約束

「君が引き金を引くより、私がその首をへし折る方が早い」


 言葉通りノムリスの冷えた指には力が加わりハルシオンの気道を圧迫する。

 息ができない。

輝ける栄光Shining Glory』を握る手が震えた。


『私を、殺していいのか? グロリアという女の居場所が、わからなく、なるぞ』


「殺しはしない。君は『輝ける栄光Shining Glory』を操る騎士だが、所詮はか弱きだ……ほら」


 ノムリスは右手でハルシオンの喉元を押さえつけながら、左手で『輝ける栄光Shining Glory』を握るハルシオンの右手首を掴んだ。

 みしりと嫌な音がして手首の骨が砕かれたのがわかる。


輝ける栄光Shining Glory』 の重みを支える事ができず、ハルシオンの手からそれは無常にも滑り落ちた。


 白金の銃はハルシオンの胸の上に落ちて左の脇腹の方へと転がった。

 暗く霞む視界の中でノムリスの声だけが響いてくる。


「力で君達人間が、我々に敵わない事は知っているだろう?」


 ――だから、どうだっていうんだ?


「こんな状況で、君はまだ反撃を考えているのか?」


 ――考えているように、見えるのか?


 喉を圧迫されているせいで、そろそろ窒息する方が早い。

 殺さないと言っていたが、人間は仰るとおりか弱い生き物なのだ。


「おっと、死なれては困る」


 喉を圧迫する圧力が弱くなった。

 空気を求めてハルシオンの肺は大きく喘いだ。


「何故かたくなに抵抗する? 私は君を殺す事が目的ではない。ただ、グロリアの眠る場所へ行きたいだけなのだ」


 ハルシオンはまだ荒い呼吸を続けていた。


 ――グロリア……。


 頭が凍ったように麻痺して物事を考えられない。

 三年前、吸血鬼イモータルに襲われて死にかけた時と同じように――。

 けれど自分の中の何かが、思い出そうとする行為を止めようとする。


 グロリア。

 グロリア。

 その名を言わないでくれ。

 呼び覚まそうとしないでくれ。

 約束、したんだ。






 目の前に夜よりも暗くて長い闇色の髪が広がる。

 黒曜石と紫水晶で飾られた円環の冠を戴いた、黒いドレス姿の女性。

 その瞳の色は吸い込まれそうに深い――黄金。


『私の体を……渡さないで』



 ◇




「そう――それこそ『彼女グロリア』だ! ハルシオン、思い出せ!」


 狂喜するノムリスの声でハルシオンは我に返った。

 無言でただ首を横に振る。

 思い出したくない。

 いや、思い出してはならないのだ。

 彼女の事を思い出すのなら、ここで殺された方がましだ。

 ハルシオンは目を閉じた。


「私には……命よりも守らねばならない……約束がある……」

「なんだと?」


 喉元に掛かるノムリスの冷たい指に再び力が込められていく。

 冷徹な血亡者イモータルの本性そのものを剥き出しにしたノムリスの顔がハルシオンに近づく。


「ハルシオン、安易に死ねると思うなよ。こうなれば最後の手段を使ってでも、私はグロリアの居場所を聞き出してみせる」


 ハルシオンは首筋に焼けるような熱と痛みを感じた。

 思わず閉じた目を見開く。

 ノムリスの長く伸びた犬歯が深く喉元に沈みこんでいく感覚が熱い。

 頭の中でノムリスの声が冷たく響いた。


『君が死ぬ直前まで血を吸って、その後私の血を与えて君を私の傀儡にしてやろう。そうすれば、私に逆らうことなどはできない』


 ハルシオンは動かせる左手で近くに落ちたはずの『輝ける栄光Shining Glory』を探った。だが触れることができない。手の届かない所へ滑り落ちてしまったのだろうか。


 ノムリスの傀儡になれば、今まで散々自分が倒してきた低級の吸血鬼イモータルと化してしまう。


 グロリアの居場所はともかく――今まで護ってきた人々に自らが危害を与える存在となってしまう。


 それだけは嫌だ。絶対に。

 だが焦る気持ちとは裏腹に、意識は眠りに落ちる時のように霞んでいく。


 ハルシオンの血を啜るノムリスの喉が一度だけ鳴った。

 赤く染まったノムリスの目が驚愕に見開かれる。


『……この血――お前は……まさか!』


 ノムリスの動揺を一瞬感じた。その時。

 聞き慣れた銃声が地下墳墓の闇の中で鳴り響いた。同時に多くの人間の足音と、ランプの光が幾つも周囲に明るい光の輪を描く。


吸血鬼イモータル! ハルシオンから離れなさい!」


 凛と、はっきりとした口調で言い放たれたその声は、ハルシオンの良く知る少女のもの――。


「姫、お下がり下さい!」


 蜂蜜色の髪を揺らす少女を背後に庇い、銀光騎士団の副騎士長であるルクシエルが、両手に持った二丁の白銀の銃の引き金を続けざまに引く。


 一つの銃声にしか聞こえないくらいの早撃ちで放たれたルクシエルの十二発の弾丸は、確かに壁際へと逃れたノムリスを追尾していた。


 けれどノムリスは嘲笑うように、壁際からランプの光が届かない遥か天井へと一気に駆け上った。


「どこへ行った!?」


 ハルシオンはざわめく騎士達に目もくれず上半身を急いで起こした。

 ランプの光に反射する『輝ける栄光Shining Glory』を見つけ、拾い上げると左手で握りしめる。


「ばらばらになるな! 発砲するな! 同士討ちになるぞ」


 弾を急いで込めながらルクシエルが部下の騎士達へ叫ぶ。


「ハルシオン! 大丈夫!?」


 銀の細剣レイピアを携えたアナーシアがこちらへ走ってくる。


「姫! 我々のそばを離れてはなりません!」


 ルクシエルの制止の声が飛んだが、アナーシアはハルシオンがいる部屋の奥の方へ構わず駆けて来る。また無断で拝借してきたのか、白い銀光騎士団の制服を着ている。


 だがハルシオンは、アナーシアの背中めがけて天井を駆け下りてくるノムリスの姿を見出していた。

 間に合うか。

 ハルシオンは気力を振り絞り、立ち上がりながら、アナーシアに向かって右手を差し出す。


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