第5話 コーヒーのタダ券を貰ったのですよ!

 夏場のアイスコーヒーは、きっといつか世界を救うと思う。


 最初からガムシロップが入っている比較的甘めのコメダのアイスコーヒー。

 それを掲げて、みんなと乾杯した。


「「「誕生日おめでとう!!」」」

「ありがとうっす!」


 コーヒーを啜る。美味しい。

 ふわっと苦い香りが広がって、あとから小さな甘味が追いかけてくる感じ。あーしは、この味が大好きだった。


 放課後、みなちゃんに誘われて、友達四人でコメダ珈琲に来ていた。

 今日の授業は午前までだったから、お昼ご飯も済ませてしまおうという寸法だ。


 市内にはあーしの最寄り駅のここしかコメダ珈琲がない。

 そのせいか、この場にいるあーし以外のみんなはコメダ珈琲初経験だった。


「聞いてはいたけど、ほんとにおっきいんだねえ」


 みなちゃんは、目の前に置かれたシロノワールの大きさに圧倒されたみたいだった。体を仰け反らせて、キラキラとした目でそれを眺める。

 ……そこまで楽しそうにしてくれると、なんだかあーしまで嬉しくなってしまう。

 自分の好きなものを、好きな人が楽しんでいるのって、ここまで幸せなものなんだ。


「そう、そうなんすよねえ」


 あーしは腕を組みながら、隣に座るみなちゃんが生クリームをつつくのを眺めている。

 楽しい。


「なんで赤山が得意げなんだよ」

「何を隠そう、コメダはあーしの嫁すから」

「そうだね……式には呼んでね」


 気が向いたらそうするっすね、なんて笑い返す。

 テーブルの端に置かれたサンドイッチを一つつまんで、口に運ぶ。


「あ、赤山さんコメダ好きだったんだ……道理で」


 みなちゃんは驚いたような、納得したような顔をして、こっちを見上げる。

 口元にはバニラアイスがついていた。

 ちょいちょいと指でさしてもきょとんとするだけで気づかかったから、紙を手に取ってふき取ってあげる。

 みなちゃんは目を細めて「ありがと」とはにかんだ。いじらしいその姿が眩しくて、少し目を逸らしながら「いいんすよ」と気取って返す。


 くすくす笑い声が聞こえて正面に向き直ると、友達がにまにまとこちらを見ていた。


「しっかり者の妹と天然なお姉ちゃんだ」

「私天然じゃないもん!」

「あーしだって小さくないし!」

「そうだね……そうだね……よしよし赤ちゃん」

「なんであーしだけ!」


 一通りいじられた。

 身長は自分でもネタにしているから別にいいんだけれど……制服がこの先三年間ずっとぶかぶかなのはちょっと嫌だ。

 少しは伸びてほしい所だけど、もうずっと伸びてないからきっと望み薄だろう。


「ちょっと話戻るけど、コメダに来たの、水瀬が赤山の好み知ってて推したんだとばかり思ってたんだが、違うのか?」

「ううん、違うよ」

「そうなの……? じゃあなんで?」

「なんと……コーヒーのタダ券を貰ったのですよ!」


 みなちゃんはベージュの落ち着いたデザインの財布を開くと、七枚綴りのチケットを自慢げに取り出した。

 デザインこそ見覚えがなかったけど、そのシステムには覚えがある。一杯分安く買えるコーヒーチケットだ。中学生のころはお小遣いが出るたびにこれを買っていた。


「もう使わないから友達とでも遊びに行きなよって言われ渡されてね。赤山さんの誕生日も近かったから、せっかくだし誕生日会をしちゃおうと考えたんだよ!」

