失われし記憶(3)
「私が聞きたいのは、君がどこで『
「……」
ハルシオンは沈黙を保った。
その沈黙を良しとせずノムリスが唇を歪めた。
「君は覚えていないらしい。でもそれは、意識の表面に上っていないだけだ。君は知っている。意識の深層に、その記憶を封じ込めているだけなのだ」
ノムリスの紅い瞳がハルシオンの瞳を射るように見た。
途端、頭を横殴りにされるような強い衝撃を感じた。
ノムリスの思念だろうか。ハルシオンは思わず目を閉じ項垂れた。
やはり彼は並大抵の
俯くハルシオンへノムリスが語りかけるように呟いた。
「薬で眠ってくれている間、君の意識から感じたのはこの場所だった。だが残念ながら、ここまでしかわからない」
ノムリスの右手が上がり、白い指がハルシオンの顎を静かに持ち上げる。
氷の手で触れられたようでハルシオンは唇を震わせた。
力を入れてノムリスの手を振り払う。飲まされた薬の影響か、ノムリスの発する気の力か。それだけの動きで目眩がして体力の消耗を感じる。
「そう。抵抗するということは、君がその『記憶』を覚えていると認めるようなものだ。ハルシオン」
「……こんなことは、時間の、無駄だ」
息を吐き出しながらハルシオンはノムリスの後に佇むアルファージへ視線を向けた。正確には彼の首に掛かっている白金の十字架だ。
『
「無駄ではないさ。『
ノムリスはそう言いながら、やおら後に佇むアルファージの隣へ並び、親しげな友人のような態度で彼の肩に腕を回した。紅の瞳がハルシオンの考えを見透かすように、その胸で揺れる白金の十字架へと注がれる。
「そう――これが君の手に渡ると厄介だな。『
びくりとアルファージが体を震わせた。アルファージの肩を掴むノムリスの指の関節がくっきりと浮かび上がっている。
「やめてくれノムリス。俺は……!」
アルファージの喉がかすれた声を上げた。
「何をする気だ!」
ハルシオンはあらん限りの声で叫んだ。
後ろ手で椅子に体を縛られていて身動きできないのがもどかしい。
「ハルシオン。アルファージはまだ生きているし、『人間』だ」
これがどういう意味かわかるか?
ハルシオンは脳裏に直接ノムリスの声が響くのを感じた。
「助けてくれハルシオン! なんか、なんか覚えてないのか!? 俺は
自制のたがが外れたのか、突如アルファージが黒髪を振り乱し発狂じみた声を上げた。
「嫌だ。俺は、人間でいたいんだよ。頼む、ハルシオン。
(――グロリア?)
「……グロリア?」
頭痛が酷くなってきた。目の前の蝋燭の暗い光だけでもちかちかして目を開けているのが辛い。
「君がグロリアが眠る場所に行ったことは、『
「私は……知らない……グロリア……誰だそれは――」
けれど何故だ。
その名前を聞くたびに、胸の奥が疼くように痛むのは。
(私は本当に、知らないのか――?)
「ハルシオン!」
自らの心に問いかけながら、アルファージの怯えた声でハルシオンは顔を上げた。冷水を被ったように冷たい汗が額から流れ落ちる。
ノムリスの手はアルファージの右のこめかみを掴み、頭が動かないようにしっかりと固定している。司祭服の黒い襟から覗く首筋へ、ノムリスが顔を寄せるのが見える。
「……やめろ」
ノムリスの赤い瞳が勝ち誇ったようにハルシオンを見つめている。
「ではグロリアの居場所へ案内してもらおう」
「――それは、できない。覚えてないんだ!」
嘘ではない。
少なくともハルシオンは『
アルファージの首を捕まえたままノムリスが凍える声で呟いた。
「ならば――思い出してもらうしかなさそうだな」
ノムリスは再びこちらの意識を操るような、強烈な視線をハルシオンへと向けた。その視線から彼が、苛立ちをぎりぎりの理性で抑えているのがわかる。
「アルファージの話によると、君の家族は三年前、アルビヨンを襲った
それは一瞬の出来事だった。
ノムリスは果実をほおばるように、アルファージの首筋を引き寄せると長く伸びた犬歯を埋めた。
「やめろ!! ノムリス!」
「ぐあっ!」
血を吸われるアルファージの顔が苦悶に歪んだ。宙を見上げる目の光が消え失せ、顔色がどんどん青ざめて土気色になっていく。握りしめた両手の拳がぶるぶると震えていたが、やがてそれが唐突に動かなくなった。
「アルファージ!!」
ハルシオンの声だけが、地下墳墓の闇の中で虚しく響き渡っていった。
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