。
ジンジがゼンマイを巻き終えカメラから手を離すと、宙に浮いたカメラ付きの槍は式神に吊り下げられたままスッと落下していく。光の玉も少し遅れてそれに追従する。
「……横穴は、かなり大きい。槍を付けたまま入れそうだな」
「もう奥まで着きました? てか、穴のサイズがわかるんですか?」
「ええ、式神と視界を共有している」
「え、でも悪霊が居る場所では心眼は出来ない的なことおっしゃってませんでした?」
「このダンジョンの中からはむしろ霊の気配は無いな。別に問題無く感じるよ」
ソヨギはちらちらと後ろに視線を向けるが、ジンジとルブフが穴を覗き込んでいるだけで、視覚的に得られる情報は特に無かった。
「中はぼんやり明るい」
「へぇ、照明完備のタイプのダンジョンなんだ……。以外だ」
「奥に光源があるようだが。……っ! 拙いな、モンスターが居る。レッサーデビルが3体」
「えぇ……」
「オリザ、ちょっと来て頂戴」
ルブフはオリザに呼びかける。
隣のオリザはちょっと驚いたように目を丸くしながらソヨギに小さく手を振り、なんですか? とルブフの傍まで駆け寄った。
「下に居るモンスターを排除して欲しい。わたしの心眼を共有して貰えれば相手が見えるはずだから、手を繋いで」
「はい……。あ、凄い。視界が二重になってる」
「距離は遠めだけど、出来そう?」
「わたしも、式神を使ってみます。……出でよ、火花の仔」
「……」
「……瞬く間ね。本当に、さらりととんでもない高度な魔法を使うわね。毎度驚かされる」
「あはは……、恐縮です」
「モンスターが居なくなったから前進する。オリザの式神もしばらく待機させて」
「わかりました」
「ダンジョンの内装とか、照明設備はどんな感じですか?」
「照明というより、奥に大きな光源があるような……。あれね」
「……巨大な、奇光石?」
「魔力の筋が、ダンジョン細部に伸びて、小規模な地脈になっている……?」
「これ、多分、モンスターのリスポーンポイントですよ……」
「本当かい!? こんな浅い階層にあるの?」
「ひとつのダンジョンに複数のリスポーンポイントがあるのは珍しくないわね。奥に続く道も結構あるわ」
……非常に興味深い会話が聴こえてくるが、ソヨギは耳を傾けるだけで特に何か意見や感想を差し挟むようなことはしなかった。
ソヨギの視線の先は脱衣所の向こうの廃旅館の闇に向いており、それは最早、息を潜める恐怖ではなく、牙を剝き荒ぶる獣にしか見えなくなっていた。
喋らない、のではなく喋れなかったのだ。
ソヨギはいま、目に見えぬ何者かに首を絞められている最中だった。
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