第6話 『あーし』

『ちょっとだけ、喋っていかない?』


 駅構内で、みなちゃんはそう言った。あーしとしても断る理由がなかったし、その時に見せたみなちゃんの真剣そうで、不安そうな表情が見過ごせなかったのだ。


 だから、あーしはみなちゃんの手を取った。


 駅から少しだけ離れたところ、地元の小学生しか遊ばないような小さな公園がある。

 そこにあるのが古びた木製のベンチに、みなちゃんとともに座った。

 午後四時、このベンチはちょうど日陰になっているのだ。


「ちょっと古いすけど、それは許してほしいす」


 塗装は所々剥げているし、座った途端キィと軋む位には古びているけど、駅近で時間を潰すには最適な場所だ。

 お金がかかるような場所なら、みなちゃんに気を使わせてしまうだろうし。


「全然いいよ。それに……なんか落ち着くね、ここ」


 あたりをきょろきょろと見回していたみなちゃんが、ぽつりとつぶやいた。

 磨かれたローファーが地面を撫でて、ふくらはぎが雑草に触れる。

 懐かしいな。小学生くらいの時はここであーしも鬼ごっこをして遊んだりしていたし、疲れたらこのベンチで寝っ転がっていた。


「確かに。ちょうどいい感じに騒がしいのが良いんすよね」


 今だって、ちょっと離れたところでは子供たちがサッカーで遊んでいる。蝉だってまだ鳴いているし、たまに新快速のブレーキ音が聞こえてくることもある。

 けど、気になるほどうるさくはない。ちょうどいいのだ。

 そう、ここは昔からあーしのお気に入りの場所なのだった。


「……こんな風に二人で座ってると、この前のこと思い出すね」

「この前の?」

「私の相談に乗ってくれた日だよ。ほら、私がマクドから逃げちゃったときの」


 みなちゃんはベンチの端についている肘掛けを撫でながら、恥ずかしそうにくしゃっと笑う。


「あの時、赤山さんが助けてくれなかったら、今の私はないんだ。――だから、ありがとうって、今日は言いたかったんだ」


 面食らってしまう。ちょっと話に乗っただけなのに、律儀な人だ。

 あーしは別に何もしてないのに。


「そんな大げさな……友達の恋を応援しただけっすよ」


 あとは、幼馴染に喝を入れたくらいか。どちらにしろ、大したことはない。

 幼馴染に関しては私怨だし。

 別に評価されるほどのことじゃない。


「ううん。違うよ」


 あーしの指に、柔らかい感触が触れた。

 そのまま上に持ち上げられて、ぎゅっと包まれて。

 見ると――みなちゃんの手で握られている。


「な、なんすか」


 みなちゃんの目は潤んでいて――嬉しそうにしていた。

 あーしは、少し置いて行かれている。


「赤山さんは、ほんとの私を初めて受け入れてくれた人だったんだよ」

「本当の……って、なんすか」

「すっごく取り乱してたの、真っ正面から受け止めてくれたってこと」


 ……実際の所。

 あーしはお得意のキャラ作りで真剣そうな表情をしながら聞いていたが、みなちゃんが、何をそこまで感謝しているのか、いまいちピンと来ていなかった。

 どうしても、手を取って、目を潤ませて、声を震わせるほどの出来事には思えない。


 そんなの友達だから当然だと、そう思うし、実際にそう言おうとした。

 でも、みなちゃんが続きを言う方がワンテンポ早くて、あーしは口を噤んだ。


 そして、そのあーしの判断は間違っていなかった。


 

「ねえ、赤山さん。もし私が、『私、中学の時まで友達一人もいなかったんだよ』って言ったら、信じる?」



 相当大きな衝撃が体を襲った。

 とても信じられることじゃない。

 だって、みなちゃんはコミュニケーション能力が高くて、だれにでもニコニコしていて、誰にだって好かれる人だから。

 友達がいないだなんて、そんなこと絶対にあるわけがないのだ。


 ……でも。


「みなちゃん、あーしは信じるっすよ」


 自分の心は置き去りにして、『あーし』はそう答える。

 大真面目な顔で、心にも思ってないことを、平気で言う。


 なぜなら、それが自分の憧れた、『あーし』だからだ。




◆◇




 自分はずっと、誰かの後ろをついてきていた。

 きっと、自分そのものに自信がなかったからだ。

 誰かのそばにいれば、その人はいつも自分を見つけてくれていた。


 小さいときにはお母さん。

 小中学生では幼馴染。

 高校生になってからは、みなちゃん。


 そんな具合に、自分の前にはいつも頼りになる存在が居た。


 彼女らは、間違いなくヒーローだった。

 いつだって頑張っていて、あーしのそばにいてくれる、優しいヒーローだった。


 だからだろうか、自分はヒロインに憧れた。

 かっこよく人々を導くヒーローの隣で、懸命に支援に徹するヒロインに、ひどく憧れたのだ。


 理想のヒロインになるために、自分がキャラクターという猫を被るまで、そう時間はかからなかった。

 

 そう、あーしは、ヒーローの隣にいるにふさわしい人間になろうとしたのだ。

 ドラマとか、アニメとかの、サブキャラクターに影響を受けて、その要素をどんどん吸収していった。


 ……一人称が「あーし」の、語尾が崩れた敬語で、自分に自信があって、誰かにとって理想の結果を引き出すことができる、最高のヒロイン。

 

 ヒーローのそばに居られる、存在価値のあるヒロイン。


 そんな「あーし」を、自分は作り出した。

 今だって、毎朝メイクを付ければすぐ「あーし」は完成する。

 

 それはすごく便利で、今となっては慣れた作業だった。

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