(終章)今ここにいる意味

「そうですね。姫なら銃も剣と同じように扱えると思います」


「うわ、やったわ。ありがとう、ハルシオン」


「ただし、それにはアナーシア様が、私の『願い』をおきき下さることが条件です」


 ハルシオンはゆっくりと、噛み締めるように言葉を吐いた。

 喜色に輝いていたアナーシアの瞳が不安げに瞬く。


「それは――内容にもよるわ」


「どうか、おきき届けて下さいますよう、お願い申し上げます」


 ハルシオンは頭を下げた。白金プラチナの長い髪が肩からさらりと滑り、月光の光を反射して水面のように輝く。


「交換条件って言うのね」


「そうです」


 ハルシオンの態度の変化にアナーシアが声を震わせる。


「わかったわ。じゃ、ハルシオンの『お願い』っていうのは、何?」


「はい……」


 ハルシオンは乾いてきた唇を舌で湿らせた。


「――実は、姫が教会にかけつけてくださったあの時。私はノムリスに彼の傀儡となる吸血鬼イモータルにされる所でした。今回は姫のお陰で事なきを得ることができましたが、彼は今まで私が出会ったことがない『真正』の吸血鬼エスカルラータだったのです。ですから――」


 ハルシオンは急に吹いた夜風に舞う白金の髪を押えながらアナーシアに告げた。


「私が彼の傀儡となった場合は必ず殺して下さい。それが、私の願いです」


「……」


 ハルシオンは何も言わないアナーシアの手を取った。

 夜気のせいだろうか。すっかり冷え切って冷たくなっている。


 剣を握る勇ましい姫だが、その手はハルシオンの掌にすっぽり収まってしまうほど小さくて細い。僅かに震えているその手を、ハルシオンは自らの左胸に載せた。己が生きている事を証明する部分へと。


心臓ここに銀の弾丸を三発撃ち込めば終わりです。方法は、私が教えます」

「――違う」


 アナーシアがハルシオンの手から自らそれを振り払う。

 後ずさり、叫ぶ。


「違う! 違う!! そんなつもりで、私は射撃を覚えるんじゃない!」


 両手をきつく握りしめてアナーシアは激しく頭を振った。


「皆を守る為に覚えるの! ハルシオンを殺すなんて……そんなこと、できるわけないじゃない!」


「ならば、射撃を教えるという話はなかったことに」


「ハルシオン!」


 ハルシオンは瞳を細め毅然とした態度で口を開いた。


「私は毎夜、吸血鬼イモータルにされた人間であるアルビヨンの民を殺しています。その中の一人が私だったとしても、なんら変わりありません。いや、それができる覚悟のない方に、吸血鬼イモータルの殺し方を教える事はできません」


 アナーシアは青灰色の瞳を見開き、唇を噛み締めながら立っていた。

 まだ十七才の少女にこんな酷なことを言わなければならない――それが自分の弱さ故だということをハルシオンは自覚している。


「わかったわ」


 乾いた声でアナーシアが答えた。

 その瞳は弾丸のようにハルシオンに向かって真っ直ぐ見上げられている。


「私は――その可能性を回避するためにあらゆる努力を惜しまない。でも……そんな運命から逃れられない時は、アルビヨンの姫として、あなたをこの手で殺します」


 ハルシオンはアナーシアに頭を垂れた。


「ありがとうございます」


 その時、ふっと首に彼女の細い腕が回されるのを感じた。

 小さな唇から漏れる微かな息と、頬と頬が僅かに触れ合う体温も――。


「でもね、ハルシオン。私が銃を握る決意をしたのは、あなたを失いたくないから。あなたを殺すためじゃない。その我侭だけは許してくれる?」


「……はい」


 ハルシオンは静かに頷いた。


「ありがとう。これで私も覚悟を決めることができたわ」


 ハルシオンの首に回していた腕を解き、アナーシアは頭上で結い上げた蜂蜜色の髪を揺らして微笑んだ。


「じゃ、早速明日から、射撃を教えてね。ハルシオン」


「わかりました。姫に合う銃をご用意して、演習場でお待ちしています。時間は午後からでよろしいですね」


 ハルシオンは夜空を見上げた。

 白く輝く月が頭上高く昇っていた。


「夜も更けました。部屋までお送りします」

「あ――っ!!」


 アナーシアの背に手を置こうとしたときだった。急に彼女が慌てたように叫び声を上げた。


「一体、どうされたのですか?」


 あまりにも唐突だったのでハルシオンはぎょっとなった。


「だめよ。私、明日演習所へ行けないわ。城出禁止のお母様のご命令に背いてしまったから、一週間自室での謹慎を言い渡されてしまったの」


 ハルシオンは顔をしかめた。その件に関しては明日の朝、女王陛下に謁見を賜り、報告をしなければならないだろう。


 彼女はハルシオンを救うために、母親の命令に背いてしまったのだから。

 そう考えてハルシオンははたと我に返った。


「アナーシア様」


「何?」


「今あなたは一週間の自室謹慎でいらっしゃるんですよね?」


「そうよ。ハルシオンのせいだからね」


 いーっと歯を見せてアナーシアが怒る。

 それを冷静に見下ろしながらハルシオンは呟いた。


「いいんですか? 今、こうして部屋の外に出ていて?」


 アナーシアがふふんと鼻歌まじりに声を上げ、ハルシオンを見上げた。


「ちょろいもんよ。夜ならエルムに身代わりしてもらって、寝台の中に入っててもらってるから。実はハルシオンを助けに行く時もそうしてもらったんだけど、ルクシエルと一緒に城門から戻ってしまったから、衛兵が私のこと、お母様に報告しちゃってばれちゃったの」


「……」


 ハルシオンは内心呆れた。第一、エルムもエルムだ。

 一度ばれてしまったのに、アナーシアに逆らう事ができないからと、また同じことをするなんて。


 だがきっと彼女の母であるアルビヨン女王はすべてを知っているのだ。

 彼女もまた『先見の力』を持つ偉大な存在である。


「アナーシア様、どうか無断で部屋から抜け出すのは、今夜限りにしてください。たった一週間の辛抱です。でないと、あなたに射撃を教えても良いという許可を、陛下が下さらないかもしれませんからね」


「そ、それは困るわ!」


 蜂蜜色の髪を馬の尻尾のように跳ねさせて、アナーシアが顔を青白くする。


「じゃ、戻りましょうか」


「ええ」


 ハルシオンは自らアナーシアへ手を差し出した。

 この姫は必ずアルビヨンの希望となる。

 ひょっとしたら、七百年もの間続く吸血鬼イモータルとの戦いに終止符を打つ、アルビヨンの解放者リベラシオンになるかもしれない。

 彼女を守ることは、つまり、アルビヨンを守ることと同じ。


『あなたに血を与えた事で、私は再びここで眠りにつきます。決して『吸血鬼イモータル』に、私の体を渡さないで』


 そして、黄金の瞳を持つ彼女グロリアとの約束を守り続けることにもなるだろう。記憶は断片的でよく思い出せないが、『約束』だけは守らなくてはならない。


 それが、『輝ける栄光Shining Glory』を手にした代償なのだ。





 ―完―

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