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カフか

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全体的に涼しいが時折木の隙間から漏れる日差しはじりじりと熱をもっている。

皐月。私は今月から家庭教師の職に就いた。

基本的に受け持つのは小学生から中学生、今向かっているお家の生徒さんは中学一年生だ。

あまり降りたことのない駅もあって不慣れな道を歩いていると、大きな植物の葉に気づかず擦り傷をつくってしまった。

絆創膏は持ってないし買うにしてももう約束の時間になってしまう。

ハンカチで軽く血を拭い住宅地へ急いだ。


多分この辺りのはず。地図アプリで入力された住所を調べながら左の角を曲がった。

すると三、四軒先になにかが見える。

犬…?だとしたら飼い主がそばにいると思うんだけど…。

アプリは犬の方向を指している。

少し不審がりながら歩いていくとそれは犬ではなく人がしゃがみ込んでいた。

余計にドキドキしながら手元のスマホを見る。

ピンはしゃがみ込んだ人の右手にあるベージュの車を指している。

近所の子供が遊んでいるのだろうか。

家へむかいながらたまにぐにゃっとした感触のするアスファルトに違和感を覚えた。


コンクリートの地割れになにか重なっている。

クリーム色の絆創膏だ。

よく見ると落ちているわけではなく地面に直貼りしてあった。

それはまるでこのひび割れが怪我として扱われているような光景だった。

足元から視線を上げて周りを見渡してみると地面のひびにクリーム色が混じっていた。

目の前のしゃがみ込んでいる人にもう一度視線を合わせるとかなり細身な女の子であることがわかった。

折り曲げている脚の奥に華奢な腕が見えた。

その色が異常なことはすぐに分かった。

私のハンカチについている赤によく似ていたからだ。

怪我でもして動けないのだろうか。

「大丈夫?」

と駆け寄り女の子の肩を持ち上げた。

心配はすぐに驚きに変わった。

女の子の腕からは確かに血が流れていた。しかしそれは事故や不可抗力でできた傷跡ではなく、まるで故意に切りつけたようなものだった。

それも一つや二つではなくとにかく腕を埋め尽くしている。

私は同じようにしゃがみ込んで動けなくなっていた。

女の子は驚いた様子から不安な顔をした。

「その足痛そう…。絆創膏いりますか?」

どうやら私の擦り傷を見てそう言ったようだ。

擦り傷。

そうだ、時間!

