第2話 モバイルバッテリー!
バターの乗っかったトースト、葉野菜とトマトのサラダ、ゆで卵、コーヒー。それが今日の朝ごはんだった。
「今日も母さんの飯は美味いなあ!」
「ちょっとお父さん。朝から大声出さない」
「はっはっ、これはららへの愛情だ! この飯だって、愛が籠ってるから美味いんだ!」
家族団欒。我が家の食卓にはその言葉が良く似合っていると思う。実際、家族仲は結構いい方だし、この光景も見慣れたものだ。
おどけるお父さんと注意するお母さんに、それを苦笑いで眺める小学生の妹と私。
「……あれ、おねえちゃん? 何かいつもより楽しそうだね?」
「妹……こういうのは、こっぱずかしいっていうんすよ」
遠回しにお父さんに苦言を呈して、肩を竦めて見せる。悪い人じゃないのだけれど、そういう愛情は少し照れてしまう。
……でも、それ抜きにしても、あーしの気分は終始よかった。
十分くらいでご飯は食べ終わった。
まだ談笑しているお父さんとお母さんにごちそうさまを言って、あーしは自室へと戻った。
もうすっかり明るくなった部屋で、制服のセーラーブラウスへ袖を通してゆく。
スカーフを巻くのにはまだ慣れなくて、備え付けた鏡を覗く。
映された自分は、にへらと笑みを浮かべていた。
――みんなが誕生日を祝わってくれた。みなちゃんも。
今日は良い一日になりそうだ。
あんだけ沈んでいた気持ちが、すっかり上がってきているのが自分でもわかる。調子に乗って、鏡の前でくるりと一回転してみたりする。
――まさか、みなちゃんがコメダに誘ってくれるなんて。
私のツボを一番抑えた、最高のチョイスだ。
自分の唯一と言っていいほどの趣味がコーヒーなのだ。
朝ごはんのコーヒーだって豆から買ってきているし、いつもは自分でドリップしている。
喫茶店を巡るのだって好きだ。お洒落なカフェはもちろん、チェーン展開されている喫茶店だってよく行く。
そんなあーしが、数あるチェーン店の中でも一番好きな店が、コメダコーヒーだった。
苦味の強いコーヒーに、充実した甘いスイーツたち。
ただ、一人で食べきるにはちょっと重たいから、誰かを誘わないと気軽にはいけないのが難点だった。
大好きなみなちゃんと行けると思うと、
「へえぇ……えへっ、ふふ」
分かりやすく舞い上がってしまって、気味の悪い声だって出てしまう。
だって、あのみなちゃんが、あーしの好みを知ってくれていて、そこに連れて行ってくれるというんだ。
そんなの、嬉しくないわけがなかった。
――あ、でもみなちゃんにコメダが好きなこと言ったことなかったかも。じゃあ、偶然なのかな。それならなんだか運命を感じるし、それも嬉しいな。
それから何度も飛び跳ねたり小さくガッツポーズを決めたり、ベッドにごろごろ転がったり勢い余って柱に頭をぶつけたりして、言い表せない喜びを享受していた。
しばらくたって我に返って、時計を見ると、相当時間がたっていた。
いつもなら家を出ている時間だ。
「やばっ」
慌ててスカーフを巻いて、階段をばたばた下りる。
少し崩れた髪型はこの際仕方ない。
玄関にはお弁当と水筒が置いてあって、あーしはそれを掴んでカバンの中に詰める。
それで準備は終わり。
……のはずだったけど、何か忘れている気がして、頭をひねる。
「あ! モバイルバッテリー!」
あれ? どこにやったっけ。と辺りを見回す。
最後に使ったのは……えっと、確か金曜日だ。
そこまで思い出した瞬間、ある顔がちらつく。
――ああ、幼馴染に貸しっぱなしだった。
冷や水を引っかけられたような気分だ。
どっかでまた話しかけなきゃいけないのか……憂鬱だな。
彼と登校時間が被らないように早起きしているから登校中に出会うことは絶対ありえない。あいつは夜型の人間で、中学時代はあーしまでそろってよく遅刻しかけていた。
今日話しかける?
……なんだか嫌だな。この前あれだけボロボロに暴言を吐いたあいつと顔を合わせるの、ちょっと気まずいし。
仕方ない。明日……そう、明日に回収しよう。
何が悲しくて、楽しい気分の時に嫌いな顔を見なければならんのか。
ちょっとだけむしゃくしゃする思いを、微妙にサイズの合わないローファーを鳴らして誤魔化す。
――やめやめ! 今日はみなちゃんたちとコメダに行く日で、あーしの誕生日なのだ。楽しい一日にしてやる!
気高にふるまって、声を上げる。
「行ってきます!」
いってらっしゃいの声を背中に背負いながら、木製の玄関を開ける。
都市からは少し離れたニュータウンの一軒家。それが我が家だ。少し広い庭の飛び石を踏んで、シンプルなデザインの門に手をかける。
キィと音を立てて開く。
いつもより少し遅い時間の出発だった。
別に遅刻するわけじゃなかったけど、いつもと違う電車に乗るのはなんとなく嫌だった。
ちょっと急ごうと思って、ぴょこんと歩道に出た。
人にぶつかった。
薄っすら柔軟剤の香りがする。
なんだか懐かしい匂いだな、と思わず安心しそうになって、気を引き締める。
姿勢を低くする。謝る。
「ごめんなさい! 前、全然見てなくて」
横断歩道が一回変わるくらいの時間は頭を下げていたと思う。
相手から反応が無かった。
怖くなって、恐る恐る顔をあげてゆく。
……あれ? 同じ高校の制服だ。
学ランだから男子で……。
鳩尾を押さえながら、歪んだ表情で片眉をひくつかせている。
その顔に、自分は見覚えがある。
「……よう」
よく見覚えのある、あの男。
――幼馴染が、そこに立っていた。
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