中編
その日、ヨシーノはめえめえ牧場主のラーマー・パーソンにイラついており、そのうっ憤を晴らすべく、町の居酒屋キナサに赴いている途中であった。ラーマーはこの時代には珍しく金に心を動かさない堅物な男で、ヨシーノの提案にも、部下たちが放つ鋭い眼光にも物怖じすることもなく、首を決して縦に振らなかった。それがヨシーノには面白くなかった。
ラーマーとの牧場の権利を巡る争いは一か月前から続き、その頑固さにヨシーノの方が参りそうになった。
「まったく、あれだけの石頭をどこで育てたのやら」
思わず独り言ちる。部下たちは「まったく、どうしようもない野郎ですね」と相槌を打つが、ヨシーノはそれ以上会話を広げることはなく、キナサへとシカを進めた。
居酒屋キナサは核戦争前こそ病院であったが、戦争後にトーマス・ハービーとその友人たちによってキナサという酒場に作り替えられた。町人たちもそうだが、ヨシーノにとって唯一心を癒す場所であった。キナサが出す銘酒・みむろ杉の喉から鼻まで突き抜ける甘さを存分に味わいたい。
ヤマゾエ町はすっかり閑散としており、住人のほとんどはヨシーノが提示した金を受け取り、怨めかしい視線を送りながら去っていった。おかげで通りにひと気はなく、かわりに野ネズミと野良猫が追いかけっこする様が見れるようになった。
「しかし、この町も随分と古臭い。すべて俺の者になった時、酒以外はすべて作りかえてやろうじゃないか」
「Mr.ヨシーノ。俺はあの店を好きになれない。今日は事務所に戻りませんか?」
忠言したのはラウフだった。ラウフの声はいつだって曽我川のように静かで、大峰山の頂上に吹く風のような冷たさを纏っている。だから、ヨシーノを含めてラウフに小言を言ったり、歯向かう者がいないのだが。
「先生。ご心配ありがたいが、どうにもこの不愉快な気分を酒で流したい。先生は先に戻ってください」
それからラウフは何も言わず、一団から離れていった。ヨシーノは堅物だと心の中で罵り、その背中を見送った。だが、これがいけなかった。
キサナに入ったヨシーノは人気のない薄暗い店内を通りぬけ、カウンターに肘を置く。普段ならナラ州の鹿の様に礼儀正しいトーマスが応対するはずなのだが、今日に限って来ない。ヨシーノの怒りが頂点に達し、ついに声を荒げた。
「どうしたんだ! 客が来ているんだぞっ! 注文を取りに来い!」
「あいにくだが、今日は満席だ。けど、悪党にはもっといい場所を案内してやる」
男の声。声は店内の奥――陽の光も差さない闇の中で聞こえた。
薄暗い闇の中から、声の主が光の元へやってきた。姿が露わになった時、その場にいた全員が息を呑み、呆気にとられた。
裸の男だ。ヨシーノは男が誰だかすぐにわかった。特別執行委任官のマッパ保安官。悪事を働けば、その名を嫌というほど聞かされる。政府の命を受け、独自に処分を下す正義の塊。正義と拳銃以外は身につけない男だ。
ヨシーノが叫ぶより前に――部下たちはすぐに銃を抜こうとしたが――マッパの腰のホルスターから拳銃が抜かれた。
その銃撃は瞬きする暇もなく、一度に数発の弾丸を放ち、ヨシーノの背後にいた三人の部下たちを瞬殺した。
一瞬の出来事であったが、生き残った部下たちは怯むことなく銃を抜き、マッパに反撃した。が、マッパは横っ飛びで銃弾を回避し、弾倉内にあった残りの三発の弾丸をまたコンマ以下の動作で放った。弾丸は三人の部下の胸を貫き、絶命させた。
なし崩しになったヨシーノたちは酒場から大慌てで飛び出し、酒場に向かってやたらめったら発砲した。飛び込んだ弾丸が酒瓶や戸棚のガラスを破壊する音が届いたが、マッパに当たった感触はなかった。
ヨシーノの部下は元オオサカ州のレンジャーくずれであり、腕前はそこらのガンマンに引けを取らない者たちであった。が、彼らは一様に額から脂汗を流し、恐怖を瞳に宿らせていた。無理もない。僅か三十秒足らずで十人の仲間が四人に減らされたのだから。
銃声が鳴り止んで沈黙が広がると、部下たちは野良ネコのように身を強張らせ、のろまな動きで物陰から覗いた。
やがて、ひとりの部下が物陰が飛び出した。部下は緊張の糸が切れ、恐怖を払拭させるように唸り声をあげながら持っていた拳銃を乱射しながら酒場に突入していった。部下が店内に消えるが、外にいた部下たちは続くことなく、ただ事の顛末を見届けるだけにした。
しばらく無音が続いたのち、一発の銃声が響いた。しばらく間があいたかと思えば、突入した部下が胸から血を流しながら酒場からヨタヨタと出てきて、道端に倒れて死んだ。
「ち、散らばって店を包囲しろっ! それと先生をお呼びしろっ!」
思わずヨシーノが叫ぶ。部下たちは弾けるように飛び、指示通りに動いた。
「せっかくの酒が台無しだぜ、ヨシーノ・ク・ズ。あんたの名前はよく聞くぜ。新政府軍の元指揮官で、キョウト州でのヤマシナ区住人の迫害に、不渡りの小切手や偽造書類作成。それから、不当なダイナマイトと銃器の所持。そしていま、保安官に対する殺人未遂の現行犯。ここで簡易裁判を開くぜ」
酒場の入口からマッパの声が届き、颯爽と飛び出た。マッパは突き付けられた銃口に怯むことなく、散らばったヨシーノたちに目配せする。
「お前らは、全員
「野郎、舐めやがって!」
部下のひとりが叫ぶの合図に、銃撃戦が再開された。マッパに向かっていくつもの弾丸が放たれるが、物陰に飛び込んで回避する。そして、身を乗り出して銃撃する部下に反撃し、またひとり絶命する。
「馬鹿野郎、迂闊に飛び出すなっ! 数ではこっちの方が上だっ!」
銃撃戦はまた膠着状態に入る。
ヨシーノたちは悄然した気持ちであった。こちらの銃撃は当たらない上に、向こうが放つ弾丸は正確かつ無慈悲に命を奪っていく。それまで自分たちは悪魔だと自称していたが、それが如何に浅はかであったかをこの場で後悔した。えんじ色のスカーフを靡かせたラウフが、通りの向こうから現れるまでは。
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