第13話 族長アーリヒ



――――子守コタの中で アーリヒ



 ヴィトー達が狩りに励んでいた頃、アーリヒは仕事の合間に出来たちょっとした時間を利用して子守コタへと足を運んでいた。


 村の隅、長のコタの裏手にある子守コタは、生まれたばかりの赤ん坊やまだまだ目が離せない子供を守り育てるための特別な場所である。


 そこでは常に虫除け魔除けの香が焚かれていて、子育てに必要な道具や玩具が置かれていて、いざという時のための薬草や食料が備蓄されていて……女性と子供だけがそこに入ることを許されている。


 狩りに出た男達はどうしても穢れをまとってしまう、獣の毛に潜む虫を知らず知らずのうちに宿してしまう。


 それらが赤ん坊や幼い子供に移ってしまわないようにと定められたルールで……このルールもアーリヒが長に選ばれた理由の一つだった。


 長が女性でなければ子守コタに入れない、子守コタの状況を把握出来ない……そうした理由からいざという時にどうしても対応が遅れてしまうからというもので、長になってからアーリヒは毎日欠かさず子守コタに足を運ぶようにしていた。


「……今日は少し冷えますが、特に問題はないですか?」


 コタの戸を開けながらアーリヒがそう声を上げると歩き始めたばかりといった様子の子供達がわーわーと声を上げながらアーリヒの下へと歩み寄ってきて……それを微笑ましげに眺める母親達は静かに頷き、特に問題はないということを示してくる。


「そうですか、それは良かったです……何か要望はありませんか?」


 何も問題ないと聞いて穏やかに微笑み、しゃがんで歩み寄ってきた子供達を抱き上げながらアーリヒがそう言うと……一人の母親が言葉を返してくる。


「要望と言いますか質問なんですが……子供達に黒糖を与えてはいけないと聞いたのですけど、それはどうしてなんですか?」


 するとアーリヒはこくりと頷いて、昨日ヴィトー達から聞いた話をゆっくりと言葉にしていく。


「ヴィトーによると黒糖にはハチミツと同じ種類の毒が入っているそうでして……大人であれば全く問題ないその毒も赤ん坊や幼い子供にとっては脅威なんだそうです。

 その毒は治療も出来ないものらしく……絶対に与えてはいけないんだそうです。

 精霊様が作ったものであればその危険性は無いそうなんですが……それに慣れきって黒糖を安全なものと勘違いしてしまうと後々大変なことになるので、精霊様のものでも出来るだけ与えないようにとのことで……」


「そう……ですか、甘いものを子供にも食べさせてあげたかったのですが……」


「そういうことなら……ドライフルーツを優先的にこちらに回すように手配をしておきましょう。

 お湯でふやかせば赤ん坊でも食べられるでしょうし、歯の生えた子供達はそのままでも良いかもしれませんね。

 大人は黒糖、子供は果物という感じにしようと思いますが、それで問題ないですか?」


「ああ、ありがとうございます、ドライフルーツなら子供も喜んでくれそうです」


 そう言ってその母親が納得し頷くのを見てアーリヒは、他に要望は無いかと周囲を見回すが、特にこれといった要望はないらしく、どこからも声が上がってこない。


 今の状況を思えばなんらかの要望が上がるはずだ。


 精霊の工房というとんでもない存在のことを彼女達も知っているはずで……武器でも食料でも宝石でも望めばなんでも、この世界に無いようなものまでが手に入るというのだから普通ならばあれが欲しい、これが欲しいと声を上げるはずだ。


 だが母親達は精霊が過ぎた欲を好まないことを知っていたし、アーリヒがそういったことを好まないことを知っていたので、何も言わずにただ笑みを浮かべる。


 黒糖ではなく砂糖が欲しいとか、もっともっと甘くて美味しいものは手に入らないのかとか、色々と言いたいことがあったはずなのに、そうやって欲と言葉を飲み込んだ母親達を見てアーリヒは誇らしく思うと同時に、少しだけの申し訳なさを感じる。


 母親達だけでなく村の皆もそういった要望を口にすることをせず、あるはずの欲をぐっと腹の奥へと押し留めていた。


 もちろん全員がそうしていた訳ではなく、何人かは言葉にしてしまう者達もいたのだが、それでもしつこく迫ったりはせず、冗談めかしながら軽く言ってさらっと流して、それで終わりにしてくれていた。


 そうした態度を精霊様の教えが行き届いている……と、理解することも出来たが、アーリヒに迷惑をかけないように、無理をさせないようにと気遣ってのことでもあって……それを受けてアーリヒは、自らの未熟さと力不足を痛感してしまう。


 そうして少しだけ表情を曇らせたアーリヒは、抱きかかえた子供のことをぎゅっと抱きしめ、その温かさに癒やされようとする。


 アーリヒは子供のことが大好きだった。


 誰の子でもどんな子でも愛らしくて抱きしめたくなる、守りたくなる、その成長を見守りたくなる。


 そうした想いが自分を長にまで押し上げてくれていて……今のアーリヒがあるのは村の子供達のおかげとも言えた。


 そんな子供達を抱きしめていると、幸せな気分が湧いてくるのと同時に子供達を守るための力も湧いてくるようで……そうして子供との時間を堪能していると子守コタの外から報告のためなのか、男衆がやたらと大きな声を張り上げ……それがここにまで響いてくる。


「ヴィトー達の帰還だ! 魔獣狩りに成功しただけでなく、恵獣様を保護したみたいだぞ!!」


 直後、子守のコタの中がわっと湧き上がる、魔獣狩りに成功しただけでもめでたいことなのに、恵獣様を保護したなんて。


 昨日と今日と続けての魔獣狩り……いくらすごい武器があったとしても、それは大変なことで、そもそも魔獣が見つからないとか、ずる賢い魔獣の奇襲を受けてしまうとか、突然の吹雪に負けてしまうとか、様々な危険性があったはずなのにあっさりとこなしてくれて……。


 喜びや興奮や様々な感情で胸がいっぱいになったアーリヒは頬を上気させ、瞳を煌めかせ、そしてそのままコタを出ていこうとするが、それを母親達が声を上げて制止する。


「こ、子供子供!」


「アーリヒ! 狩りの穢れが帰ってくるってのに、コタの外に連れてっちゃ駄目だって!」


「嬉しいのは分かるから一旦落ち着きな」


 それを受けてアーリヒは自分が子供を抱えていたということを思い出し……その顔全体を真っ赤に染めながら子供をそっと下ろし……何がなんだか分からないながらも何か良いことがあったらしいと笑みを浮かべて手を振り上げて、きゃっきゃと声を上げる子供達に別れを告げてから、早足で子守のコタを後にするのだった。




――――あとがき


お読み頂きありがとうございました。


次回は恵獣やら何やらです



応援や☆をいただけると、子供達が一段と元気になるとの噂です。

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