第6話カフェ・ル・フェイにようこそー


 × × ×


 琴羽さんのお母さんから解放された僕は、念のため尾行を警戒して、最寄り駅からひとつ先の駅で降り、ダッシュで反対側のホームまで行くと、元来た方向へ向かう電車に滑り込み、今度こそ最寄り駅で降りた。

 さっきの改札口での攻防といい、迷惑極まりない行為だということは十分理解しているものの、それでも警戒を怠るわけにはいかない。

 この駅も幾つかの路線への乗り換えが可能で、立派な商業施設も内包している。さっきの駅には劣るものの、利用者はかなり多い。

 人の波に押し流されるようにしながら改札口に切符を通したところで、はっと気がついた。


「琴羽さんの連絡先知らないぞ!」


 やらかした! 普段女性と連絡先を交換するようなことはないから、すっかり忘れてた!


「親父なら連絡先を知ってるかもしれない……けどなあ」


 本音を言えば、あまり頼りたくはない。こちらから親父に連絡を取るという行動がすでにもう気が滅入る。

 ついでにいうと、親父に琴羽さんの連絡先を知っててほしくない。なんか嫌だ。


「バイト先の店の名前を伝えてなかったのも失敗だったな。どうしたもんか……」


 ぶつぶつと独り言をつぶやきながら、ゆっくりと改札口を離れる。


「親父に借りを作るのは嫌だけど、さすがにそうも言ってられないな」


 連絡を取ることを決めて、スマートフォンを取り出す。同時に、歩くのをやめた。

 その瞬間、背中になにかが当たった。


「……んぷっ!」


 くぐもった呻き声が、僕の肩甲骨あたりから聞こえる。

 突然立ち止まったことで後ろを歩いていた誰かが僕の背中に当たったのかもしれない。

 だとすると、よほどぴったりくっついていたことになる。

 おおかた、スマホでも見ながら歩いていて、前を見ていなかったんだろう。


「気を付けてください……よ?」


 文句を言いながら振り向くと、鼻を両手で押さえた琴羽さんが、困った様子で僕を見上げていた。


「すすす、すみません、すみません!」

「琴羽さん! よかった、会えて……あ、鼻、大丈夫ですか?」

「はい、平気です」


 鼻先をさすりながら気丈に微笑む。

 通行の妨げにならないように端に寄り、改めて琴羽さんと向き合う。


「よくすぐに見つけられましたね」

「ずっと改札口を見ていましたから。いつ、あそこから優一朗さんが出てくるのかなって、ドキドキしてました」

「ずっと見張ってたんですか?」

「はい」


 答えてすぐに、ハッとなにかに気がついたようで、ちょっと顔を青くしながら僕を見上げた。


「すみません、待ち伏せとかして……気持ち悪いですよね」

「いやいや、ぜんぜん! むしろよく見つけてくれましたよ! 店の名前伝えてなかったし連絡先もわからないから、どうしようかと思ってました。琴羽さんが見ていてくれて助かりましたよ」


 琴羽さんはほっとした様子で、わずかに微笑んだ。

 安心したせいか、琴羽さんのお腹から、きゅるるるる、と可愛らしい悲鳴が聞こえた。顔を赤くして、服の上からお腹を押さえている。


「す、すみません、はしたなくて……!」

「全然そんなことないですよ。お店に着いたら、なにか食べましょう。うちのバイト先、料理にはけっこう力を入れているんですよ」


 余程恥ずかしかったのか、琴羽さんは赤く火照った顔を両手で押さえたまま、小さくこくっと頷いた。


 × × ×


 駅から徒歩五分。

 大通りから脇道に逸れたところに、隠れ家的な喫茶店がある。

 木目調の青い壁に金文字で『カフェ・ル・フェイ』と書かれた外観は、イギリスの老舗喫茶店のようだ。

 まあ、僕はイギリスなんて行ったことがないから、従業員の人たちが話しているのを聞いて、ああそうなんだって思っているくらいの認識だけど。

 この喫茶店は古風な英国をコンセプトとしたデザインと料理を売りにしている。

 制服も民族衣裳風のメイド服といったデザインで、コルセット・ジャンパースカートっぽいつくりをしている。

 制服は男性客を中心に非常に人気があり、店内の装飾は主に女性客から気に入ってもらえている。

 たまに雑誌で紹介されたりもしている、人気な喫茶店だ。


 扉を開けると、頭上で来店を知らせるベルがチリンチリンと鳴った。

 入口付近の席を清掃していた店員の女性が、ベルの音に気がついて顔を上げた。


「いらっしゃいませー、カフェ・ル・フェイにようこそー……は?」


 金髪のポニーテールを揺らしながら振り向いた少女が、僕を見て不機嫌そうに顔を歪めた。


「おい笹森。客に対して、は? はないだろ」


 さっき電話でバイトのシフトを交代してもらった女の子、笹森すずだ。


 僕の一つ年下で、現在は大学一年生。派手な金髪に青いカラコンのギャルだ。

 まあ、本人にギャルと言うと「ギャルじゃないから」と返ってくる。彼女の中ではギャルではないらしい。なにがどう違うのか僕にはわからないけれど、面倒くさいので勝手にギャルということにしている。

