第8話 ととのい
『心がまだ慣れていないから暑く感じるだろうけど、体は慣れているから大丈夫だよ。
いきなり意識を失ったり、物凄い病魔に襲われたりすることはないから大丈夫。
もしそうなってもボクが助けてあげるから、安心してサウナを楽しむといいよ』
隣りに座ったシェフィのそんな言葉は、あまりの暑さに負けそうになっていた俺には嬉しいもので……体調の心配をする必要がないのなら、後は心の問題だと静かにヒーターを、階段腰掛けの向かいにあるそれを見つめる。
先程までの賑やかさは何処へやら、すっかりと黙り込んだ二人……ヒーターの方を睨み、そうしながらサウナの熱を楽しむことに集中しているユーラ達と共に、ヒーターの中でパチパチと弾けている薪へと意識を向ける。
四本の脚に支えられた縦長の箱のような鉄製のヒーターの下部には薪を入れるための窓があり、その窓には小さなのぞき穴が開いていて、そこから薪の状態と火の状態を確認することが出来る。
俺達が入る直前に管理人さんがたっぷりと薪を入れてくれていたのだろう、薪の量は十分に見えて……どんどんと燃えて熱を発している。
薪も良い木材を使っているのか、独特の……立ち枯れ材とはまた違う甘い香りがサウナの中に漂っていて……それが立ち枯れ材の匂いと合わさると、まるで口の中に砂糖の塊があるかのような気分になる程の甘さが鼻の奥へと入り込んでくる。
熱気と湿気と甘い匂いと薪の弾ける音と……誰も声を発さず、ただ静かに呼吸だけをしていて、壁の側に置かれた小さな棚の上の砂時計を見つめていると瞑想をしているような気分になり……砂の半分が下に落ちて、これも悪くないのかもなと、そんなことを思い始めた頃、ユーラが立ち上がり、ヒーターの側へと近付き……、
「おう、ロウリュさせてもらうぞ」
と、声を上げて、俺とサープとシェフィが頷いたのを確認してから、ヒーターの近くにある鉄バケツへと手を伸ばす。
その中には水と干した木の葉とハーブと、木の枝が入っていて……バケツの側におかれていた柄杓(ひしゃく)を手に取ったユーラは、バケツの中の水をすくい、ヒーターの上に積み上げられたサウナストーンへとそれをぶっかける。
瞬間ジュワッという凄まじい音と共に湯気が舞い上がる、湿気と共に凄まじい熱気が舞い上がり、サウナ部屋の温度が一気に、とんでもない暑さにまで上昇してしまう。
余計なことをしやがって! なんてことは思わない、これがシャミ・ノーマ族のサウナなのだから、どんどん水をかけて湯気を出して温度を上げに上げる行為、ロウリュと呼ばれるそれを楽しむのが普通のことなのだから。
バケツの中に木の葉やハーブなんかが入っていたのは、その湯気に良い香りをつけるためで……針葉樹というか高山植物を思わせるような、すぅっとした爽やかな香りが熱気とともにサウナ部屋の中を支配していく。
薪の甘い香りからロウリュの爽やかな香りへ。
ユーラとサープは胸を大きく膨らませて深呼吸をしながらそれを堪能していて……そんな中俺は全身から吹き出す汗の中で溺れているような気分で、がくりと肩を落とす。
暑い、暑い、すごく暑い。
本当にオーブンでローストされているような気分で今すぐにでもここから出てしまいたい。
だが駄目だ、今出ては駄目だ、中途半端なサウナは変に体を冷やしてしまって風邪を引いてしまう、極寒のここでは一度入ったなら体の芯から温まるまでは出ては駄目なんだ、最後までしっかり入りきらないと駄目なんだ。
俺の体は特別製……精霊の愛し子であるから多少の無理をしても問題はないはず、ただただ熱さ耐えれば良いだけの話なのだけど……どうしても熱さに負けそうになってしまう。
なんであんなに砂が落ちるのが遅いんだ、なんでこんなに時が流れるのが遅いんだ。
あの砂時計は一体どのくらいの長さのものなのか……こちらの世界には時計とかはないから何とも言えないが、記憶を探った限りではそこまで長くないはず、10分くらいのはず……。
だけどもまだ落ちない、砂が落ちきらない、汗が顔中を覆って手で拭っても拭っても間に合わなくて、暑さ以外の部分でも辛くなってきて……もう砂は落ちきったんじゃないか、もう出て良いんじゃないか、砂が残っているのは目の錯覚なんじゃないかってなことまで思い始めてしまう。
