第15話あたしとその嫁、どっちが大事なの?


「と、とにかく、僕はもう既婚者になったわけだから。いくら相手が笹森でも、二人きりで食事とかはもうできないからな」

「え? なんで!?」

「不倫になるだろ」


 真剣に答えると、笹森に爆笑された。


「あはははは! その程度で不倫とか真面目か! 考え古すぎない? ウケるんだけどははははは!」

「なにわろてんねん! いや、不倫は言いすぎとしても、世間体とかあるだろ! 新婚で嫁ほっといて他の女と二人で会うとか! 笹森ならどうよ?」

「刺す」

「こわっ! おまえ、色恋には結構軽いほうかと思ってたぞ」

「はあ? そんなわけないじゃん。重すぎるくらいだけど?」

「うん……そうみたいだな……でも、わかったろ?」

「優一朗、あたしとその嫁、どっちが大事なの?」

「……はあ?」


 なんだその質問。そんなのどっちも大事に決まってるだろ。

 いや、俺と琴羽さんが本当に結婚していたら、そりゃあ嫁と答えるのがセオリーで正解でもあるんだろうけど。

 でも付き合いの長さでいったら、笹森のほうが上だ。たぶん、笹森が本気で困って、助けを求めたりしてきたら、僕は笹森を優先してしまうかもしれない。

 けど、それは僕の心情であって、世間的には嫁のほうが大事ではある……よな?