 陽気で物怖じしないせいか、人によっては苦手とされるくらい勢いのある性格をしているけれど、顔だけは抜群にいいから許されている節がある。

 けっこうズバズバ言いたいことを言うせいでトラブルにもなるけれど、それらすべてを補うだけの愛嬌があるせいで、結果、人に好まれる要素になっている。

 背はそれほど高くはないものの、手足が長く姿勢がいいせいで、実際の身長よりすこしだけ大きく見える。

 ただの喫茶店の店員でありながら、固定ファンが何人もついているくらい人気の笹森は、カフェ・ル・フェイの看板娘だ。


 そんな笹森は僕を見下すように……実際の身長的には圧倒的に僕のほうが高いけれど、笹森の態度的には完全に僕を下に見ている……しながら近寄ってくる。


「あたしにバイトを押し付けたくせに、客として店に来るなんていい度胸してるじゃん」

「どうしても外せない急用だって言ったろ」

「ふーん。急用ねえ。あたしのデートを潰して自分のデートを優先させることが急用なんだ?」


 そう言って、笹森はじろっと琴葉さんを見る。


「……めっちゃ美人じゃん」

「だろ?」


 僕の手柄でもないのに意味もなくドヤる。

 勝手知ったる店に琴羽さんを連れて来るのはよかったんだけど、笹森と会わせることになるのだけがネックだったんだよなあ。

 こいつ絶対うるさいし。なんならもうすでにうるさいし。


「言っておくけど。デートしたいから笹森にシフト代わってもらったわけじゃないからな」

「あー、うん。たしかにそうだわ」

「なんだ。やけにあっさり信じてくれるじゃんか」

「そりゃそうだよ。優一朗があんな美人とデートとかあり得ないし」

「うっせえ。わかったら、さっさと席に座らせてくれよ」


 笹森を避けて、僕は見慣れた店内を横断して、奥の人気のない席に琴羽さんを案内した。

 ふたりがけのテーブル席の奥に琴羽さんを座らせる。


「おすすめはローストビーフサンドですよ。お腹空いてるなら、それがいいと思います」

「いいですね。そうします」

「それじゃあ、僕は注文してくるんで、すこし待っていてください」

「あ、わたしが行きます」


 席を立とうとする琴羽さんを「いいですよ」と言葉で押し止める。


「よく知る店なんで、パパッと注文してきます。疲れましたよね? ゆっくりしていてください」


 琴葉さんを残してレジへ向かうと、不機嫌そうな顔で待ち構えていた笹森に二の腕を捕まれた。


「痛いって。肉を摘まむな」

「猫かぶり」

「おまえ、失礼だぞ。琴羽さんに恨みでもあるのかよ」

「違う。猫かぶってるのは優一朗のほうじゃん」

「バカ言え。完璧すぎる紳士ムーヴだっただろ。あれが本来の僕の姿だよ」

「あたしにはあんな気遣いしたことないじゃん」

「まあ、気を遣う必要がないからな」


 ぎりっと、さらに二の腕の肉が締め付けられた。


「いだだだだだ! やめろバカっ、アザになるだろ!」


 不意にぐっと腕を引かれた。同時に、笹森の顔が迫る。リップを塗った薄い唇が耳元に寄せられた。

 ふわりと、甘い蜜のような匂いが漂い、鼻孔をくすぐる。


「ねえ、大丈夫なの?」

「なにが?」

「あの人。優一朗、騙されてんじゃないの? 変なアクセサリーとかサプリ売りつけられたりしてない?」

「おまえ……怒るぞ? 大丈夫だよ。あの人は親父の友達の娘さんで、幼い頃によく会ってたんだから」

「はあ? だから大丈夫っていうの、意味わかんないんだけど?」


 たしかに、昔からの知り合いだから僕を騙してこない、なんて保証はないわけだ。笹森のこういう警戒心の強さは見習うべきところかもしれない。


「昔、すごくお世話になった人で、今困ってるみたいだから力になりたいんだよ。けど、笹森のいうこともわかる。ちゃんと考えて行動するよ。ありがとな」


 僕の二の腕を掴んでいた手が緩む。


「ならいいけど。優一朗、けっこうどんくさいからなー」


 言いながら、軽く二の腕を掴んでいた笹森の手の甲にデコピンお見舞いした。


「イッタイなー、もうっ!」

「わるかったな、どんくさくて」

「そこは否定しないんかいっ」

「察しがよかったり効率よく動けるタイプじゃない自覚はあるよ。よかれと思ってやったことが全部裏目に出るなんてことはしょっちゅうだ」


 にやりと、笹森が笑う。


「ぷふふ。めっちゃ優一朗っぽい」

「だから、そんな僕を頼ってくれる人には、できる限り力になってあげたいと思うんだ。結果に繋がるかわからないし、僕の自己満足で終わるかもしれないけど、それでもいいと思ってる」

「いいこと言うじゃん」

「だろ?」

「もう一回言って」

「やだよ! つうか、いいからさっさと注文させろ! とりあえず、ローストビーフサンドふたつと、コーヒーと紅茶、以上だ」

「かしこまりー」

「おまえ、絶対その口調で接客するなよ?」


 なんとか注文を終えると、席に戻る途中で、店長代理の瀬和恭子せわきょうこさんに捕まってしまった。

 アルバイトたちの責任者である彼女は、赤髪で左側の目を隠した美人な人で、もうじき三十歳になる。

 去年、僕が入ったばかりの時に、年齢が幾つくらいに見えるかと聞かれて、二十代前半と答えたら偉く気に入られた。

 その後、机のうえに置かれていた瀬和さんの免許証を見て、生年月日を見なかったことにした。

 若作りしているとかではなく、実年齢より若く見える。顔立ちが幼いのにメイクが大人っぽいから、可愛いより美人に寄っていると、従業員たちは分析している。かなりのヘビースモーカーらしいが、タバコくさいと思ったことはない。

 その瀬和さんに捕まり、琴羽さんとの関係を根掘り葉掘り聞かれ、それを僕がのらりくらりとかわしているうちに料理ができた。

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