第4話 じゃ、あーしはさしずめ恋のキューピットすね。

 彼は無骨なリュックサックをひょいと前に担ぎなおして、チャックをびゃっと開けた。すぐに中からポーチ大の何かを取り出すと、慎重すぎると思ってしまうくらい丁寧な所作で渡してくる。


 それは、花柄の紙袋だった。

 中に入っていたのはモバイルバッテリーと、つけっぱなしのままだった充電ケーブル。

 手を突っ込んで、バッテリーを取り出した。


 電源ボタンを押すと、側面についたランプが全て淡い青色に点灯した。

 充電済み。あーしが渡した時点で半分くらい無くなってたのに。

 ――昔から、こういうところちゃんとしている。


「……ん?」


 用済みになった紙袋を突き返すわけにもいかず、カバンにしまおうとした時だった。

 袋から――カラリ、音が鳴った。

 奥にまだ、何か入っている?

 角ばっていて、プラスチックの袋に包まれた容器。

 取り出してみると、それは――


「チョコボール」


 鳥を模したキャラクターが印刷された、あのお菓子。

 それも二箱。


「……なんで?」

「モバイルバッテリーの分の礼ってやつ」

「礼? ……あぁ」


 そうだった……こいつは、こういうところで変に律儀な奴だったのだ。


「好きだろ? チョコボール」

「……まずまず、すね」


 実際昔はよく食べていたわけだし。

 ピリピリ、フィルムをはがして一箱開ける。エンゼルは……やっぱりいないか。


 何粒か取り出して、まとめて口に放り込んだ。

 外層のチョコと中のナッツを同時に噛み砕く。舐めるなんていうのは邪道だ。

 久しぶりに食べるそれは思ったより甘ったるくて、コーヒーが欲しくなる。

 ……今はもう良いかな。


「いるすか?」


 その一連の動作を黙って眺めていた彼に、持った手を突き出してみた。


「要らない」彼の首は横に振られる。「これでチャラな。今のお前に借りを作りたくないんだ」

「ふーん……そすか」


 まだ中身の入っているその箱をポケットに突っ込んでから、紙袋はカバンへと雑にしまった。

 その間に歩き出していた彼の、一歩後ろを追いかけるようについていく。


 三か月、一人で歩いていた学校への道。

 初めて二人で登校したけど、随分と雰囲気が変わるのだと思う。いつもは味気ないこの道が、今日は喋ってもないのに少し騒がしい。

 でも――そんなに悪い気持ちはしなかった。

 違和感はあるけど、危惧していたほど気まずくはない。

 