女の子の肩をつかんでいたほうの腕を見ると時計が十五時五分を指している。

約束の時間を五分も過ぎていた。

頭の整理がつかないまま私は女の子から手を放し車の脇を抜けインターホンを押した。

しばらくするとはい、と女性の声が聞こえる。

「こんにちは。『コティ』からきました、弓浬慧です。遅れて申し訳ありません。」

少し声が上擦ったが練習した名乗り口上はなんとか言えた。

女性からの返事を待っていると背後から

「先生がゆみりさと先生?」

と聞こえた。

驚きと確信の眼で振り返り人物を見る。

しゃがみこんでいた女の子だった。


ドアが開くと青いエプロンを腰からつけた女性が現れた。

生徒さんのお母さんだ。

お母さんはエプロンと同じぐらい青い顔をして私のそばにいる女の子を見た。

私には目もくれず女の子の腕を掴みわなわなとしていた。

「あんた、その腕…。今日は家庭教師の方がいらっしゃるって言ったでしょう、どうして部屋で大人しく待てないの!」

女の子はごめんなさいと絆創膏の箱を持った片方の手で涙をぬぐった。

その箱を見たお母さんはさらに目をつりあげた。

「毎日毎日生きてる物でもない無機物に絆創膏なんか貼って、本当にあんたのおつむはどこにいってしまったんだろうね。

その無駄な慈善活動のお金をだしてるのは誰だと思ってるの。もう今月はお小遣いはだしませんからね。」

女の子の涙はとまらない。

私はどうしていいかわからずなにか言葉を考えていた。

お母さんは少ししてはっとし目の角度を下げた。

「すみませんね、嫌なところをお見せして。相夏、その腕さっさと洗っといで、薬も自分で塗るんだよ!」

相夏と呼ばれた女の子は鼻をぐじゅぐじゅいわせながら玄関で靴を脱ぎ正面にあるドアの向こうへ入っていった。

私もそのあとを追うように玄関に足を踏み入れお母さんに続いて左側にあるリビングに招かれた。

ソファに腰掛けるとお母さんは麦茶をだしてくれた。

私はとりあえず気になっていたことを伺ってみた。

「八柳相夏さん、中学一年生ですね。お電話では小学四年生の勉強範囲をご希望だとお伺いしましたがどういった理由かお聞きしてもよろしいですか?」

お母さんは質問を聞いて少し怪訝な顔をしていたのでまずいことを聞いてしまったかもしれないと焦った。

「娘は小学校に入ってすぐいじめにあったんです。幼稚園の時からなんとなくそんな節はあったんですけどね。

なにか対処を考えて学校に送り出してもお昼前には泣きながら一人で帰ってくる始末で。

そんな子あまり周りにいないでしょう。さすがにあの子に原因があると思いましたし、親として責任を感じているんですよ。

すごい頭のいい大学出の人だって変なことをしたり避けられた経験があるじゃないですか。

変なことをしててもいいから勉強だけでも年相応にできるようになってほしくて今回『コティ』さんにお電話をしました。」

話し出したトーンは怒っているわけではなく恥じているものを口にだす絞り出すような声だった。

いじめられて三年学校に行けなかったんだ。私は麦茶を一口飲んだ。

「そうだったんですね、すみません言いづらいことを聞いてしまって。

わかりました。そうしたら四年生の勉強を中心に取り組んでいきましょう。」

私も精いっぱい言葉を絞り出して前向きに考えた。


左腕を包帯でぐるぐる巻きにした相夏ちゃんが目を真っ赤にしてリビングに入ってきた。

お母さんはそれを見て

「ほら先生が待ちくたびれてるんだから早く自分の部屋に案内しなさい。」

と彼女を急かした。

相夏ちゃんは私に会釈をしてから

「こっちです。」

と小さな声で言った。

私はお母さんに一瞥し、リビングをでて相夏ちゃんの後ろを歩いた。

階段を上って二階に行くと三つ部屋があり、彼女は一番右手のドアを開けた。

「どうぞ。」

と招いてくれた相夏ちゃんの部屋に入ると色んなものが積み重なっていた。

空き箱や片腕がない怪獣の玩具、流行りのカードゲーム。

物はあふれていて恵まれているように感じたが、すべてなにか欠けていたりひしゃげていた。

机の上には何十枚ものカードが置かれていた。

「これピコモンのカードだ。好きなんだ?」

と聞くと彼女は

「それピコモンっていうんだ、知らなかった。」

と首を少し曲げて言った。

「自分で買ったんじゃないの?誰かに貰ったとか?」

「ううん、道で拾ったの。よく電柱に捨てられてるんだ。」

カードを一枚撫でるように指で触る。

「きっといらなかったんだと思う。キラキラ光ってないカードを捨てていく男の子たちを窓からよく見るんだ。

私が拾わないとこのカードたちはただの紙になっちゃう、だから見つけたら家に持って帰ってるの。」

まるで小動物を扱っているように思える仕草だった。

なにも知らない私や誰かがこの部屋にはいれば間違いなくがらくた部屋だと感じてしまうが、彼女はこの部屋で全てに命を与えていたんだ。

片腕がない怪獣の切断面には地面に貼ってあったクリーム色の絆創膏が貼ってあった。

空き箱のちぎれた部分にも。

「そうなんだ。」

彼女は変なのではない、きっと優しすぎたのだ。

私はこの部屋や地割れの絆創膏を見て、そう思いたくてしょうがなかった。

一回でも怖がって肩に回した手を離したことを後悔した。

私は用意された椅子に腰を掛けてプリントとテキストを彼女に渡した。

相夏ちゃんは本当に勉強の内容をほとんどなにも知らなかったが覚えが早く教え甲斐があった。

分からないところがあればすぐ質問してくれたし理解できるまで彼女は自分の中でかみ砕いて飲み込もうとしていた。

教えていると普通に学校へ通い普通に授業を受けていたらこの子は周りよりも秀でていただろうなと感じざるを得なかった。

プリントを何枚か熟し時間もあと十分で終わりというところで私は休憩しよっかと持ちかけた。

「初めての訪問で疲れちゃってない?辛かったら言ってね。」

と私は声をかけた。

「大丈夫。さと先生の教え方上手だからすごく分かりやすくて楽しい。」

さっきまで赤くしていた目はすっかり元通りになり子供らしい笑顔が見えた。

私はその言葉が素直に嬉しくて一緒に笑顔になった。

彼女はズボンの左ポケットから長方形の細い紙をだした。

「さっき渡しそびれちゃったから。さと先生使ってくれる?」

クリーム色の絆創膏だ。

私は受け取って貼ろうとしたが思ったように貼れない。

見かねた相夏ちゃんはそっと私の手から絆創膏を取った。

椅子に座ったまま顔を足に近づけて擦り傷に貼ってくれた彼女はぽつりぽつりと話してくれた。

「みんな命があって、昼間の星みたいに見えないだけでちゃんとそこにいるの。

ちゃんと感情があって鼓動があるの。もしそれが見えたときにね、その子たちが泣いてたり怒ってたりしたら私は悲しい。

だから今全部私が拾うの。」

顔をあげようとして机に頭をぶつけた彼女は困ったような顔で下手くそに笑った。

私は気づいたら彼女の頭に手をのせていた。

「相夏ちゃんは拾う大事さを知ってるんだよね。自分のことは拾ってあげないの?」

自然に口をついてでた言葉を自分の頭の中で繰り返すと、なんだかすごく偉そうなことを言ってしまったと思い同じように困った顔になった。

布で覆われた白い左腕を擦りながら相夏ちゃんは笑った。

「さと先生や学校のクラスメイトは沢山大事なもの持ってるでしょ、手の中は物でいっぱいなの。

私はなにも持ってなくて空っぽだから拾って命をあげられるの。

血だって涙だって温かいものが欲しいならいくらでもあげられるの、私の体はみんなにあげるためにあると思ってる。

そう思わないと生きていけないし、それが叶って死ぬならそれでいいと思う。

お母さんにあげられそうなものは正直見つからないけど。」

笑顔に少し影が落ちた彼女は言葉だけ小学生のままだけど思考はすごく大人びていた。

優しい彼女の意識はまるでこの世になくて気がついたらどこかに消えてしまいそうで怖かった。

私は頭にのせた手を彼女の肩に降ろし力強く掴んだ。二度と同じことをしないように強く強く握った。

彼女は吃驚した顔でこちらを見た。

「私は確かになにか色々もう持ってるかもしれない。けどまだ隙間があるよ。」

彼女の顔がこわばる。緊張と期待と不安で満ちている。

「相夏ちゃんはなにもくれなくていい、そのままでいい。

私があなたを拾うからこのあたりの隙間埋めてくれないかな。」

私は自分の胸の前あたりを人差し指でぐるっと囲って見せた。

彼女は冷めた目じりをまた熱く赤くしてわっと泣き出した。

命をあげる大切さを大人になってしまった私はあまり理解できていないけれど隙間をあげることならできると思った。

クリーム色の絆創膏が私の肌に馴染んだように。

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