それでも耐えて耐えて耐えて……暑さのあまり砂時計を見るのも面倒になってきた頃、ユーラとサープがさっと立ち上がり……俺の両隣に座ってきて、二人で同時の俺の背中をバチンッと痛くない程度に叩いてくる。
これは確か……暑さを忘れさせるための激励の張り手だったか。
後少し、ほんの少しだけ耐えたら良いという時に家族や友人にやるもので……二人はそれからニカリとした笑みを向けてきて……それから何秒か、何十秒か経った頃に、もう一度立ち上がって入ってきたのとは反対側のドアへと向かって歩いていく。
それを受けてもしかして? なんてことを思いながら砂時計を見ると、すっかりと砂が落ちきっていて、慌てて立ち上がった俺はユーラ達を追いかける形でドアの向こうへと足を進めて……サウナ部屋から出た瞬間、冷たさのあまりに肌をちくちくと刺すような風が全身を包み込む。
脱衣所の反対側にあるドアの向こうは外だ、青空の下の湖にかけられた桟橋だ、そこに足を踏み出し、薄い氷の張った桟橋の上を素足で歩いていき……そしてユーラ、サープ、俺とシェフィの順で湖の氷を割って作った天然プールへと手を伸ばし、軽く水をすくって何度か体にかけたなら、ドボンと飛び込んでこれ以上なく火照った体をこれ以上なく冷えきった冷水に浸してしまう。
「うっはぁ……きくなぁ」
『うーん、今日も冷えてるねー』
「あっふぅー……たまんねぇ」
「はぁー……このために毎日頑張ってるんスよぉ」
俺、シェフィ、ユーラ、サープの順でそんな声を上げる、上げるというか自然と上がってしまう、胸の奥から声が出てきてしまう。
当然そのプールの水温は尋常じゃなく冷たい、温度計があったとしたら0度か1度かそのくらいの数字となることだろう。
そんなプールの中に体を無理矢理漬け込み……じっと動かず震えずただただ耐える。
体の表面は冷えているのに、体の奥底は熱いままで、寒いのに吐く息は熱いと言う不思議な状態になり……そんな状態を楽しんでいると、体の表面を薄い膜が包み込んだような、不思議な感覚が全身を包み込む。
氷のように冷たい水温を体の芯にたまった熱が弾いているような、体の表面で冷たさと熱さが競り合っているような、そんな感覚。
それが始まるとどういう訳か、プールの冷たさにも耐えることが出来て……そしてプールに入ってから100秒後、きっちり数を数えていたユーラが「上がるぞ」とそう言って、桟橋に手をかけてプールから這い上がる。
サープがそれに続き、俺と俺の頭に乗ったシェフィも続き……これでサウナ後の定番である水プールというか水風呂は終了となり……それから俺達は桟橋を進み、サウナ小屋の隣にある瞑想小屋へと入っていく。
瞑想小屋は隣のサウナの熱気が少しだけ流れ込むような作りとなっていて、外と比べれば段違いの温かさで……15度か20度か、そのくらいの室温となっている。
そしてそこには体を預けるための木製の椅子やベッドがあり……入り口脇のカゴの中にあるタオルを手に取り、身体中の水滴を綺麗に拭き取った俺達は三つ並んだ椅子へと深く座って体を預けて、深い深いため息を吐き出す。
プールに入ったというのに、それでも吐き出し息には熱がこもっている、体の表面は冷たいくらいなのに、体の奥底がいつも以上の熱を持っている。
『はぁー……サウナ後の瞑想は気持ち良いねぇ~』
なんてことを言いながら、空中に浮かんだタオル姿のシェフィが瞑想小屋の中を漂う中……俺達は目を閉じて、もう一度深いため息を吐き出す。
心臓が力強く鼓動を打っている、呼吸は静かで落ち着いている、熱くて冷たくて、血がぐんぐんと体を巡っていて……そして意識が深く沈み込むような不思議な感覚がある。
気を失っている訳ではない、体は動くし、目も開けられる……ただ意識が深く、普段なら入り込まないどこかへと沈み込んでいて……同時に体が浮かび上がるような感覚もある。
不思議で心地よくて……そう言えば前世で読んだサウナが出てくるマンガにこんなことが描いてあったなと思い出す。
ととのう……だったか、サウナに入り水風呂に入り、外気浴とかをしていると起きることのある現象……暑いと寒い、二つのストレスを交互に浴びたことにより脳が起こすリセット現象……とかだっけ?
