アナーシア~先見(さきみ)の力~
ハルシオンはアナーシアの目線に合わせるために身を屈めた。
視線が重なるとアナーシアは居心地が悪そうにそれを避ける。が、はっと心奪われるように、ハルシオンの肩口を見つめている。首の後ろでひとまとめに結った長い白金の髪が、身を屈めたことで滝のように流れ落ちていて、月光に照らされることで更に眩く輝いているのだった。
アナーシアはそれをひたと見つめていた。
ハルシオンは軽くため息をついて、肩にかかる髪の束を手にした。
「アナーシア様、どれほどの長さがお好みですか? いっそルクシエルみたいに肩口で、パッツンな髪型もいいですね。もしもご希望なら、切った私の髪でかつらを作っても良いですよ。姫の濃い艶やかな金髪もよいですが、真っ直ぐな
「ハルシオン――私……、私、そんなつもりじゃ……あっ!」
ハルシオンはアナーシアの右手から短剣を取り上げると、それを首の後ろで纏めている髪紐の辺りに押し当てた。
「ハルシオン!!」
鋭利な短剣の刃が、月光にも似たハルシオンの
アナーシアが両手を口元に当てて、今にも泣きそうな顔で、ハルシオンの切り落とされた長い髪の束を見つめていた。
「そんな……」
「アナーシア様、なんという顔をされるのです。これがお望みだったのでしょう?」
「だって、だってハルシオンの髪――綺麗だったのに……それなのに、私」
その場から走り出そうとしたアナーシアを、ハルシオンは肩を掴んで引き止めた。
「嫌、ごめんなさい! 私、部屋に帰るわ!!」
「お待ち下さい」
「本当に酷い事したって分かってる! だから離して!」
「酷い事? 一体、姫が何をしたというのです?」
「だって私――!」
「姫、あまり暴れないで下さい! お手に髪が引っかかって痛いです」
「えっ?」
ハルシオンの腕の中でもがいていたアナーシアが、驚愕に目を見開く。
「嘘……」
アナーシアはきらきらと手に絡みつく長い
「これでおわかりになりましたか? ご覧の通り、姫は何もなさっておられません」
ハルシオンは肩を流れ落ちる
「さっき切った、髪の毛は――」
アナーシアがハルシオンから体を離して後さずりする。
「こちらにまだ持ってます」
ハルシオンは髪を束ねていた紐がついたそれをアナーシアに見せた。
「これはどういうことなの?」
何がなんだかわからない。アナーシアの顔が今にも卒倒しそうに青白くなった。ハルシオンは切った髪の束から手を離し、アナーシアの顔を覗き込んだ。
「驚かせてすみません。アナーシア様、大丈夫ですか?」
こくりとアナーシアが頷いた。青灰色の瞳が再び涙で潤んでいる。
驚くのも無理はない。
ハルシオン自身もこの『髪』に関しては、気持ちが悪いと思っている。
「どうしてこうなってしまうのか、理由はわかりません。でも『
アナーシアの青白い頬に一筋の涙が落ちた。
ふるふると唇が震えている。
アナーシアは手の甲で涙の雫を払い落とし、やおらハルシオンの腕を掴んで顔を上げた。
「――よかった。ハルシオンの髪が元に戻って――本当に、よかった!」
「アナーシア様」
ハルシオンは一瞬あっけにとられた。
気持ち悪くはないのだろうか。
いや、一度切った髪が一瞬で元の長さに戻るなんて――それはもう人間ではない。化け物だ。
「アナーシア様、私はもう――」
「言わないで」
ハルシオンの口をアナーシアの右手が押さえた。
「ハルシオンはハルシオンよ。あなたはアルビヨンを
ハルシオンは口元を押えるアナーシアの手を掴み、そっと下に降ろした。
アナーシアはハルシオンを見つめたまま、いつものちょっとおどけたような笑みを返した。
アナーシアは強い。目を背けたくなる現実も自ら進んで受け止めようとする『強さ』を持っている。その強さに救われた気がする。
「ありがとうございます。本当は気持ち悪がられると思ったので、髪に触れられることが気になっていたのです。でも……皆が姫のように、異質な存在である私を受け入れてくれるとは限りません」
「いいえ、そんなことない! 皆は忘れてはいない。三年前、あなたに助けてもらった事を。あなたは『
アナーシアの手がハルシオンの髪に触れる。
いつものようにぞんざいに掴むのではなく、神聖なものに触れるようにそっと指先を滑らせる。
「『
ハルシオンは苦笑した。
確かに。あの時のアナーシアの顔は悲壮感に満ち満ちていた。
「その髪が
「ハルシオン。あの
「ええ」
ハルシオンは言葉少なげに返事をした。
「逃がしてしまったわね」
「ええ」
「――ハルシオン、彼はまたあなたの所に来るんでしょ。あなたはそれを知っている」
ハルシオンは黙ったままアナーシアを見つめた。
アルビヨン王家の女性のみに出現するという『
「
「そうよ。私はハルシオンのことならわかるの! だからあなたが教会から帰ってこなかったあの日も、嫌な予感がしてたまらなかった」
ハルシオンは俯いた。アナーシアがルクシエル達と共に駆けつけてくれなかったら、今頃自分はノムリスの傀儡となって、ひょっとしたら三年前に現れた
いや。
今後、そうなるかもしれない。
「アナーシア様、お願いがあります」
アナーシアが眉をひそめた。
「ちょ、ちょっと待って!」
アナーシアが全身で待ったをかけた。
「思い出したわ。いろんなことがありすぎて忘れてたけど。ハルシオン、あなた、教会から帰ってきたら、私の『お願い』をきいてくれるっていう約束、覚えてる?」
忘れてるという答えは認めない。
ハルシオンはアナーシアの瞳の中にその感情を目ざとく読み取った。
「そういえば、そんなこと……していたような気はします」
「気がする、じゃなくてしたの! だから、先に私の『お願い』を言ってもいい?」
「ええ。それは構いませんが」
ハルシオンは頷いた。元よりアナーシアに逆らう気はない。
「ええと……改めて言うとなると、ちょっと恥ずかしいわね」
アナーシアは頬を紅く染めて、照れたように鼻の頭を小指で掻いた。
「お願いっていっても、無理難題じゃないから安心して。私に射撃を教えてほしいの。ほら、剣術だと今回のように離れた敵と戦うには不利じゃない。だから私も銃を扱えるようになりたいの!」
何がこの少女を
人々を――いや、目の前の少女を彼らから守る為に、自分は銀光騎士団を束ねて日々警護に当たってきたのではないのか。
「いいでしょ、ハルシオン。銃が扱えれば私だって自分の身は自分で守れるわ」
ハルシオンは
口の中に苦い物が広がっていく。
彼女の願いを叶えれば、自分の願いも叶うという事に気付いたからだった。
やはりアナーシアには『
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