第4話琴羽さんのお母さん?
喫茶店を出た僕と琴羽さんは、なんとなく駅方面に向かって歩きながら、落ち着いて話ができる場所を探した。
別の飲食店に入ってもいいのかもしれないけれど、ここは僕の部屋がある最寄り駅ではなく、土地勘もないため、いい感じの店に心当たりがない。
「琴羽さんは、この辺りのお店とかに詳しいですか?」
問いかけながら横を見ると、そこには誰もいなかった。
驚いてさらに後方を確認する。琴羽さんはそこに居た。僕の隣に並ぶことはせずに、一歩下がってあとをついてくる。
一歩下がって男性を立てる、という女性の話は聞いたことがあるけれど、本当にそんな女性がいるとは思わなかった。いや、琴羽さんが一歩下がってついてきているからといって、それが僕を立ててくれているから、とは限らないけれど。
とにかく、今のままじゃ話しづらくて仕方がない。
僕は歩く速度を緩めて、琴羽さんの隣に並んだ。
「この辺りのお店、なにか知っていますか?」
「い、いえ。この地域に来たのは、今日が初めてです」
「そうなんですか」
ということは、親父が琴羽さんをここまで呼び出したってことか。実際ここは親父の勤め先からもそう遠くない。親父のやつ、自分の都合で集合場所決めやがったな。今日は日曜日だけど、親父の仕事に曜日は関係ないらしいからな。
そんなことより、今は場所を決めるほうが先決だ。まさか部屋に連れていくわけにもいかないし、カラオケボックスのような閉鎖空間では、琴羽さんを不安にさせてしまう恐れがある。
「ここからみっつ隣の駅に、僕がバイトしてる喫茶店があるんですが、そこで話をするのはどうですか?」
適度に人目があり、落ち着いて話ができそうな空間はそう多くない。というか、僕には他に思い付かなかった。
一瞬考え込んだ琴羽さんは、すぐに顔を上げて僕を見つめると、ゆっくりと頷いた。
「そうしましょう」
「ありがとうございます。じゃあ、駅に向かいましょうか。というか、すでに向かっていましたけどね」
この場所は東京郊外ではあるけれど、今向かっているのは複数の路線に乗り換えられる大きな駅で、使う人の数も多い。日曜の午後なんてそれこそお祭り騒ぎだ。
歩道橋を渡って、改札のある階へと続く幅広の階段を目指す。
「あっ」
不意に、琴羽さんが呟いた。
「どうしました?」
「わたし今日、定期入れを持ってきていませんでした」
「スマホにチャージしてあったりしませんか?」
「持ってはいますが、お財布として使ってはいません」
「なら、切符を買いましょう。三駅隣の七王子駅なんで、料金は……あ、そういえば、電車移動で大丈夫でしたか? タクシーのほうがよかったりします?」
琴羽さんはゆっくりと首を横に振る。この首を横に振るときに長い黒髪がゆらゆらと揺れるのを見るのが結構好きだったりする。なんだろう。自分にはないものだからかもしれない。いや、そんなことより。
「ならよかったです。普段電車移動とかしないのかもと思って」
「たしかに、電車はあまり使いませんね」
「え? ひょっとして移動は全部運転手付きのリムジンとかですか?」
「ち、違いますよ。バスを使うことが多いので、電車はあまり乗らないというだけです」
「ああ、なるほど」
「おじい様が海外から帰国したときは、お父さんが専属の運転手みたいにお世話をしていますが、それくらいです」
「十分すごいと思います」
記憶の中にある琴羽さんの実家は、何百坪もある武家屋敷風の平屋とかじゃない。現代風の一軒家だ。
ただし、部屋数はやけに多いし、三階建てでガレージなんかもあるし、そこには日本の高級車も停まっていたはずだ。当時の僕にそんなものを見分ける知識はなかったけれど、親父が自分の物のように自慢していたのを覚えている。
まあ少なくとも、一般的な普通の家柄とはちょっと言えないかもしれない。
そんなことを考えていると、突然、スマホの着信音が流れた。デフォルトで設定されているような、よく聞くコール音だ。つまり僕のスマートフォンが鳴っているわけじゃない。ということは。
「あ、すみません。電話が……!」
案の定、鳴っていたのは琴羽さんのスマートフォンだった。
僕とスマートフォンを交互に見ながらオロオロしている。一緒にいるのに電話にでていいのか、出なほうがいいのか、どうしましょう、みたいな様子が伝わってくる。
「どうぞ、電話に出てください」
僕が促すと、安心したように笑って、