 なら、ここでの答えはこうだ。


「……僕は――」

「あ、もういいや。大丈夫。わかったから」

「まだなにも言ってねえだろ!」

「沈黙は雄弁だよね」

「頭よさげなことを言うな! おまえはもっとバカキャラのはずだろ! 勝手にブレんなよ!」

「失礼なこというなし!」


 黒こげになった肉を僕の皿に乗せてきた。


「……炭を乗せるな」

「もったいないじゃん」


 そう言って、自分の皿にも焦げた肉を乗せた。


 笹森は横暴なようで、実際はかなりまともなことを言っていると思う。

 ただ言い方がよくない。強い言葉を強い口調で言うなよ。死人が出るぞ。


「……はあ。くれ」


 ひょいっと、笹森の皿から焦げた肉を取り上げる。


「あっ! あたしの肉!」

「焦げた肉は僕が食べる。おまえの肉は僕が焼いてやるから」


 「え?」と意外そうに目を見開く笹森。


「あたしが死んだら優一朗が火葬してくれるってこと?」

「あほ。んなこといってねえだろ。つうか冗談でもそういうこと言うなよ。縁起でもない」


 あと発想が怖すぎる。冗談だとしても怖い。


「あたしが死ぬまで一緒にいてあげるよっていう、新手のプロポーズかと思ったのに」

「斬新すぎるだろそのプロポーズ。それこそ新手の詐欺だ。葬儀詐欺」

「うははっ。なにそれウケる」

「ウケをとろうとしたつもりはねえよ」


 ジューシーかつ程よい焼き目をつけた肉を、笑い続けている笹森の皿に盛っていく。

 盛られた肉を当然のように取って食う笹森。椀子蕎麦ならぬ椀子焼き肉だ。椀子ではないけど。


「んんん! んまいー! 優一朗、肉を焼くのだけはうまいね!」

「だけは、は余計だ。てか、肉を焼くのなら遥斗のほうがもっとうまいだろ?」

「そーなん? 知らない」

「半年も付き合ってるのになんでしらないんだよ。遥斗と焼き肉来たりしないのか?」

「行かないよー。匂い付くし、めっちゃ食う女って思われちゃうじゃん」

「いいだろそれくらい。たぶんあいつ、めっちゃ食う女の人好きだと思うし」

「えー、やだよ。恥ずかしいじゃん!」

「おまえにも恥じらいとかあったんだな」


 唐突に、トングを持つ手の甲にデコピンをされた。


「いってぇな!」

「デリカシーないこと言うからでしょ?」

「思ったことを言っただけじゃねえか!」

「それがダメだって言ってんの! 優一朗、その黒髪おっぱいさんにも失礼なこと言ってるんじゃないのー?」


 うっ、と思わず言葉に詰まる。

 意図して言ってるつもりはないけど、知らず知らずのうちに言ってしまったことはあるのかも。


「おまえ、その黒髪おっぱいさんとかいうのやめろよ。失礼だろ。琴羽さんだよ。近衛琴羽さん」

「……このえ、ことは……?」


 意味深に呟く。


「もしかして、琴羽さんのこと知ってるのか?」

「ううん。ぜんぜん知らない」

「じゃなんで意味深に呟いたんだよ」

「優一朗が面白い反応してくれるかと思って」


 笹森はケラケラと笑う。いたずらを成功させて満足する子供のように。

 笑う笹森とは逆に、僕はぶすっとふてくされて、肉を米の上に乗せた。


「ああ、そうかよ。そんなことやってる間に時間なくなっても知らないからな。食べ終わったらすぐバイト行くぞ」

「いってらっしゃーい」

「あれ? おまえもシフト入ってなかったっけ?」

「昨日、優一朗の代打で入ったから今日はやすんでもいいよって言われたんだー」

「なんだそうだったのか。それ、マネージャーに言われたんだろ?」

「あ。やっぱわかる?」

「おまえ、マネージャーのお気に入りだからな。僕はあの人苦手なんだよな。たぶん、あんまり好かれてもいないだろうし」

「優一朗、あたしと仲良いからねー」

「お気に入りの笹森と仲のいい僕を鬱陶しく思ってるんだろうな。あの人結婚してるんだし、笹森に色目使うのやめてほしいよなー」

「結婚してても若くて可愛いこがいいんでしょ」

「アホかって思うわ」

「優一朗は嫁一筋?」

「え?」


 思わず素で聞き返してしまった。すっかり他人事と思って話していたけれど、僕も昨日、表向きには既婚者だった。

 やばい。忘れてた。


「あ、ああ……! もちろん嫁一筋だよ。あ、当たり前だろ?」

「ふーん」


 たいして興味ないないなら聞くなよな。こっちはまだ結婚したことにしたことに慣れてないんだから。ほら。今だってちょっとゲシュタルト崩壊しそうになったし。文字でみたら誤字って思われそうな並びになってるし。


「じゃあ、笹森はこの後どうするんだ? 帰るのか?」

「んー」


 と、唇を尖らせて考える笹森。それも一瞬のことで、すぐに「んーん」と首を振って否定する。


「遥斗先輩と会うかな」

「なんかそれ、今思いついたみたいに見えるけど、約束してるのか?」

「してない。これから連絡する」

「急だなぁ。あんまり遥斗を振り回すなよ?」

「当日に焼き肉行こうとか誘ってくる優一朗に言われたくないんだけど?」


 じろっと睨まれて、僕は目を伏せる。


「すまん。笹森の予定が空いててくれて助かったよ」

「普通そんな都合よく空いてる女の子なんていないからね?」

「そうか?」


 現に目の前にいてくれるわけだが、これは笹森が特別暇人なだけなのだろうか?


