アルファージ
「ハルシオン!」
アナーシアの瞳は喜色に輝いたが、ハルシオンは天井を睨みつけたまま彼女の体を引き寄せ右腕で横抱きにした。同時に駆け下りてきたノムリスの手が、アナーシアが先程いた場所で空を掻く。
ハルシオンはアナーシアを抱えたまま地面に伏せ、そのままの体勢で上半身を起き上がらせると、左手に持った『
地下墳墓の薄闇を白銀の閃光が引き裂いた。
同時にノムリスのものと思しき悲鳴が辺りに響いた。
『
『――ハルシオン! お前は……』
真紅の瞳をぎらつかせ、ノムリスは吹き飛ばされた右の肩を左手で押さえ立っている。
「いたぞ! あそこだ!」
「撃て!」
その場にいる銀光騎士団十名の銃口が一斉にノムリスへと向けられる。
ノムリスはそちらにはまるで関心を持たない様子で唇を歪めハルシオンを一瞥した。声には出さずハルシオンだけに思念を送ってきた。
『今日は分が悪い。また改めて君の所へ行こう。君にはまだ、聞きたい事が――』
ノムリスに最後まで喋らせるつもりはなく、ハルシオンは続けて『
だがノムリスは白銀の閃光を僅かに体を捻るだけで避けると、漆黒の司祭服を翻し、再び周囲の闇に紛れるように姿をくらませた。
◇
「消えたぞ!」
「一体どこに逃げた!?」
ランプを手にした騎士達が彼らの身長の三倍はありそうな、高い地下墳墓の天井を見上げる。
「皆さん――もう、大丈夫です。あの
ハルシオンは息をつきながら騎士達に呼びかけた。
呼びかけながらも、思い出したかのように地面を見下ろした。
何かが先程からハルシオンの
「ハルシオンっ、いつまで腕を載せてるの! 重い!!」
そこには顔を真っ赤にして地面に倒れて(正確には倒されたまま)のアナーシアがいた。
「す、すみません、アナーシア様……」
ハルシオンが右腕をアナーシアの背中から外すと、彼女は泣いているような怒っているような、どちらともつかぬ形相で体を起こした。
「ハルシオンの馬鹿ぁ! あなた、こんな所で何やってたのよ!」
「……」
アナーシアにどう言えば良いだろうか。
戸惑うハルシオンはすぐに言葉を口にすることができなかった。
いや、そもそも何故彼女がここにいるのだ?
しかも銀光騎士団の面々を引き連れて。
「ハルシオンがなかなか帰ってこないから心配して来たのよ! やっぱり来て正解だった」
怒りで唇を震わせていたアナーシアの瞳が、驚愕したように細められた。
「咬まれたのね? いけない、血が出てるわ」
アナーシアは懐を探り白いハンカチを取り出した。それをハルシオンの首筋へと押し当てる。冷水を浴びたように汗をかいているが、今は鈍い痛みしか感じない。押さえていればそのうち血も止まるだろう。
「他に怪我は?」
心配そうな声色になったアナーシアを見ながら、ハルシオンはやっと喉から声を絞り出した。
「……大丈夫です。それより姫、私よりも――アルファージが……」
ハルシオンは再び目の前が不鮮明になり揺らめくのを感じた。
その不快感を無視して、ハルシオンは前方へ目をこらした。
アルファージが倒れているのはハルシオンが拘束されていた椅子の近く。
そこにはルクシエルや他の騎士達が、確認をするようにランプを掲げて集まっている。
「アルファージは、私のせいで――」
「ハルシオン!」
ハルシオンはアナーシアの手を振り切り立ち上がった。
白金の十字架に戻した『
仰向けの姿勢でアルファージの体は床に横たえられていた。両手は軽く握られたまま、体に沿う様に置かれている。顔色は青ざめ瞼は硬く閉ざされている。黒い司祭服の詰襟は開いていて、喉元には赤黒い二つの咬傷が覗いていた。
ハルシオンはそれを呆然と見下ろしていた。
やはり見間違いではなかったのだ。
アルファージはノムリスの手にかかって死んでしまったのだ。
「ハルシオン様」
ルクシエルが気付いて振り返る。
ぱたぱたと足音を立てて駆けてきたのはアナーシアだ。
「ご無事で何よりです」
ルクシエルはハルシオンの様子に目を細め、険しい表情をその冷静な面差しの上に浮かべた。
「アルファージ司祭長は重傷ですが、生きています」
「……え……」
ハルシオンはルクシエルの言葉に耳を疑った。
「かなり血を失っておられますが、脈もしっかりしていますし……それにほら、意識もあります」
「よぉ、ハルシオン……、俺もやられたなりに、少しはお前の役にたっただろう?」
土気色の肌の下。黒い瞳をハルシオンに向けたアルファージが弱弱しくも口を開いた。青ざめた唇に小さな笑みが浮かんでいた。
「アル……ファージ……」
ハルシオンはアルファージの枕元へ駆け寄った。
膝を付いてその顔を覗き込む。
「俺がお前の足首を引っ張ってやったから、お前、上手い事よろめいて『
ああ、椅子から立ち上がった時――。
不意に周囲の景色が急激に揺らいだのだ。立ちくらみを起こしたとばかり思っていたが。
「アルファージ……あなたって人は本当に――」
頭の中がぐちゃぐちゃになって自分が何を言っているのかも理解できなかったが、一番多かったのは謝罪の言葉ではなかっただろうか。
心の中で軋んでいた重石が外れて、全ての重責から解かれたような気がする。それを望む資格は今の自分にはないけれど。
けれど今だけ、何もかも忘れて眠ってもいいだろうか。
「……」
ルクシエルが無言で手を伸ばし、ハルシオンのくず折れる上体を背後から支えた。
「ハルシオン、熱があるの。すごい熱よ」
アナーシアが確認するようにハルシオンの額に手を置く。ハルシオンの首の傷を押えた時に気付いていたのだ。ルクシエルは頷いた。
「わかっています。吸血のショックによるものです。おい、二人を上の部屋へ運ぶぞ。皆、手伝ってくれ」
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