第9話嫁の父親
× × ×
琴羽さんと、琴羽さんのお父さんが、僕の部屋のリビングのソファに座っている。
なにこの状況。
初手からこんな、まったく現実味のない光景を見せつけられて、何かの撮影か、もしくはドッキリやいたずらを仕掛けられているんじゃないかと疑いながら、僕は紙コップにコーヒーを淹れて、ふたりの前に差し出した。
「インスタントですが」
「ありがとうございます」
琴羽さんが言い、
「い、いえ……」
僕は自分の分のコーヒーを持って、広明さんの向かい側、琴羽さんからは斜向かいになる位置に座る。
「あの、それで用件はなんでしょうか?」
「ははは。せっかちだなあ、優一朗くんは。
僕は内心ムッとしながら、広明さんがコーヒーに口をつける様子を見ていた。
あの親父と似ているところなんて一カ所だってあってほしくはない。
「琴羽から、今回の結婚についての事情は聞いたかな?」
「はい」
「そうか。琴羽、ちゃんと説明できたかい?」
「で、できました! ……おそらく……」
「ははっ。がんばったんだね」
「もう、お父さんっ」
ふたりの親子の関係はとてもいいみたいだ。帰国して最初に頼ったのが父親だって言っていたし、広明さんは琴羽さんの味方なんだろうな。
「それで、優一朗くん。琴羽と一緒に帰宅したということは、偽装結婚の相手を引き受けてくれたと思っていいんだね?」
「はい」
「そうか。念のため、君がそう決めた理由を聞かせてもらえるかな?」
「琴羽さんには、昔、とてもお世話になりました。あ、それは琴羽さんだけに限ったことじゃなくて、ご両親や、近衛家の皆さん全員にお世話になったわけですが……なので、その恩返しがしたくて、引き受けました」
広明さんはじっと僕の目を見詰める。
その視線の力強さに、つい目を逸らしてしまいそうになる。嘘でも偽りでもなく、本心からそう思っているのだから、目を逸らす必要なんか全然ないんだけど、大人の男性で、しかも仮にも結婚する相手の父親に見つめられるというのは、プレッシャーが半端ない。
この場に琴羽さんがいてくれてよかった。嫁の父親とふたりきりにされたりとかしたら泣くわ。
不意に、広明さんがフッと笑う。
「そんな泣きそうな顔をしなくてもいいよ」
「え! し、してませんよ! ……まだ」
「疑ってしまってすまない。親友の息子とはいえ、娘を一時的に嫁がせるわけだからね。父親としては心配なんだ」
「お、お父さん! 失礼ですよ……!」
広明さんの服の袖を引きながら、琴羽さんが咎める。
「いえ。気持ちがわかるとは言えませんが、心配になるのは当然だと思いますから」
「大人だね。慶介の息子とは思えないよ」
「むしろああいう父親を見てきたから、こうなったとも言えます」
そうかもね、と言って、広明さんが笑う。
そして唐突に、テーブルの上に小さな四角い箱を置いた。どう見ても、指輪を入れているケースだ。
「これが琴羽宛てに届いたんだ」
パカッと蓋を開ける。思ったとおり、中には指輪が納められていた。
宝石の知識に疎い僕でもわかるくらい、大きなダイヤモンドがあしらわれた指輪だ。
琴羽さんが困ったように目を細める。
「……あの方からですか?」
「そう。オリバーくんから託された指輪を、お義父さんが持ってきたんだ」
「おじい様が……! というこは」
「うん。お義父さんはもう、日本に来ているよ」
部屋の中が重く緊張した空気に変わる。
僕だけが、その緊張感から取り残されていた。
「あの、オリバーくん、というのは?」
「おじい様が決めた、わたしの結婚相手です」
「あ、やっぱり……」
顔も年齢もわからないけれど、ダイヤの指輪を贈ってくるあたり、経済的には僕より遥かに裕福な人なんだろうと想像できる。名前の格好良さでも負けてる気がする。
琴羽さんは指輪の箱の蓋をそっと閉めた。それを広明さんに差し出す。
「これは受け取れません。あの方にお返しするように、おじい様に伝えてください」
「そうだね。そういうと思ったよ」
広明さんはすんなりと指輪の箱を受け取った。
空気が重い! 結婚の話をしているはずなのに、まるで訃報の連絡を受けたみたいじゃないか!
「で、ですが、指輪まで買って送ってくるなんて、すごい行動力ですねー」
「うん。彼は琴羽に一目惚れだったようでね。かなりご執心だよ」
「えっと……今でもですか?」
「今でも」
おっと。全然諦めてないっぽいですね。
おじいさんと聡子さんと、そのオリバーって人を欺かないといけないわけですか。敵、という言い方は違うかもしれないけど、これ以上増えないといいなあ。
「彼はお義父さんのビジネスパートナーの息子さんらしくてね。すでに親の事業を手伝っているらしい」
「すごぉい……」
僕の口から本心が漏れた。玉の輿ってやつだ。立派な社会人だし。いや、相手強すぎんか?
