対峙

 外にいるといつ吸血鬼イモータルに襲われるかわからない。よろめきながらハルシオンは開いていた教会の扉をくぐり中に入った。


 教会の中も闇だった。ろうそくの火は風に吹き消され、濃い蝋の臭いが立ち込めていた。人の気配は勿論、何かが動くそれも感じられない。


 もとい、あと何歩歩く事ができるだろうか。

 喉のずきずきする痛みと荒くなる息遣いに戸惑いながら、ハルシオンは首筋から伝い落ちる自らの血に気付いた。


 弾丸を撃ち続けて熱い銃身の銃をその場で落とし、ハルシオンは震える右手で傷に触れた。ぬるりとした嫌な感触。吸血鬼イモータルに噛まれた傷からの出血が止まらない。

 口の中も錆びた鉄の味のするそれが充満している。

 このまま死ぬのだろうか。ふっとそんな考えが脳裏を過ぎった。


 ハルシオンは壁に縋りながら、真っ暗な教会の中を歩いていった。

 どれくらい壁を伝いながら歩いたことだろう。

 どこか部屋らしき――いや天井が高いので礼拝堂かもしれない。前方に十字架を祀った祭壇らしき場所が見える。


「……」


 赤や黄色、緑に紫――。十字の形を象った大きなステンドグラスの前にあるそれは、今は輝きが失せた黄金色をしてハルシオンを見下ろしていた。

 不意にその十字架が幾重にも揺らいで見えた。


 足が震え体を支える事が難しくなり、ハルシオンは壁に背中を預けた。

 途端、まるで地面が無くなり下に落ちていくような落下感を覚えたまま、ハルシオンの意識はそこで途切れた。



 ◇ 



 全身の倦怠感と酷い喉の渇きで目が覚めた。

 ハルシオンは淡い白金の睫で縁取られた重い瞼を開き、身じろぎした。

 目の前には銀髪の紅い目をしたノムリスが、腕組みをして立っている。


「どうやら、探すべき所の目星はついたな。その十字のステンドグラスをかたどった礼拝堂――あそこが、グロリアが眠る場所へ通じる入り口があるとみていいだろう」


「今のは、一体――」


 ハルシオンは戸惑っていた。まるで夢のようだが、夢というには感覚が生々しすぎて全身に冷たい汗をかいている。


 吸血鬼イモータルに噛まれた感触までもが喉に残っている。

 両手を椅子の後ろで縛られていなければ、手を喉に当てて傷の有無を確認しているだろう。

 くつくつとノムリスが低く笑い声を立てた。


「夢ではなく、それは君の身に起きた事だ。ハルシオン。最も君自身が認めたくないから、この記憶は意識の奥深くに沈められていたのかもしれないがね」


 ノムリスが唇を歪めながらハルシオンの顔を覗き込む。


「さて。じゃ、今度はその礼拝堂への道を思い出してもらわなくてはならないな。現在の教会の礼拝堂にあの十字の窓はない」


 ハルシオンはかさついた唇を舌で湿らせた。

 喉の渇きのせいか、出た声は年寄りのようにひび割れていた。


「そんなこと、わからない。私の意識を先程のぞいたのだろう? それでわからなかったのに……いつまでこんなことを続ける?」


 ノムリスが銀の眉を吊り上げた。


「勿論、君が思い出すまでいつまでも、だ。私はどうしても『黒き聖母・グロリア』が必要なのだ。いや――吸血鬼イモータルの始祖である、彼女の『血』がな」


 ハルシオンは心底疲れを感じて息を吐いた。

 もう何日もこうしているような気がする。


「……ならば、もう少し楽な体勢にさせてくれ。思い出そうにも――縛られた手が痛くて敵わない」


「それはできない。君は『輝ける栄光Shining Glory』に選ばれた騎士だ」


「では、どうやってあなたを案内すればいい? 椅子に縛られては身動きできないじゃないか!」


 ハルシオンはノムリスを睨みつけながら掠れた声で叫んだ。

 あの十字のステンドグラスが施された礼拝堂に心当たりがなくもない。


 兎に角この教会は七百年前に建造されてから、増改築を繰り返しているため、秘密の通路やいくつもの小部屋がある。礼拝堂が大なり小なり、他にも三箇所あることをハルシオンは知っている。


「ふむ。意識下を探るよりも、実際に心当たりの所へ行ってみる方が早いと――そう言うのだな」

「ああ」


 ノムリスは瞳を細めた。


「わかった。君の縄を解こう。だが私から逃げられると思わないことだ」

「……」


 ハルシオンは黙っていた。能力の高い吸血鬼イモータルは心を読む。

 この状況から逃れたいと思う気持ちを隠す事はできないが、それを見透かされるのは実に不快だ。


「別に見透かしてるわけじゃない。我々は静かな夜を好むものでね。仲間内での会話は口ではなく、思念でやりとりをするのだ」


「……」


「おや、今度は本当に黙ってしまった。君は心の自制を保つのが上手いな。まるで我々の同族のように。お陰で苦労しているがな」


 ノムリスはハルシオンの座る椅子の後ろに回った。懐から短剣を取り出し、それでハルシオンの両手と椅子に縛り付けている縄を切った。


「……」


 ハルシオンはやっと自由になった両手をすり合わせた。

 どれくらい椅子に縛り付けられていたかわからないが、両手は白く血の気を失い冷たく強張っている。


「さあ、早く案内してもらおうか。客が来たら厄介だからな」


 ノムリスがハルシオンの左腕を掴んだ。ノムリスに腕を引っ張られるままハルシオンは椅子から立ち上がった。その時床に倒れてぴくりともしないアルファージの姿が目に入った。

 ハルシオンの座っていた椅子から数歩としか離れていない。彼は仰向けに倒れており目は閉じられている。


 助けを求めるように、ハルシオンから取り上げた『輝ける栄光Shining Glory』を胸の上で握りしめたまま微動だにしない。

 けれどアルファージの姿が目に入ったのは一瞬だ。


「ちょっと、待ってくれ……」


 急に立ち上がったせいか、歩こうとした時くらりと目眩がした。

 膝が沈み周囲の景色が凄い速さで回転する。


「おい、しっかりしろ」


 ノムリスがよろめいたハルシオンの体を支えようとした。だがハルシオンはノムリスの腕に縋りついた。咄嗟に寄りかかる所を求めて彼の腕を掴んだのだ。体重をノムリスにかけてしまったせいで、二人はもろとも一緒に床の上に倒れた。


「やれやれ……まだ薬が残っているみたいだな。少し休むか――」


 ノムリスは後頭部をさすりながら上半身を起こした。


「――!」


 目を見開いたノムリスの顔面には、ハルシオンの白い深靴ブーツの先端が迫っていた。不意の攻撃を辛うじてノムリスは体を再び床に倒すことでやり過ごす。


 けれどハルシオンはそうすることで、自由になった自らの体をアルファージの方へ移動させたのだ。ハルシオンは『輝ける栄光Shining Glory』へ手を伸ばし掴んだ。

 瞬く間に右手が眩い光に包まれたかと思うと、それは十字架から白金の銃へと姿を変えた。


「気をつけるのはそっちの方だ、ノムリス」


 ハルシオンが床に倒れたままの姿勢で両手で『輝ける栄光Shining Glory』を構えたのと同時に、ノムリスの顔が眼前にあった。だが彼の手はハルシオンの喉元を猛禽の爪のようにがっちりと押さえつけている。

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