ハルシオン~戸惑い~

 ◇◇◇


 ハルシオンは騎士団営舎の中にある寝室で目を覚ました。

 ずっと何か夢を見ていた記憶があるのだが、どんな夢をみていたのかは全く覚えていない。


 けれど寝台から身を起こすと吸血鬼イモータルだったノムリスや、彼に襲われたアルファージのことが脳裏によみがえってきた。


 一体どれくらい眠っていた?


 ハルシオンは寝台から起き出し、夜着から銀光騎士団の白い制服へと着替えた。あまり使うことはないが、ハルシオンの寝室は執務室の隣である。そこへ通じる扉を開くと、窓を背にした執務机の傍らにルクシエルとアナーシアが立っていた。


「ハルシオン! 駄目よ、まだ起きちゃ」


 蜂蜜色の髪を一つに束ね、馬の尻尾のように揺らしながら、アナーシアが駆け寄る。眉根を寄せて唇をきゅっと噛み締めた表情を見るだけで、普段がさつ――いや、活発な彼女がハルシオンのことを心配しているのがよくわかる。


「ご心配をおかけしました。私はどれくらい眠っていたのでしょうか?」

「教会で倒れられてから丸一日です、騎士長」


 ルクシエルも両腕を組んで険しい表情でハルシオンを見つめていた。


「そうですか……ルクシエル、あなたにも迷惑をかけてすみません。取り合えず私はもう大丈夫です」

「それを判断するのは私よ」

「あ、姫」


 アナーシアが予告もなしに右手をハルシオンの額へ押し付けた。

 もとい、押し付けようとしてハルシオンを見上げた。

 ハルシオンとアナーシアの身長差は頭一つ分以上ある。


「屈んで。手が届かないわ」


 アナーシアは主君の娘である。そして将来のアルビヨンの王位継承者である。ハルシオンはやむを得ず片膝を付いた。アナーシアの普段剣を握る小柄な手がそっと額に押し付けられる。


「……そうね……熱はないみたい」


 安堵の息を吐きながらアナーシアの青灰色ブルーグレーの瞳が頷く。


「ご満足いただけたでしょうか」

「待って! 首の傷は?」

「痛みはありません。まさに吸血鬼の歯牙にかかる所で、アナーシア様が助けに来てくださったので軽傷で済みました」


 ハルシオンは立ち上がった。

 その際に、机の傍に立つルクシエルが静かに首を横に振るのが見えた。


「騎士長。あまり無理をしないで下さい。陛下にはあなたの負傷のことは報告済です。数日静養するように命じられました。そうですよね、アナーシア様」


「え、ええ。そうよ、ハルシオン。お母様もあなたのことをとても心配していたわ」


「ではなおの事、職務復帰のご報告を陛下にしなければ。そして私のために、城出禁止のご命令に背いた姫のお詫びも」


「ちょ、ちょっと! どうしてそうなるのよハルシオン!!」


 踵を返してハルシオンは顔をしかめた。アナーシアがいつもの如く、ハルシオンの首の後ろで一つに束ねた白金プラチナの髪をむずと掴んだのだ。


「アナーシア様。それはやめて下さいと申し上げたはずです」


 嫌々振り返ると、唇を引きつらせてアナーシアがハルシオンを少しも笑っていない瞳で睨みつける。


「だったら切りなさいよ。全く……眩暈がするほど、綺麗ななんだから」

「え?」


「だからー、なんか、イライラするのよね。私なんか髪油つけてどんなに手入れしたって『馬の尻尾』なんだもの! そうだわハルシオン、私があげるわ」


 アナーシアが腰に携帯している短剣の柄に手をかけた。水を得た魚のように、その瞳がきらきらと輝いているのは気のせいだろうか?

 流石に今のアナーシアからは身の危険を感じる。


「ちょっと……待って下さい! ……姫!」


 ハルシオンは慌ててアナーシアの手を振り解くと、外へ通じる扉を開けて執務室から逃げ出した。


「あ! 何逃げるのよハルシオン! 待ちなさい」


 抜き身の短剣を手にしてアナーシアがその背中を追う。

 一人部屋に残ったルクシエルは額に手を当てて盛大にため息をついた。

 以前アナーシアがハルシオンのことについて語った言葉を思い出しのだ。


『ハルシオンのことを考えていたら息が止まって、目眩がするくらい胸がどきどきして、たまらなくイライラしてくるの!』


「どうやらそれは恋ではなくて、嫉妬だったようですね……」



 ◇◇◇



 アナーシアが何を考えているのかがわからない。

 ハルシオンは夜の闇に身を隠しながら、時折仮眠に使う庭園の東屋へ向かっていた。

 歩きながらふと、自分の体がこんなにも頑丈な方だったのかと思いながら。


 ルクシエルがハルシオンが教会で倒れてから一日しか経っていないと言っていたが、たった一日で熱が下がることはありえるだろう。


 だが――。

 ハルシオンは利き手である右手を握り締めて動かした。

 確かにノムリスに右手首の骨を砕かれたのだ。


 けれど今は何の痛みも感じない。重いものだって持つ事ができる。手首は腫れておらず骨折の形跡はない。

 首の咬傷も制服に着替えた時、包帯を外したみた所、跡形もなく綺麗に治っていたのだ。


「私は……一体……」


 ハルシオンは歩きながら肩に流れる白金プラチナの髪の束に手を絡ませた。

 ひそかに城の女性たちに憧れと羨望の眼差しでみられている――勿論ハルシオンは気にしていない――このふざけた髪だってそうだ。


 元々はアルビヨン人として普通の黒髪だった。

 アナーシアと同じくらいの長さだったが、『輝ける栄光Shining Glory』と呼ばれるあの十字架を手にしてから、白金に変わってしまった。

 薄々感じてはいたが、どうやら自分は限りなく人間から離れた存在として生きているようだ。そして、それをノムリスも気付いた。


『……この血――お前は……まさか!』


 ハルシオンの血に人間とは違うものを感じたのだろう。

 朦朧もうろうとした意識の中でも、ノムリスが動揺していた事をはっきりと覚えている。


「やっぱり、ここにきたわね」


 ハルシオンは東屋あずまやの前で足を止めた。石造りの丸い天井を持つ東屋の入り口には、アナーシアがハルシオンを待っていたといわんばかりに立っている。青白い月光がその小柄な体を柔らかな光で照らしていた。


 ハルシオンは警戒するように足を止めた。

 するとアナーシアがうなだれてゆっくりと首を左右に振った。


「私が悪かったわ、ハルシオン。もう髪を切るなんて言わないから。ごめんなさい。ただ、前からそう言ってみたかっただけなの」


「いえ――」


 ハルシオンは足を前に進みかけて、再度確認するように口を開いた。


「謝ったとみせかけて、実は髪を切るなんて事、しないでしょうね?」

「そ、そんなのしない、わよー!」


 けれどアナーシアの動きはおかしい。さっきから利き手の右手を背後に回して前に出そうとしない。それをちらりと一瞥して、ハルシオンは諦めた。


 この姫には。今逃れる事ができても、何時かその時は来る。

 ハルシオンは翡翠かわせみ色の瞳を伏せ静かに微笑した。


「……いいですよ。アナーシア様。そのにされている短剣で、私の髪を切って下さい」


「えっ! あ、いや――それは――」


 思ったとおりアナーシアは右手に短剣を持って後ろ手にそれを隠していた。

 この姫は自分の好奇心を抑えることがまだできない。




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