「そうだね……渡りに船、だね」

「……世の中には良い人もいるもんすねえ」


 良い人だ。その人も、みなちゃんも。

 誕生日の幼馴染にチョコボールしか渡さないやつもいるのに。


「ふふ、そうだね」


 みなちゃんはどこか嬉しそうに口元を隠して上品に笑いながら、シロノワールを一切れあーしの取り皿に乗せた。

 いいの? と目線だけで問いかけると「誕生日だから」と返事があった。


 渡されてばっかりは性に合わないから、あーしもお礼をすることにした。自分のバームクーヘンを一切れフォークに差して、みなちゃんの口へと持って行く。


「ほらみなちゃん、口開けて」

「あー、ん。んぐ……」


 小動物みたいに頬張るみなちゃんをみんなで眺めながら、あーしもシロノワールに手を付ける。


「にしたって久しぶりだよなあ、水瀬とこうやって一緒にご飯食べるの」

「そうだね……ずっと彼氏くんにアプローチしてたもんね」

「……結ばれて良かったすね。ほんとに」


 三人、しみじみと頷く。


「……ごくっ。なんだか、見られていると食べにくいんだけど」

「有名税だと思ってくれ」

「今、あーしたちの一番の話題はそこすから」


 みなちゃんの恋愛模様をずっと応援していたあーしら三人は、それなりにみなちゃんに感情移入している。

 誕生日プレゼントのハンカチを一緒に選んだり、日ごろの雑談の内容を聞いてみたり、マックへ連れていくときには気になってつけてみたり。

 

 ちょっと過保護が過ぎると自分でも思うけど、これはみなちゃんに狂わされているからだ。

 いかにも男の子受けしそうな人当たりの良いみなちゃんが、恋愛ではめちゃくちゃピュアで純情なことを知ってしまっているあーしらは、もう近所のおばさんくらいの気持ちで応援している。

 筆箱に入っていた赤ペンのメーカーが同じだっただけで満面の笑みになれる女の子を、あーしはみなちゃん以外に誰も知らない。


「そうだね……ところでみなちん、彼氏とはどこまで行ったの?」


 ……たまにこうやってからかったりもする。


「ふぇえ!? え、どこまでって、え?」

「アルファベットで言うと?」

「え、ええ、えええ!? いや、そんなの、ええっと……」

「A? B? C?」

「あ、あの……」


 あ、二人とも調子に乗ってる。

 こうなるとツッコミはあーしの役目だけど、あーしもちょっと気になる。

 縋るような目でこちらを見る耳まで真っ赤な顔のみなちゃんは、ちょっとかわいそうだったけど、知らんぷりをした。


「…………Eです!」


 やけくそみたいな声だった。


「……胸の話は聞いてないんすけどね」


 申し訳なさをごまかすためにツッコミを入れて、押し黙る。

 やりすぎたか、と反省ムードになるなか、空気の読めない友人がカツパンにかぶりついた。

 そして、感心したようにつぶやく。


「にしたって大きいな」


 ……あーしも大きいと思う。




 ◆◇




 壊れたみなちゃんを介抱すること数分。

 あーしの膝の上で寝ていた彼女はむくっと起き上がった。

 ようやく落ち着きを取り戻したらしい彼女は、靴型のグラスに入ったメロンソーダをじゅっと吸った。

 一呼吸おいて、目線を逸らしながら、細々と零す。


「ちゅ……ちゅーは、したけど」


 電撃が走ったみたいな感覚だった。

 ……みなちゃんが、キス?

 あの奥手なみなちゃんが!?