「では。失礼します」
といって、優しくスマートフォンの画面を撫でて操作をし、耳にあてた。
「もしもし、お父さん?」
電話の相手は、どうやら琴羽さんのお父さんだったようだ。
階段を上りきったら、改札口は目と鼻の先だ。
通話をしながら階段を上る琴羽さんを気遣いながら、改札口のあるフロアにたどり着いた。
たくさんの商業施設を内包する大きな駅であるために、人の数も思った以上に多かった。
行き交う人々を見るでもなく眺めていると、やたらと目立つ女性を見つけた。
タイトスカートのスーツで、シャツの肩に長袖の上着を羽織っている。小さな顔に掛けた大きなサングラスが駅の照明の光を受けてきらりと閃く。
華やかさでは琴羽さんも負けず劣らず目立ちはすると思うけれど、それとはまた違った種類の華を持っていた。例えば、琴羽さんがシロツメクサのような控えめで可愛らしい花だとすれば、その女性は大輪の薔薇のような、主張の激しい華やかさだ。
なんて。なにを言ってるんでしょうね。華やかさの例えを花でするって? 思いついた瞬間は、上手いこと言ってやったぜ、とか思っても、後々口にしたことを後悔するやつだ。
その女性の後ろには、背広姿の長身の男性がひとり付き従っていた。まるで大女優とマネージャーのような関係にも見える。
「見つけたわよ、琴羽」
「え?」
いつの間にか僕らの目の前まで来ていたその女性は、琴羽さんを見るなりそう言った。
電話をしていた琴羽さんは女性の接近に気づいていなかったから、その言葉に反応したのは僕だった。
女性の姿を見るなり、琴羽さんは顔を強張らせた。
「お、お母さん……!」
「え! 琴羽さんのお母さん?」
ヒールの踵をカツンと鳴らして立ち止まる。モデルのような立ち姿のまま、颯爽とサングラスを外す琴羽さんのお母さん。その下に見えた顔には、たしかに見覚えがあった。怖ろしいことに、七年前から顔形がほとんど変わってい気がする。
「久しぶりね、優一朗君」
「ご無沙汰してます、琴羽さんのお母さん」
「そんな他人行儀な呼び方しなくてもいいのに。前みたいに
「昔の僕ってそんな呼び方してましたか!」
まったく記憶にない。もし本当に呼んでいたとしたら、それは僕が自発的に呼び始めたのだろうか。それとも今みたいに呼び方を勧められてか? 僕の両親が殺伐としていた頃にお世話になっているはずだから、当時の僕は母親ロスの真っただ中だったはずだ。そう呼んだかもしれないし、そう呼んでもいいと言われたら、素直に受け入れていたかもしてない。
……いや! 今はそんなことを考えている場合じゃない!
琴羽さんは、僕の背中に隠れるようにして、母親である聡子さんの視線から逃れようとしている。
たぶん、琴羽さんはお母さんに見つかりたくなかったんだと思う。詳しい事情はわからないけれど、ただの親子喧嘩とかじゃなさそうだ。
「帰るわよ、琴羽」
さらっと、聡子さんは言った。表情はうすく微笑んでいるのに、声には有無を言わせない冷たさがあった。
あんな言い方をされたら、僕だったら従ってしまうかもしれない。しかもその関係性が親子で、子が母親から言われたのだとしたらなおさらだ。
琴羽さんは、僕で体を半分隠して、首を振った。
「いや、です」
「自分の立場を理解しなさい」
「理解しているから、ここにいるんです。わたしは、優一朗さんと……け、結婚しました、から……」
なんだか申し訳なさそうに、琴羽さんは僕との結婚を母親に報告した。
というかそれ、いまするんですか? 母親なんだし、もっと早くから知っているはずでは?
ただ、聡子さんは娘の結婚報告を聞いても、大して驚いたりしている様子はなかった。
「やっぱり、優一朗君が相手だったのね」
顔を曇らせた聡子さんがため息混じりに呟いた。
「やっぱり?」
聡子さんのなかでは、琴羽さんが誰かと結婚することは予想できていたってことか。
しかも、その反応から察するに、どうやらそれは嬉しい出来事ではないらしい。もしかして、娘の結婚を阻止するために探していた、ってことなのか?
どう見てもこのふたりの関係は良好には見えない。敵対しているわけじゃないけど、お互いの希望に沿わない道を辿ってケンカしてる、って感じか。
……たぶんこれ、ただの結婚じゃないな?
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