後ろに乗って
低田出なお
後ろに乗って
かっかっ。
「え、うそ」
慌てて車を停め、音が鳴った右手後部座席の扉を確認した。
飛び石か何かか? そんなものは見当たらなかったのに。もし目立つ傷がついてしまったら……。眉間に皺を寄せるジャケット姿の先輩を思い浮かべると、冷や汗が一気に出てきた。
ところが、屈み込んで観察してみても、どこにも傷は見当たらない。
不安と焦りが少しずつ苛立ちに変わっていった。
「も〜なんだよお」
しかし、見つからないものは見つからない。仕方なく運転席に戻り、また車を発進させた。
駐車場を曲がる。
かっ、かっかっ
「もおお、なに!?」
もう一度、車から飛び出す。音がしたのは、また右手後部座席だ。
だが、やはり傷など何処にも無かった。
こうして先輩から車の車庫入れを安請け合いしてしまっているが、まだ自分自身の片付ける仕事は残っている。こんな所で時間をかけている暇などないのだ。
頭の中は既に、苛立ちで埋め尽くされていた。
俺は息を吐き出すように強引にため息をつき、乱暴に運転席についた。
もうしらん。
どうせまたなるだろうが、何処にも傷が見当たらないのだ。気にしてもどうしようもない。
サイドブレーキを下ろし、車を発進させる。
カッカッ。
案の定、右手から音が聞こえるが、知ったことではない。
きっと、車の内部の問題なのだろう。後で先輩に伝えておけば、自分の勤めは完了なのだ。
目的の車庫は、少し離れた場所にある。そのためこうして、車をしまってくるように頼まれることが時々あった。
かっかっかっかっ。
無視無視。
一度無視を決め込んでしまえば、もうどうこう言う話ではないのだ。
一周回って、爽快である。
かっかっかっかっかっ。
車庫の側に車を停める。車を降り、シャッター開けたのち、一応屈んで扉をマジマジと見てみる。やはり車は傷一つ付いていない。
俺はふんと鼻を鳴らしてから再び車に乗り込み、車庫入れに取り掛かった。
かっかっかっ。
もう音は気にする事ではない。さっさとしまおう。
そうした時だった。ふと自分の頭に、一つの考えが浮かんだ。もしかするとその考えは、さっきからずっと自分の頭の中にあったもので、自分自身で気が付かないフリをしていたのかもしれない。
この叩く音、内側から叩いてないか。
冷や汗が再び吹き出した。さっきまでとは違う、粘っこい汗だ。
車を出した時のバックミラーに映った後ろを、必死になって思い出す。
いや、何も変なものは映っていなかった筈だ。では、何が?
何が後ろを叩いているのか。
かっかっかっ。
改めて耳を澄ますと、車のボディではなく、ガラスを叩いているのがわかる。
まるで、人の指の関節で、窓をノックしているかのようだ。
視線を持ち上げ、バックミラーを見ようかと悩む。しかし、決意が出来ず、視線を持ち上げられない。
かっかっかっ。
しかし、このままというわけにはいかないのだ。車をバックで駐車する以上、後ろは確認しなければならない。
ただでさえ動揺しているこの状態で、後ろを確認せずに駐車する運転技術は持ち合わせていない。
かっかっかっかっ。
やってやる。
幽霊だかなんだか知らないが、こんな事で車に傷を付けるなんてまっぴらだ。
息を吐き出す。前髪が軽く浮いた。
改めて、小さく深呼吸をしてから、俺は意を決して振り返った。
先輩がジャケットをかけているハンガーが、窓の上の取っ手で揺れていた。
後ろに乗って 低田出なお @KiyositaRoretu
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