「付き合って三日で!? あいつとんだ常識知らずっすね。今度説教してやるっす」

「……あ、ううん。違うの。当日だし……その」


 そこでみなちゃんは目を伏せて、やっぱり頬を朱に染めて。


「キスしたの、私からだったし」




 気が付いたら、あーしはトイレにいた。


 そうだ。みなちゃんに謝って、なんだかんだ言い訳をしてから……それから、逃げてきたのだ。


 逃げ込んだトイレでちょっと泣いた。意外にボロボロ落ちてきて、焦ってハンカチで抑えた。

 笑ったときには涙が出ると言うらしい。きっとあれだ。笑いすぎた。

 みなちゃんとあいつがそんなことをしてるのがどうしても想像できなくて、笑えてきてしまっただけだ。

 辛くなんか、きっとない。大丈夫だ。



 でも……少しだけ、ほんの少しだけ……みなちゃんが一気に手の届かない場所に行ってしまったみたいで、ほんのちょっとだけ苦しい。


「あー……あはは、ウケるすね」


 土日と苦しんで、一旦終止符を打ったつもりだったのに、まだ悲しさが無くならない。

 室内と違ってじんわり蒸し暑い、トイレの個室に恨み言を吐く。

 入口のドアにもたれ掛かって、口から空気を吐き出す。


 しばらくそうやっていると、気分は少し落ち着いた。


 馬鹿な話だ。

 きっとみなちゃんはもっとずっと前に、遠くに行ってしまっていたんだ。

 みなちゃんに恋人ができたときは、私の手の届かない場所にいて、

 あーしはきっと、それに気づかないふりをしていただけだ。


 今までのあらゆる出来事よりも、明確に遠くに行ったみなちゃんを意識してしまって、ちょっと辛い。

 でも、告白したかといえば……絶対無理だ。


「だって……今日、楽しいすもん」


 だから、後悔していない。そう自分へ言い聞かせる。気持ちを隠しておいたのは正解だった。

 でも……これからも、こうやって苦しんでいくのかな。

 もしあの時告白していれば、隣にいたのはあーしだったのかもしれないのに、って。


 ため息を吐く。

 ……きっといつか慣れるだろう。そんな保証はないけど、そう信じるほかなかった。


「そろそろ、出よっかな。……あんまり長いことこっちにいても、心配されそうだし」


 使ってないけど一応水を流して、トイレから出る。

 鏡の前で、浮かべた涙を拭いてから、かわいいメイクが崩れてないことを確認する。

 ――うん、大丈夫。目も腫れてない。

 それから、ぺちん――頬を叩いた。


 ひとまずこれで、大丈夫だ。



 トイレから出る。

 と、こちらに気づいたみなちゃんが手を振ってくれて、あーしは微笑んで手を振り返す。

 もう一度みなちゃんにいきなりトイレに行ったことを謝ろうとしたけど、みんなはもう既に全く関係ない雑談で盛り上がっていた。

 みなちゃんに頭を下げてから改めて隣に座る。


 そしたら、あーしは数秒と立たないうちに、いつもみたいに話に混ざっていた。


「コメダはあーしの嫁なのに! あんたらと来たら……みんなおなか膨らませて!」

「シ、シロノワールさんが誘惑するのが悪いんです!」

「誰よその女!」

「……今のとこ登場人物女性だけで修羅場してるけど、大丈夫?」




 ◆◇




 それからずいぶん長い間歓談した。

 小腹が空いたらおやつも食べたし、コーヒーについていた豆の量を競い合ったりした。

 そのあともまだ喋った。

 そして、おかわりのコーヒーも飲み切ったあたりで、解散の流れになった。


「「「「ごちそうさまでした!」」」」


 割り勘の頭数から私は外された。誕生日プレゼントらしい。

 みなちゃんから特別扱いを受けるのはなんだか嬉しかった。……幸せになったり不幸になったり、客観的にみたら情緒不安定だ。……恋なんてろくなもんじゃない。



 それから、みなちゃんと二人で友人らを見送った。

 

「ほいじゃ、あたしたちは電車逆だから」

「そうだね……ぐっばーい!」


 あいつらの家は高校を挟んで反対側にあるから、コメダに来るのは遠回りだったはずなのに快諾してくれていた。

 我ながら良い友人を持ったと思う。その感謝も込めていつもより大きめに手を振った。

 後ろ手に小さく振り返してくれるのを



「で、みなちゃんは」


 あーしはあと少し歩けば家だけど、みなちゃんはそうも行かなかった。

 各駅停車だから、あんまり本数が出ていない。


「……えへへ。今、ちょうど行っちゃった」

「え、それは……」


 みなちゃんが言う電車の時間に間に合うようにコメダを出たつもりだったんだけど……間に合わなかった?

 ……いや、そんなことない。五分くらいは余裕が出るはずだったのに。

 でも、そんな疑問をぶつける間もなく、あーしに顔を寄せて、みなちゃんは続ける。


「だからね、赤山さん。――ちょっとだけ、喋っていかない?」


 綺麗な顔が、間近にあった。

 長いまつげも、可愛いのにけばけばしくないナチュラルメイクも、すぐそこにあった。


 そんな状態で有無を言わせぬ態度で迫られてしまっては、頷くほかなかった。

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