失われし記憶(2)

「三十分後に来るって言ってたから、実は外で待ってたの」

「これはこれは姫様――これからお部屋へうかがおうかと思って――」

「だからさっきの伝令の報告も聞いたわ」


 ルクシエルは内心舌打ちした。誰がどう聞いても、伝令と応対した見知らぬ司祭という存在がと思うではないか。


「ルクシエル。私、自分の目でハルシオンの無事を確かめたい」


 先見の力の影響もあるのだろうか。アナーシアは自分がハルシオンに感じているのは『恋』のせいじゃないからと前置きして訴えた。


「でも姫様は、城から外に出られることを陛下に禁じられています」

「そんなのわかってるわ。要は『姫』が城にいればいいんでしょ?」


 アナーシアの顔によぎった不敵な笑み。


「まさか、姫様――」


 嫌な予感がする。ルクシエルに先見の才はないが、この姫が何かよからぬことを考えていることはわかる。半年分の給料に値する、アルビヨン金貨一枚賭けてもいい。


「そう。ちゃんと部屋に『姫』はいるから。ルクシエル、悪いけど制服を貸してくれるかしら。これから教会へ乗り込むわよ~!」


 ぷっとルクシエルは吹き出した。

 なるほど、そういうことか。


「わかりました。では先に二階の私の執務室へ行ってて下さい。制服をお持ちします。ちなみにうかがいたいのですが、城から出られない不幸な『姫君』は一体誰なのです?」


 アナーシアはにこやかに微笑んだ。それこそこちらもついつりこまれてしまうような、愛くるしい満面の輝くような麗しい微笑みで。


「決まってるじゃない。私のことを一番良く知っている――従者のエルムよ」



 ◇



 一方、王城内のアナーシアの部屋では――。


『絶対無理。こんなのすぐに決まってる!』

『大丈夫よー。お腹が痛いとかなんとか言っとくから、寝台に入って布団にくるまってなさいよ』


 アナーシアの身代わりにされたエルムは、彼女の部屋で頭からすっぽりと布団に包まり震えていた。念のためと、金色のカツラと彼女の白い夜着を着てはいるが、布団をはぎとられたら偽者だとばれるのは目に見えている。


『姫様……無茶苦茶ですよ……というか、早く帰ってきて下さいーー!』


 不幸な従者エルムは、主人であるアナーシアの耳に絶対に届かないと知りつつ、それを切に願うのであった。




 ◇◇◇



 頭が酷く痛む。鈍器で殴られたように。

 それに加えて思考がまとまらない。いや、考える事自体億劫だ。

 できればこのまま眠っていたい――。


「目を覚ましたようだ」


 (――アルファージ?)


 ハルシオンは目を細めた。卓上に置かれた燭台のろうそくの炎が、事の他眩しく感じられた。


「……つっ」


 頭を上げようとしたが重い。鈍痛がひっきりなしにこめかみを圧迫する。

 視界はまだうっすらとした霧がかかるように煙っている。


 ハルシオンは朧げな意識の中、自分の置かれた状況を確認しようとした。

 頭以外に痛みはない。手先と足先は動く。だが、立ち上がれない。


 力が入らないというのもあるが、何かに体を固定されているようだ。

 どうやら椅子に縄で縛られているらしい。


 状況に戸惑いつつも試しに後ろ手に回された両手に力を入れてみるが、巻きついている縄は緩む気配がない。


「私は、一体……」

「――悪いな、ハルシオン。実はお前にききたいことがあるんだ」


 遠くから声が響く。けれどその声の主は膝をついてハルシオンの顔を覗き込んでいた。癖のある肩まで伸びた黒髪。人懐こそうな穏やかな青い瞳は、心労のせいか落ち窪みどす黒い隈が浮いている。


「アルファージ。一体、これはどういうことなんだ?」


 かさついた唇を動かすと、ハルシオンは顔を覗き込むアルファージの胸元に見知ったが揺れているのを見た。


 銀よりも眩い光を放つそれは、『輝ける栄光Shining Glory』に間違いない。ろうそくの暗い光に十字架の中心に嵌め込まれた宝石が、問いかけるようにきらりと紅に輝く。ハルシオンの曖昧だった意識は一気に目覚めた。


「それは、のだ! 返せ、アルファージ!!」

「わかってる。ハルシオン。用が済んだらお前にこれは必ず返す」


 アルファージの右手が上がり、彼は幼い子供をなだめるようにハルシオンの頭を撫でた。穏やかな口調とは裏腹に、その顔は酷く焦燥感に満ちていた。


「すみませんね。私も手荒な真似はしたくないので、ちょっと強引でしたけど、薬を使わせてもらいました」


 部屋の暗がりから二つの赤い瞳が瞬いた。

 その眼差しにハルシオンは見覚えがあった。

 ノムリスだ。

 ゆらりとした歩調でノムリスが歩いてきた。

 場所を譲るようにアルファージが後へ下がる。


 ハルシオンは近づいてきたノムリスを一瞥して確信した。

 相変わらず旅の神官を装っているが、目の前にいるその正体は【吸血鬼イモータル】――。


 彼の気配は夜気のように静か。纏う気は月光のように高貴。大理石のように染み一つない青白い肌。蝋燭の光を受けて輝く銀髪――。


 ハルシオンは息を詰めてノムリスを凝視していた。

 肌で感じる。彼は低級な化物ではなく、真正の吸血鬼エスカルラータであることを。


「流石だね。私が何者であるか察したようだ。でも、『輝ける栄光Shining Glory』の騎士である君の前で正体を隠すのは、ちょっと骨が折れたな」


 目の前にいるノムリスは、先日ハルシオンが助けたお調子者の神官ではない。眼光の鋭さを隠すための眼鏡はかけておらず、元より口調自体が変わっている。そこには人間よりも自らの方が優れていると自負する別の生き物がいた。


 鋭い紅の瞳が瞬いた。

 整った造りの顔立ちが僅かに申し訳なさそうに――曇る。


「君をこんな目にあわせてすまないと思う。だが、君にどうしてもききたいことがあってね」


 ハルシオンはノムリスの声を無視して素早く視線を周囲に向けた。

 ここはアルファージの居室ではないようだ。

 空気がひんやりしているので恐らく教会にいくつかある地下の小部屋だろう。


 この教会は七百年前に建設され、増改築を繰り返している。どこにどんな部屋があるのか、俺にもわからんのだとアルファージが冗談(いや、おそらく本当だろう)交じりに言っていた。


 明かりはハルシオンの前に置かれた円卓の上にある燭台のみ。

 それがゆらゆらと揺れる光の中で、黄土色をした土壁と壁をくりぬいたような横穴がいくつも見える。

 ここは地下墳墓か――。大昔に埋葬された死者が眠る棺の影が見える。


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