第10話 食事
狩りが行われた晩は、狩りで手に入った肉を皆で食べる宴が開かれる。
普通の獣は解体してすぐに調理が始まり、魔獣と呼ばれるこの世界にだけ存在する獣……のような何かは解体し、浄化という作業を終えてから調理が始まり……肉の熟成とかそういうことは一切行われない。
それは狩ってすぐの方が魂が残っているとか、生命力が失われていないとか、そういう考えがあってのことらしく……効率よく生命力を取り入れるためにという理由で肉の生食もちょくちょく行われている。
獣肉の生食は寄生虫とか病気とか色々と心配になってしまうのだが……世界が違うからか気候のおかげなのか、そういった病気になったという話は一度も聞いたことがない。
むしろ生食をしないほうが病気になるものとされていて……それは恐らくビタミン不足によるものなのだろう。
熱で壊れるらしいビタミンを生食することで摂取する……冬になるとこの辺りでは野菜も果物も手に入らないので、そういった食文化になったのかもしれない。
そして俺、ヴィトーはと言うと……記憶を失っていながらも肉の生食への忌避感があったのか、子供の頃から生魚ばかりを食べていたようだ。
村から離れて南西へ行くと海があり、そこでは鮭やニシン、タラなんかがよくとれて……その刺し身や発酵させたもの以外は絶対に嫌だと言っていたようで……そんなわがままを受け入れてくれた村の皆には本当に感謝しかないなぁ。
「お、この匂いは……今日は煮鍋か! 良かったなヴィトー、お前でも食べられるぞ?」
「魔獣狩りの祝いってことで干し野菜にバター、ハーブなんかも使ってるみたいッスねぇ、いやぁ、豪華で良いッスねぇー」
サウナから上がってそんなことを言うユーラとサープと共に村の中央広場へと向かうと……広場のど真ん中にどかんと建つ横に広いコタからなんとも楽しそうで賑やかな声が響いてくる。
集会所と呼ばれるそのコタの中を覗くと、中央に大きな石組み竈があり、それを囲うように動物の毛皮が敷き詰められていて……毛皮の上に座った村人達が、竈でコトコトと音を立てている鍋のことを見やりながら、あれやこれやと会話を交わしている。
曰く川に漁に行っていた者達も中々の成果を上げたらしい、魚にエビに、大きなカニに、明日の朝食は豪勢なものとなりそうだ。
そして精霊の工房で生み出した黒糖や塩のことも話題に上がっていて……おかげで今日の鍋は特別美味しいものとなっているようだ。
当然というかなんというか、シェフィや俺のことについても話題にしている人達がいて、続いて先程報告したばかりの、火の精霊……サウナの加護についても話していて、これで生活は安泰だとか、村の皆が精霊様の祝福と加護を得られたとか、これからもっともっと豊かな暮らしが出来るぞと、そんなことを語り合っている。
そんな風に自分のことで盛り上がっている場に入り込むのはなんとも気まずかったが、ユーラとサープは全く気にした様子もなくずんずんと入っていって……鍋に一番近い特等席を確保した上で、こちらに手招きをしてくる。
食事を楽しんでいた皆の視線が俺に集中する中、俺は手を振って適当に応えつつユーラ達の下に向かい……俺の周囲を飛んでいたシェフィと一緒に腰を下ろす。
すると料理番の女性がにっこりと微笑みながら木の器とスプーンをこちらに手渡してきて……それを受け取った俺達は目の前にある鉄鍋の中身を器に注ぎ入れる。
魔獣肉の煮鍋、野菜とバターとハーブたっぷりの、爽やかな匂いのとろとろスープとなったそれには、かなりの脂が浮いていて……この脂がこの辺りの食事には欠かす事ができない。
脂はカロリーの塊で、カロリーは熱量で……カロリーを燃やすことで体温が上がる訳で、カロリーをしっかり摂っていればこそ寒さに負けない体を作ることが出来る。
そうしなければ寒く凍てつく夜を乗り越えるのは不可能とされていて……野菜やハーブもなるべく体を温める効能があるものを使った方が良いとされている。
たっぷりカロリーを摂って、それを寒さの中で燃やして燃やして……激しい新陳代謝をして汗をたっぷりかいて。
新陳代謝が激しいおかげか、肌は常にツヤツヤでシミもシワも少なめで、太ることも稀で……サウナの効果もあってかこの村には美肌の人が多い。
皆美肌で、顔立ちも整っている人が多くて……前世基準で考えるとこの村は、美男美女揃いってことになるんだろうなぁ。
なんてことを考えながらスプーンで大きな獣肉を口に運び……とろりととろけるそれをゆっくりと咀嚼し、堪能する。
野菜の旨味が出ていてハーブの香り付けも強すぎず、それでいてバターの風味がふんわりと香る良い塩梅で、砂糖と塩をしっかりと使っての味付けは前世のレストランの料理にも負けないまとまり方で……うん、すごく美味しい。
野菜なんかは品種改良のされてない野生種に近いもので、調理器具もそこまで立派なものではないが、それでも肉の旨味が凄まじく、料理番の腕もあってかもっともっと食べたいと思わせてくれる味だ。
サウナに入ると味覚が鋭くなってご飯を美味しく食べられるなんて話もあるから、それも手伝ってのことなんだろうけど、食べれば食べる程食欲を刺激されてどんどん腹がすいてくる。
前世の一人暮らしの頃はそこらで買った安飯か自炊とも言えないような雑飯しか食べてなかったからなぁ……うん、毎日毎食誰かの手作りの暖かい食事を食べられるというのは、本当に幸せなことなんだなぁと痛感する。