それは体質や体調によって起きたり起きなかったりするし、どう感じるか、どんな気分になるかも違うものらしいんだけど、とにかくそれが起きると脳が感じていたストレスがリセットされるんだそうで……それが心地よさに繋がる、らしい。
嫌なことと疲れを忘れて脳をリセットして……体に残る熱の心地よさに存分に浸ることが出来て。
サウナでしか味わえないその現象に、身も心も委ねて心地よさに浸り……ふとまぶたを閉じると、まぶたの裏の世界にもう一人の俺が現れる。
記憶を取り戻す前の俺、ヴィトーとして今まで生きてきた俺……今の俺とは少し違う、捨て子であることを申し訳なく思い、気弱に日々を生きてきた俺。
その時の記憶はしっかりとあって、どういう思いで日々を生きていたのかもちゃんと覚えていて……その人生が他人のものではなく、自分のものだという確信はあるのだけど、やはり前の俺と今の俺は性格も行動原理も別のものとなっていて……。
そんなもう一人の俺が今の俺に向かい合い、こちらへと歩み寄ってきて……そしてお互いのことを理解しようと、語りかけてくる。
言葉ではなく思いで、同じ人間だからこそ出来る特殊な意思疎通法で……これから一緒に頑張っていこうと、そんなことを。
『村の皆を守ろう、族長を守ろう、友達になれそうなユーラとサープと共に歩んでいこう』
今日までの日々をこの村で頑張って生きてきたヴィトーの想いが強く流れ込んできて……それを受け入れた瞬間、さっと視界が明るくなり嗅覚が鋭くなり、味覚も鋭くなっているのか口に入り込んでくる空気の味が分かってしまうような気がして……そして意識がはっきりとする。
そんな俺の目の前には新しい服を着込んだらしいシェフィの姿があり……宙をふよふよと浮きながらシェフィが声をかけてくる。
『おめでとう、一歩前進だね。まだ君は本物のヴィトーじゃなくて、馴染んでいなくて……それがととのったことで、少しだけ馴染むことが出来たって感じなんだよ。
また狩りをして日々を元気に生きて、たっぷりと疲れて……そしてサウナに入ってととのえたら、更に一歩前進できるはずだよ。
そうやって前進していったらきっと、ヴィトーはなんでも出来る、世界を救うついでに、前世以上の楽しい日々を生きていくことの出来る、すごい子になれるはずだよ。
……髪の黒色が強くなったのが、そうなれた証なのかな?』
そう言ってシェフィはその小さな拳をすっと前に出してきて……それを受けて俺は拳を持ち上げ、シェフィの小さな拳にそっと突き合わせる。
そしてシェフィは魔法か何かなのか、サウナ内の水滴を集め大きな水の塊を作り出し、それでもって鏡のようなものを作ってこちらに見せてくる。
鏡に写った俺にはある変化があった、髪色の変化だ。元々の髪色にメッシュを入れたようにと言うか、遠目でも見て分かるくらいにはっきりと黒色の部分が混ざっている。
今と前の俺が馴染んだ結果なのだろう? なんてことを考えて髪をいじって……まぁ、これも悪くないかと納得し、小さなため息を吐きだすのだった。
――――あとがき
お読み頂きありがとうございました。
次回からは少し間隔を開けての更新となり、3日後くらいを予定しています
応援や☆をいただけると、シェフィの毛艶がよくなるとの噂です。
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