第14話うっひゃへへっほんひへうははやひいひ
「ぱふあっ」
僕が笹森の口から烏龍茶を吹き掛けられたのは、約束していた焼肉屋の席についてすぐのことだった。
「おわっ! 汚え!」
「ゴッホ、ゲッホ! ウェッホ……! ……ぎだなぐないじ……! うぇ……!」
えずく笹森を見てさすがに心配になって、未使用のおしぼりを差し出す。
「おいおい、大丈夫かよ、笹森。ゴリラみたいになってるぞ」
「だいじょばない……!」
涙目で僕を睨みながら、ひったくるように受け取ったおしぼりを口もとにあてる。
「ケホッ……結婚? なにそれ。聞いてないんだけど」
「急だったんだよ。伝える暇がないくらいに」
なにしろ決まったのも聞かされたのも昨日なのだから。
そんな言い訳が笹森に通用するはずもなく、相変わらず怒り心頭の様子で、乱暴に肉を網の上に乗せていく。
怒っていても肉は焼くのか。
「なんで笹森が不機嫌そうにするんだよ。僕の結婚を喜んでくれないのか?」
「……なんも言ってくんなかったじゃん。彼女いるとか、結婚考えてるとかさ」
「それは……まあ、すまん。でも、そこが不満なのか?」
「それも、不満なの。他にもたくさんあるけど……ねえ、相手誰?」
肉を網に乗せながら、笹森は素っ気なく聞いてきた。
「昨日一緒にいたあの人だよ。笹森も見ただろ」
「え! あのおっぱいの大きい黒髪美人? うっそだぁ」
「本当だよ。てか、お前そんなところ見てたのかよ」
「優一朗だって見てたくせに」
「みみ、見てねえ! その現場を目撃してたみたいに言うな!」
網に乗せるだけ乗せられた肉がみるみる焼けていく。
まったくひっくり返そうとしない笹森に代わって僕がトングを握る。
それを見た笹森が、中身の減ったコップを持って立ち上がる。そのままドリンクバーの機械へと向かうのを、僕は黙って見送った。
しばらく、僕はほどよく焼けて肉汁が溢れ出る面を上にする作業に勤しむ。
意外と時間をけて何を飲むかを厳選していたらしい笹森が、黒い炭酸の液体を入れて戻ってきた。コーラっぽいな。
「よいしょ」とちいさく言いながら、ボックス席の長椅子のうえで尻をスライドさせる。
「いつから?」
唐突に問われて、僕は肉を見るのをやめて顔を上げる。
「なにが?」
眉間にシワを寄せてジトッと睨む笹森と目が合った。
「いつから付き合ってたのかって聞いてんの。あたしに気付かれずに彼女をつくるなんて器用な真似、優一朗にできるなんて思わなかった」
「付き合ってないよ。お見合いだったし」
「お見合い? いまどきお見合いとかあるんだ?」
「そりゃあるだろ」
「お見合いって、もしかして昨日?」
「そうだよ。久しぶりに会ったって言ったろ?」
「あのあと結婚した……ってこと? なにそれ、おかしくない?」
笹森の目から怒りの感情が消えて、疑惑に変わる。
鋭い……わけじゃないか。僕だって、笹森が数年ぶりに会う友人と再会した直後に結婚した、なんて聞いたら、おいおい大丈夫かよ? って思うもんな。
「い、いろいろ事情があるんだよ」
苦し紛れに答える僕を、笹森が険しい目で睨む。わたしは不機嫌です、と全力で主張している。
「いろいろってなに?」
笹森が容赦なく切り込んでくる。
こいつはそういうやつだった。適当に誤魔化して納得してくれるとも思えないけど、事実を事細かに伝えるわけにもいかない。
嘘の話を捏造するって手もあるけど、万が一琴羽さんと笹森が出会うようなことがあれば、穴だらけな僕の作り話は一発でバレるだろうし、そうなったあとの笹森の態度を考えると恐怖しかない。
「いろいろは……いろいろだよ」
「なにそれ?」
ズズズズ、と乱暴にコーラをストローですする。
伝えられる部分だけをピックアップして、なんとか納得してもらうしかないけど、たぶん、伝えれば伝えるほどわけわからなくなりそうだな。
「騙されているとかじゃないよ。それだけは違うっていえる」
ストローをくわえたまま、上目遣いにチラッと僕を見る。
その目はすぐに手元のコーラに戻されてしまう。ただ、笹森の態度からちょっとだけ、つんけんした雰囲気が消えた気がする。
とはいえ、伝えられることなんて、せいぜいこの程度だ。
あとは、結婚したという情報だけ。
本当は結婚していない、偽物の夫婦だと伝えるわけにもいかない。
この秘密は、知っている人が一人でも少ないほうがいい。しかも、事情を他人に知られて立場が悪くなるのは琴羽さんだけだ。僕の都合で勝手に他人に秘密を話すわけにはいかない。
「ごめん、笹森。細かな事情は話せないんだよ」
それを聞くと、笹森は焼けていた肉を手早くかき集めて、自分の皿に積み上げた。