一杯食べただけでは食欲がおさまらず、二杯目を食べて……もう一杯いけるんじゃないかと三杯目を盛り付けようとした所で、族長……アーリヒが集会所の中に入ってきて、俺に向けてこっちに来いと、ちょいちょいと手招きをしてくる。
それを受けて俺は首を傾げながらも器とスプーンを置いて立ち上がり、シェフィを頭に乗せてからアーリヒの下へと向かい……歩き出したアーリヒを追いかける形で集会所を出て、離れて……アーリヒのコタへと入り、アーリヒと俺とシェフィだけの空間でなんとも言えない気分となって、身悶えする。
アーリヒは美人だ、身長も高くてスタイルが良い、そして例に漏れず美肌で……化粧も上手と手に負えない。
美人だから好きになっちゃうとか、お近付きになりたくなるとか、そういう次元ではなくて、自分との差を突きつけられた気分になるというか、なんというか……シェフィはヴィトーのことをそれなりの美男子にしてくれたけども、元々冴えない男だった俺としては、ただ側にいるだけで申し訳ない気分になってくる。
申し訳ないし、恥ずかしいし、丸裸にされたような気分になるし……どう接したら良いのか分からないレベル、そんな美人が目の前にいると、どうにも落ち着かない。
そんな俺の様子に気付いているのかいないのか、アーリヒは優しげ……というか、俺のことを心配しているかのような柔らかな優しさを含んだ表情で声をかけてくる。
「ヴィトー……無理はしていませんか? 大丈夫ですか?」
表情だけでなくその言葉までもが俺のことを心配していて……俺はどうしてそんなに心配されているのだろうかと不思議に思いながら言葉を返す。
「えっと……特に無理はしていませんよ? サウナにも入りましたし、美味しい夕食をいただきましたし、あとは歯を磨いたらぐっすり寝る予定ですし」
「えぇ、それはとても良いことだとは思うのですが、そういうことではなくて……その、先程集会所の側を通りがかった時に聞こえてしまったのですよ、皆が必要以上の期待をヴィトーに寄せていることが分かる会話が。
工房にシェフィ様のことに……更にはサウナの、火の精霊ドラー様まで……。
あれをあなたも聞いたのでしょう……? ですが気にする必要ありませんからね? 黒糖と塩だけでも私達は十分なんです、とっても豊かになれたのです、それ以上を求められたからといって応える必要は……無理をする必要なんてないのですよ。
あの時だって私をかばって無理をして……」
「あぁ……そういうことですか、アーリヒが何を心配しているのかはよく分かりました。
でも安心してください、俺はそこまで繊細でもないですし……皆が期待してくれているというのは、俺にとっては嬉しいことなんです。
黒糖とかで喜んでくれた時も嬉しかったし、ユーラ達が寄り添ってくれるのも嬉しかったし、さっきの言葉も……直接聞くことになったっていうのは少しだけ気まずかったですけど、それでも嬉しかったですし―――」
と、そこまで言ったところでアーリヒが、凄い勢いで俺の両肩を掴んでくる。
掴んで引き寄せ、顔をまっすぐに見つめてきて……それに俺と、あまりの勢いに俺の頭から転げ落ちたシェフィが驚いている中、アーリヒは何かを言おうとして……だけども何も言わずに、喉から出かけていたらしい言葉をぐっと飲み込む。
一体アーリヒは何を言おうとしていたのか、俺に何を伝えようとしているのか……それを問いかけるべきなのだろうか? と、悩むが……何かを言いにくそうにしているアーリヒの表情を見て俺は、問いかけるのではなく、別の言葉をかけることにする。
「……もし何か困ったことがあったり、苦しくなったりしたなら、アーリヒに相談するようにしますから……大丈夫です。
アーリヒにそこまで気を使ってもらえていると思うだけでも、心強いですし、俺は大丈夫ですよ」
嘘は言わずに本音そのままに……少しの感謝の気持ちを込めながらそう言うと、アーリヒの表情がいくらか穏やかなものになり、柔らかな雰囲気となった声が返ってくる。
「そう……ですか、そういうことなら……ヴィトーのことを信じることにします。
……信じることにするのでヴィトー、体も心も大事にして、決して無理はしないでくださいね」
柔らかく甘く、まるで母親のようなことを言うんだなぁ、なんてことを思っていると、なんとも言えない感情が胸の中に広がる。
恋とかではなく、アーリヒのことを大切に想うような……大切にしたいというか、守りたいというか、そんな感情。
自分よりも年上で強く、族長でもあるアーリヒにそんな感情を懐(いだ)いてもしょうがないのだけど、それでも何故かそう思ってしまって……俺はアーリヒに向かってこくりと大きく頷く。
今はとりあえず、彼女を悲しませないようにしよう、言う通りに自分のことを大事にしよう。
前世と合わせれば余裕で俺の方が年上で、年下の美人にそこまで心配されるというのは、なんとも恥ずかしいことなのだけど……その恥ずかしさも彼女のために飲み込むとしよう。
そんな俺の決意に気付いているのかいないのか、アーリヒは静かに微笑み……そして終始俺達の周囲を漂っていたシェフィは、とても嬉しそうに幸せそうに笑いながら、俺達の頭上に移動し……どういう意味があるのか、俺達の頭の上を交互にピョンピョンと飛び続けるのだった。
――――あとがき
お読み頂きありがとうございました。
次回は再びの狩りとなります。
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