 しばらく歩いた先で、ふと思い出して聞いてみる。


「袋入れてたってことは、それを渡すために待ってたんすか、今日」

「……まぁ、そんなとこ」

「いつから?」

「別に……すぐだったけど」


 一歩前を歩く彼の姿からは表情を読み取れない。ポケットからハンカチを取り出して汗を拭うのが見えるだけ。

 すぐだったって言ったその言葉は、たぶん嘘なんだと思う。

 腐っても幼馴染。相手の嘘ぐらい、なんとなく分かってしまうのだ。


「そすか……」


 でも別に、あーしにはそれを追求する気はなかった。

 そうしたところで得られるこいつの反応はきっとキモい。


 それじゃあ、と。別の話題を振ってみる。


「モバイルバッテリー、役に立ったすか?」

「それは本当に助かった。あれがなきゃ何も始まらなかった。ありがとな」

「じゃ、あーしはさしずめ恋のキューピットすね」


 言ってから、はっと我に返った。

 ……これじゃあまるで、あーしが二人の恋の事を認めたみたいじゃないか。

 認めたくないわけじゃなくて、ただ癪なだけだけど。


 一人もやもやとしていると、彼はこちらを振り向いて、小さく笑う


「はは。昔、俺からチョコボールのエンゼル奪い取ったやつがよく言うよな」


 あーしの葛藤をこと知ってか知らずか、遠慮なく煽ってくる彼。

 ちょっとイラっとする。


「……そんなこと、あったすか?」

「あったぞ。俺のにだけ銀のエンゼルあって、箱ごと奪い取ったことが」


 本当に心当たりがなくて、記憶をどんどんさかのぼっていく。

 ――あった。

 でも、それって。


「幼稚園の時のことじゃないすか!」

「でも、天使じゃないエピソードなら幾らでも上げられるぞ。小学校入ってもずっとガキ大将で、クラスの男子全員足蹴にしていたとか?」

「……それは、そうだったすね」

「それに、中学入ってからもその余波で友達ができなくて、いつも俺の弁当から卵焼き奪ってたりとかな」

「それは、確かにしてたけど! でもあーし今、恩人のはずだったっすよね!?」


 ニヤついたその顔にちょっとムカついて。

 ぐーで殴った。

 脇腹。思ったより綺麗に入った。


「うぇ」


 冗談っぽく呻く彼。弱めに殴ったはずだからそんなに痛くないはずだ。

 因果応報だと鼻で笑ってから、はたと気づく。


「……こんなんだと、今後、高校時代になっても遠慮なく人を殴っていたとか言われるんすかね」

「はは、言い続けるかもな」


 彼がそう返してきてやっと、自分が失言を重ねたことに気づく。

 あーしが、こいつとのこと、今日みたいに話すのに次があるみたいな発言をしたなんて。

 自分でも信じれなくて、慌てながらも、それがばれないように平静を保って補足する。


「この関係性に明日があったら、すけどね」

「それもそうか。どうやら俺は嫌われてるらしいからな」


 冗談っぽく言う彼。

 今日のこいつはいつも以上に軽薄な感じがして、少し気味が悪い。


「らしいも何も、あんたのことは嫌いっすよ。こんなすぐ人のこと煽るやつが、みなちゃんを幸せにできるのかすら怪しいっすしね」

「それはお互い様」

「はは、それもそうすね」


 会話が安全な所に着地して一安心してから……ふと、思い立って話題を巻き戻す。


「でも、さっきの奪う奪わないの話、安心していいすよ。あーし、みなちゃんのこと奪ったりしないから。別れたりしない限り」


 これはもともと決めていたことだ。

 中途半端なりに、最低限の線くらいは引いておきたかったのだ。

 みなちゃんのことはもちろんだけど、こいつの悲しむ顔だってそんなに見て気持ちの良いものじゃない。し、何よりみなちゃんから嫌われてしまいそうだ。そっちの方が耐えられない。

 だから、あーしはみなちゃんのことを奪ったりしないし、できない。


「あーしは天使すからね」

「やっぱり、お前もしずくのこと」


 ――みなちゃんのこと、名前呼びにしている。

 あーしはみなちゃんに、まだ赤山さんって呼ばれてるのに。

 それが、彼とあーしの、みなちゃんへの圧倒的な距離感の差だ。胸がきゅっと締め付けられる。眉に皺も寄る。


 でも仕方ない。動かなかったのはあーしだ。


 心ではそう分かってるのに、どうしても悔しくて。

 青になったばかりの信号で、一歩彼の前に出た。


「好きだった、すよ。全然、自分の中では割り切ったつもり」


 嘘だ。

 割り切れてたら、こんなに悩んでいない。

 きっと表情にも出ている、だから一歩前に出た。こいつには見られたくない。


「……そうか」

「いや、ほんとに気にする必要はないんすよ。あーしはどうせ、友達って関係が変わっちゃうかもって怖かったんすから」

「…………」

「……黙られると、困るんすけど」

「いや、なんか……申し訳なくて」

「は? 何が」


 その声がやたらと小さくて、気になった。

 振り返る。彼は数メートル離れて立ち止まっていて、そっぽを向いている。

 彼のずっと後ろに見える入道雲が、やけに大きくそびえたって見える。

 風がふわっと吹いて、体を生暖かく濡らした。


「だって……初恋って引きずるだろ」


 図星だった。

 でも、それを認めるのは癪だったから、否定しようとした。

 

 でも、こちらをまっすぐに見つめる彼の顔が見えてしまって、出来なかった。


「……うけるっすね。まだあーしのこと好きなんすか」


 その真意を語らせるのは、あーしでも怖くて、茶化して逃げた。


「んなわけ……ねえだろ」

「はは、やーい浮気だ」


 何か言いたげ彼を置き去りに、あーしは知らないふりをして駅へと歩き出す。




 そのあと何か起こったかと言えば、何もおこらなかった。

 他愛もない世間話と、愛のない軽口を繰り返していると、学校についていたのだ。


 三十分はかかる道のりなのに、よく会話が持ったものだと思う。


 ひんやりクーラーの効いた教室の中へ入ると、人はまばらにしかいなかった。ちょっとだけ仲のいい子に挨拶だけして、机の横に鞄をかける。四肢を投げ出した。


 やっと落ち着けた。

 張っていた気を吐き出すようにほぅと息をつく。


 スカートのポケットにいれたままの、残りのチョコボールを全部取り出して、ゆっくりかみ砕く。

 チョコボールは確かに嬉しいけど、コメダには劣るなと思う。


『プレゼントは、その内容よりも込められた思いすよ』


 みなちゃんが誕生日プレゼントに何渡すか悩んでいた時、あーしはそう言った。


 ……ま、そんなもんだろうと思う。

 チョコボールは市販の味がした。可もなく不可もない。

 

 思ったよりは、嫌じゃなかったかもしれない。やっぱり複雑な気持ちはあるけど、それだけだ。

 普通の人と同じように接していけるし……って、あれ?


 ……あ。

 誕生日、祝われてない。


「……やっぱあーし、あいつのこと嫌いだ」

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