急に自信がなくなってきた。
「その人と結婚するの、嫌なんですか?」
一瞬、僕と目を合わせた琴羽さんは、はっきりと頷いた。
「はい」
聞いた感じだと、結婚したくない理由を見つけるほうがむずかしいくらいの量物件のような気がする。
まあ、本人に会ったことがないから、性格が好ましくないとか、顔が嫌とか、生理的にむりとか、いろいろあるのかもしれないけど。琴羽さんのことだから、容姿で嫌いになるとかはないような気もする。
「はは。優一朗くん、どうして琴羽がこの結婚に乗り気じゃないのかわからない、って顔をしているね」
「え! そんなにわかりやすい顔してましたか?」
琴羽さんは珍しくムッとした表情を僕に向ける。
「お金や家柄も大事だと思いますけど、わたし自身が納得できないと結婚したくありません」
「こう見えて琴羽は頑固なんだよ」
「お父さんっ。もう、頑固なんかじゃありません」
プンスカと怒って隣の広明さんの肩を叩く。
本当にただの肩たたきくらいの威力しかない琴羽さんの拳を、広明さんは笑って受け止めている。
「あの、もし僕が断っていたら、どうするつもりだったんですか?」
琴羽さんの細い肩がぴくりと震えた。
僕の質問に対して、広明さんは気まずそうに視線をそらした。
「たぶん、琴羽はお義父さんの決めた相手と結婚していただろうね」
「え! なんでそうなるんですか? 僕の他にも候補とか居なかったんですか?」
「うん。いないよ。そもそもこの偽の結婚の話は、私が君のお父さんに愚痴っていたら、うちの息子と偽の結婚をさせてカムフラージュしよう、っという発言から始まったんだ」
「いや、たしかにそう言ってましたけど……」
「近衛家の問題に、関わりの薄い他人を巻きこめないよ」
「絶賛僕が巻き込まれているんですが……」
「だって優一朗君のことを関わりの薄い他人だなんて思っていないからね」
「う……」
その言い方はずるくないですか。殺し文句だ。
他人から期待されることに慣れていない僕なんかは、ついその期待に答えたくなっちゃう。
「わ、わかりました。それで、具体的には、僕はなにをしたらいいんですか?」
「お義父さんが日本に滞在している間、琴羽と結婚していることにして、夫婦として生活してくれればいい」
「それだけですか?」
「ははは。頼もしい発言だね。言っておくけど、ただ一緒に暮らせばいいって話じゃない。夫婦として生活するんだよ?」
「……ひょっとして、誰にもバレずにですか?」
「当然、そうだね。二人の結婚が嘘だとお義父さんにバレたら最悪だ。それこそ、欺いていたことを理由に琴羽を外国に連れ戻しかねない」
サッと、琴羽さんの顔が青ざめた。
連れ戻されるということは、すなわち強制結婚成立、ということになるのかもしれない。
「ちなみに、おじいさんが日本にいる期間はどれくらいですか?」
「わからない。一週間かもしれないし……」
「ああ、それくらいなら――」
「一年かもしれない」
「困ります!」
「なんてね。一年というのは冗談だよ」
「……」
真顔で、冗談を言われたってわかるわけない。親父ギャクだとでも言いたいのか。
「あの、それって、もし一生日本に滞在していたら、琴羽さんは一生、僕と嘘の結婚をしたままってことですか?」
琴羽さんが密かに、はっと目を見開く。
「……そういえばそうでした」
「そこまで考えていなかったんですね……」
広明さんは拳を口元にあてて、ふむ、と唸る。
「まあ、そうだね。そこについては、あまり心配する必要はないよ」
「……はい?」
その言い方は聞き捨てならない。
「貴方もですか?」
「どうした優一朗くん。怖い顔をして」
「おじいさんも、聡子さんも、みんな琴羽さんの人生をなんだと思っているんですか?」
「優一朗さん……」
琴羽さんが怯えてる。
困らせたいわけじゃない。けど、どうしても口が止まらない。
「自分の娘だからって思い通りに好き勝手していいと思い込んでるんじゃないですか? なんで心配する必要がないんですか? めっちゃ不愉快なんですけど!」
久しぶりに、咽が痛くなるくらい声を出して怒った。遅い時間だったら隣の部屋から壁ドンされるんじゃないかと思うくらい、近所迷惑な声量だった。
「これは言い方が悪かったね。君にも琴羽にも謝罪しよう。申し訳ない」
「お父さん……」
「だが、決して琴羽を蔑ろにして、気にする必要はない、と言ったわけじゃない」
「わかりました。広明さんの言葉を信じます」
「ありがとう。まあ、実をいうと、お義父さんは海外での仕事が忙しい身だ。それになんだかんだ琴羽のことは溺愛している。琴羽が幸せそうなら、納得して仕事に戻るだろう」
しばらくの間、黙って話を聞いていた琴羽さんが、隣の広明さんの顔を覗き込む。
「おじい様が素直に納得してくださところが想像できません……」
「奇遇だね琴羽。私もだよ」
「ダメじゃないですか! そもそも、どうやって琴羽さんが幸せそうかどうかを計るんですか?」
「近々、琴羽の様子を見に行くと言っていたよ」
「え! ここにですか!?」
「そう。だから、いつお義父さんが様子を見にきても大丈夫なように準備しておいたほうがい」
僕は頭を抱えて唸った。
「いやいや……無理です、バレますって!」
「無理を言っていることは十分承知している。だけど琴羽を助けると思って、力を貸してほしい」
机に額がつきそうなくらい深く、広明さんは頭を下げた。
父親と同じくらい年の離れた大人の人から頭を下げられたのは、はじめてだ。
「お願いします、優一朗さん」
琴羽さんからも、改めて頼まれてしまった。
もうどうにでもなれ、という気持ちで、僕は首を縦に振った。
「わ、わかりました!」
引き受けた瞬間の琴羽さんは心の底から安心したように、ほっと顔をほころばせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます