回想~3年前の戦い
ノムリスは動かないアルファージの体から無造作に手を離し地面へと投げ捨てた。足元に倒れたアルファージの体をまたいで、ノムリスが静かにこちらへ歩いてくる。
けれど次の瞬間、ノムリスはハルシオンの背後に回っていた。
一呼吸する間もなく。
ひやりとした指が喉元にかかる。
ハルシオンは息を詰めた。
触れるノムリスの冷たい指先が、長く伸びた爪が肉に食い込む感覚が、忘れていた『何か』を思い出させる。
全身の毛が逆立ち、無意識の内に細かな震えが体を走る。
ハルシオンは努めて平静さを保とうとした。けれど意識すればするほど心臓の鼓動は跳ね上がり、呼吸が浅く速くなる。
「読めなかった君の心が、少しずつ感じられるようになってきた」
「……」
ノムリスの声がずっと近くで――耳元で囁く。
その囁き声で何かの暗示にかかったようだ。指一本動かすこともできず、自分で物事を考えるのがとても億劫だ。
ハルシオンはただ見つめていた。
脳裏に浮かんできたその光景を。
自分の事なのに、他人の身に起きたことのように眺めていた。
◆◆◆
そう、あれは。
月の光のない、三年前の新月の夜――。
『城へ行け、ハルシオン』
『私も一緒に行きます』
『ならん! お前は……お前は、銀光騎士団の一員として、一人でも多く民を救い城へ行くのだ』
皮手袋をはめた大きな手が、ハルシオンの肩を掴み、後方へと突き飛ばす。
まだ十七だった少年の体は軽く、民家の石壁へ背中を叩きつけられるように吹き飛んだ。
『たった一人で、家に戻るなんて無茶です……父さん!』
うずくまり、顔を上げたその時にハルシオンは銃声をきいた。
先程ハルシオンが立っていた場所に男の
だがその体にはすでに六発の銃弾によって風穴が開いていた。
『父さん!』
ふらつきながらハルシオンは立ち上がった。
銀光騎士団の白い外套を翻し、町の方へ駆け出す広い背中が見えた。
それが、最後に見た父の姿だった。
射撃を教えてくれたのは父だった。この春、銀光騎士団の一員にハルシオンも加わり、今夜は父と初めて組んで夜警に出たのだ。
まさか今宵、数多の
ハルシオンは父の言葉に逆らって、自分も町の中央に向かい駆けた。
家にいる母と妹のこと。
単独で家に向かった父のことが何よりも気がかりだった。
道端には
訪れた下町の通りは不気味なほど静まり返っていた。
ハルシオンは息を弾ませながら、右手に銃を握り締め背中を民家の壁に預けた。そこから必要最小限顔を覗かせ、前方の様子を探る。
共同井戸がある小さな広場で、家に戻るにはここを通らなくてはならない。だがそこにはふらふらと十体を超える
彼らは時折空を見上げるように顔を上げている。月のない夜だというのに、彼らの目だけが暗闇の中赤い光を帯びている。まるで人間の気配を探るように。
その時ハルシオンは、共同井戸の丸く石積みされた所から少し離れた木樽の陰で、うずくまっている子供がいることに気付いた。
路地の外れに置いてあった松明が倒れ、それが燻る熾火の光でちらちらと映し出される姿が見えたのだ。
辛うじて
いや、多くの
子供は恐怖で動けないのか、頭を膝に埋め体を小さく小さく縮こませている。
ハルシオンは右手に握った銃に力を込めた。
息を吸って整える。
弾は足りる。ここにいる
そう思った時だった。
背後から物凄い力で後方へと引き寄せられた。
獣を思わせる荒い息遣い。肩に食い込む長い爪。
外套が裂ける鋭い音――。
ハルシオンは咄嗟に手を伸ばし振り払おうと試みるが、絡みついたそれはびくともしない。
『しまった』
喉元に骨を砕かれるような耐え難い激痛が走り、ハルシオンは呻いた。
吸血のショックだろうか。体中の血が一気に引いて目眩を起こしたように目の前が暗くなる。
『……くそっ……!』
だから父に城へ行けと言われたのだ。
足手纏いになるから、置いて行かれたのだ。
ハルシオンの血を啜る
温かな血潮を求め飢えを満たすその行為を、黙って耐えるつもりはない。
ハルシオンは右手に持った銀色の銃を左脇の下へ回すと、背後から襲い掛かった
火薬の熱さと濃い血の匂いが辺り一面に立ち昇る。
押さえつけられていた重圧が取り払われ、絡み付いた
こうなっては仕方がない。自分が囮になったことに、あの子供が気付いてくれることを祈るしかない。
走りながら空になった弾倉へ弾を込め直し、ハルシオンに気付いた
着弾と同時に
けれどハルシオンに気付いた他の
ハルシオンは三発ずつ連続で発砲した。六発しか込める事ができない銃はあっという間に弾倉が空になる。
二体を倒した所でハルシオンは振り返り、追いかけてくる
あと四体――。
ハルシオンは息を弾ませながら路地へと逃げ込んだ。それから、どう走ったのかは記憶にない。
曲がり角が多い路地のお陰で追跡を振り切れたのか、ハルシオンはいつしか町の中心にある教会へとたどり着いていた。息切れがして、目眩が酷く立っていられなくなった。
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