「僕が連絡するとき、笹森はだいたい来てくれるだろ? だからかなー。なんか感覚バグってたよ」

「はあ……」


 と分かりやすく大きなため息をつく笹森。


「優一朗ってバカぁ? 空けてあげてんのがわかんないの? 普通呼ばれたってすぐ行ったりしないから」

「マジか。無理してきてくれてたのかー。それはわるかったな」

「いや、別に無理とかはしてないけど……」


 と歯切れわるく呟く。


「あたしって結構いろんな人から誘われてるけどさ、いちいち断るのダルんだよねー。理由考えるもめんどいし。そういうときに断る理由にさせてもらってるからいいけど」

「なんだよ、僕を言い訳に使ってたのかよ」


 わざとらしく呆れたように言うと、笹森はにやりといたずらっ子のように笑った。


「あたしの断る理由に利用してもらえてるんだから、嬉しいでしょ? このあと優一朗と出掛けるから無理って言うと、みんな悔しそうにしてるよ」

「厚かましい奴だなおまえ……しかもそれ、僕にヘイトが集まってるだろ」


 どおりで最近、バイト先での男子たちの反応が冷たいわけだよ。


「それこそ、僕じゃなくて遥斗の名前を出して断ったらいいじゃんか。彼氏なんだし」

「やだ。遥斗先輩に迷惑かけたくないし」

「僕ならいいのかよ!」

「嫌そうにしてるけど、優一朗だって、あたしと二人でご飯に行けて鼻が高いとか思ってるんじゃないの?」

「それはちょっとある」


 みんなから注目を集める、誰もが認める美少女であるところの笹森が僕のために時間を割いて呼び出しに応じてくれていると言う事実は、控えめに言ってかなりの優越感がある。正直最高に気持ちいい。

 まあ、完全に、虎の威を借りる狐状態ではあるけど。


 不意に、僕の手の中でスマホが揺れた。

 セットしていたアラームがバイトの時間をつたえてきていた。


「おっと。もういい時間だな」

「バイト行くの?」


 笹森が目ざとく僕の行動を先読みする。


「うん。笹森はどうする? 食べ放題の時間まだ残ってるし、お金は置いていくから、デザートとか食べれば?」

「マジ? やさしー」


 僕は財布から五千円札を取り出して、笹森に渡した。約二千円の食べ放題に四百円のドリンクバー。それがふたり分で、まあ、足りるだろう。


「これ、渡しとく」

「わーい。おっこづっかいー」

「違うだろ」

「そうだ! ここに遥斗先輩呼んで、優一朗の残りの時間を使って食べてもらえばいいんだ!」


 と、とんでもないことを言い出した笹森の頭に、僕は空手チョップをくり出す。


「いったぁ!」


 笹森が両手で頭を抱える。


「バカタレ。それはルール違反だ。みっともないまねをするんじゃない」

「うう、冗談なのにぃ……!」

「ったく、悪質な冗談はやめろよなぁ……まあ、頭叩いたのは悪かったよ。謝る」


 直撃を与えた辺りを軽くさすって、笹森の頭から手を離す。

 笹森も嫌そうにはせず、僕の掌を頭で受け止めている。

 こうしていると本当に妹みたいだなと思う。まあ、僕に妹なんかいないから、イマジナリーシスターと重ねてそう思ってるだけなんだけど。


「ねえ」


 と僕の掌を頭に乗せた笹森が上目遣いに見上げてくる。


「ん?」

「こーゆーこと誰にでもしてるの?」

「なんだよ、こういうことって」

「頭撫でたり」

「してない。てか、僕の性格でそんなことできるわけないのわかってるだろ」

「たしかにーでも、お嫁さんにはしてるでしょ?」

「し、して………………なくはないかな?」


 かなりウソ臭い肯定になってまった。実際してないから、ウソをついたわけだけど。


「おい、なんで僕を睨む?」

「べっつにー」


 ぷいっとそっぽを向く笹森。

 笹森の頭から手をどける。

 こういうの、笹森相手なら平気でできちゃうけど、他の人にってなったら無理だなー。

 正直、琴羽さんが相手でも、意識しちゃって無理かも。


「じゃあ、マジで時間やばいから、先に行くぞ」

「うん。ご馳走さま、優一朗」

「おー」


 笹森をひとり残して焼肉屋を出る。

 ちょっとのんびりしすぎたかもしれない。

 今日は瀬和さんが店の責任者だから、遅れたところでこっぴどく叱られたりはしないだろうけど、だからと言って遅れていいわけじゃない。

 競歩の勢いで走って、なんとかシフトの時間には間に合わせることができた。

 

 ちなみに、瀬和さんには、バイトにはいってからすぐに、「焼き肉いった?」と問われた。そんなに焼肉の匂いがしたかな。

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