「ふーん。じゃあいっか」
ため息をひとつ吐いて、笹森はあっさりと僕への追求を取り止めた。
「……え? いいのか? そんなあっさり引き下がって」
「は? なにそれ。追求してほしいわけ?」
「いやいや、そうじゃないけど……」
「肉、追加して極楽カルビ四人前ね」
「お、おう」
言われるがままに、僕は注文用のタッチパネルに指を走らせる。食べ放題だから、四人前だろうとなんの気兼ねもなく注文できる。
「優一朗が話せないような内容の事情ってことはわかったから、もう十分」
素っ気なく言って、笹森はさっさと話題を切り上げる。
あーん、と小さな口で豪快に肉をほうばる。続いて白米をひと口含む。
「うっっっま!」
笹森は口いっぱいに米と肉を頬張り、幸せそうに租借しながら呟く。
実に美味そうに食うやつだ。そんなの見たら僕も食べたくなるだろ。
「優一朗も食べなよ」
「今きてる肉は全部おまえの皿に乗ってるだろ」
「あ、そっか」
ぺろっと舌を出す。
こいつ絶対わかってて言ってやがる。つまり、ただの嫌がらせだ。
僕の結婚の詳細を聞き出せないうっぷんを別の形で発散しに来やがったな。なんて悪知恵の働くやつだ。
笹森は自分の箸で皿の肉を掴むと、僕の口元に向けてずいっと差し出した。
「はい。あーん」
「い、いや、いいよ。おまえが食べたくて皿に取った肉だろ? 笹森が食えよ」
「羨ましそうにあたしの肉を見てたじゃん」
「そりゃ、笹森が美味そうに食うから……てか、食べ放題なんだから、食いたかったら勝手に頼むから、俺のことは気にするなよ」
「ははーん。ひょっとして、あたしのこと意識してるんじゃないの? あーんてしてもらうの、ドキドキするんでしょ?」
笹森は勝ち誇った顔でニヤリと笑う。明確に挑発していやがるなこいつ。
「安い挑発はやめろよ。別に笹森の差し出す肉なんか余裕で食べられるけど、おまえの挑発に乗るのはなんか嫌だってだけだ」
「急に早口になるじゃん。言い訳?」
「面倒くせえな!」
食え、いいや食わぬ、とやり取りしているうちに追加の肉が運ばれてきた。
顔は笑顔なのに目が死んでいた。店内で騒ぐなバカップル、という心の声が聞こえてくる気がする。
仕方なく、笹森が箸で摘まんでいた肉を僕の皿に置かせて、新たに運ばれてきた肉を店員さんから受け取った。
「……ったく。今回だけは食ってやるけど、食べ物で遊ぶようなことはするなよな?」
返事をしない笹森。
「返事は?」
「はーいはい」
俺の言うことなんて全く響いていない、と言わんばかりの軽薄な調子で返事をされた。
言っても無駄だということは僕もわかっているので、深く気にせず、新しい肉を焼いていく。
笹森はしばらく無言で肉を食うことに集中していた。
やれやれ。やっと僕も落ち着いて肉を食える。
そう思っていい感じに焼けた肉にタレを絡めてご飯の上に置いた、その時だった。
「ねえ。結婚した理由が言えないのってさ、相手側のほうに事情があるんでしょ」
「ゴッフ……!」
うまい肉を喉に詰まらせた。
「うっ! げほっ! ……え? な、なに? いきなりなんのはなしー?」
断定的な言い方の笹森の目を僕は見返すことができない。
「だって優一朗に事情があったら教えてくれるじゃん。他人の秘密だから意地でも言わないって決めてる。そんな決意に満ちた顔してるし」
「うそ……え? そんな具体的な顔してたか、僕?」
「うんうん、してたしてた」
肉が焼き上がると、笹森の意識は食事に集中された。美味いものを一番美味いタイミングで食べたい、笹森がよく口にしている言葉だ。
肉、白米、肉、白米、肉、肉、白米、と軽快に箸を動かしていく。
僕は事情の一部を見抜かれたことに動揺して、肉を食べるどころではなくなった。
「うっひゃへへっほんひへうははやひいひ」
「食べながらしゃべるな。なに言ってるかわかんないし、行儀も悪いぞ」
リスのようにほっぺたを膨らませて租借して、コーラといっしょに飲み込んだ笹森は、ふう、と一息吐いて言った。
「ぶっちゃけホントに結婚してるかあやしいしね」
一瞬強ばった僕の表情を、笹森は見逃してくれただろうか。
「な、なにいってんだよ。したよ!」
「ふーん」
笹森は疑ってもいないし、かといって信じているともいえない顔をしていた。
こいつはほんとに、やけに勘の鋭いときがあるんだよな。
ジト目で疑っているときはまだいい。向こうも本気で詮索しにきていないからだ。だけど、この反応のときはダメだ。すべてを見透かす目をしている。少なくとも僕にはそう見える。
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