予兆(2)

「頼まれても外へお連れする事はできませんから。女王陛下のご命令で」


「そっ、それはハルシオン、あなたのせいでしょ! あなたが、あなたがお母様に告げ口したせいで、私は一ヶ月もこの城の中から外に出られないのよ?」


 誰かこの姫の首に縄をつけて、外を出歩かないようにしてくれないだろうか。


「臣下として当然の義務です。アナーシア様の身に何かあれば、陛下に怒られるのは私です」


「なんでそう頭っから、の身に何かあるかもしれないって決め付けるのよ!」


 ぐいっと、アナーシアがハルシオンの髪を更に引っ張る。


「危ないのはの方じゃない! いくらあなたが『輝ける栄光Shining Glory』を扱えるからって、いつも無事であるとは限らないのよ? もしも、その十字架の力が発動しなかったら、ハルシオンだって普通の人間と同じだわ。そうでしょ?」


「……それは、そうですが……」


 アナーシアはまだハルシオンの髪を両手で握り締めている。

 珍しくこの勝気な姫が少女らしく気弱げに見えた。

 同時に自分の身を誰よりも案じてくれていることも。


「アナーシア様、ありがとうございます。ですが、私も銀光騎士団の騎士長という身分を賜った身。もしもに備えて予備の武器は持っております。ですから、あなたのご同行は不要です」


 アナーシアの胸の内をずばり言ってのけると、彼女は黙ったままハルシオンの髪から手を離した。小さく舌を出してハルシオンを見上げる。


「やっぱり、駄目?」


 ハルシオンは首を横に振った。


「以前にも申し上げましたが、私には私の、姫には姫の務めというのがあります。姫は城にて陛下を支え、私が助けを求めましたら速やかに援軍を配備できるようお願い申し上げます」


 ハルシオンはアナーシアへ腰を折り頭を垂れた。

 彼女はもう幼い子供ではない。

 だからこそハルシオンも敬意を表して臣下の態度で彼女と接する。

 それをどこか寂しげな瞳でアナーシアは見つめていた。

 おずおずと口を開く。


「わかったわ。ここが、私が今いなくてはならない場所だというのね」

「姫ならご理解していただけると信じていました」

「……仕方ないわね。でも、ハルシオン」


 アナーシアは再び真っ直ぐな瞳でハルシオンを見つめた。


「帰ってきたら『お願い』があるの」

「お願い、ですか?」


 どうせ言われる事は無理難題ではなかろううか。


「うん」

「それは何ですか?」


 アナーシアはくるりとハルシオンに背を向けた。


「それは今は言えないわ。ハルシオンが帰ってきたら教えてあげる。じゃ、気をつけてね」


 アナーシアははにかんだように微笑すると、蜂蜜色の髪を馬の尻尾のように揺らしながら、城に向かってレンガを埋め込んだ道を駆けて行った。


「……」


 その場に立ち尽くしたハルシオンは、アナーシアの『お願い』とは一体なんだろううかと考えた。考えれば考える程、悪い想像しか浮かばない。

 彼女は城から外に出ることを禁じられている。だから、またこっそり自分を連れていけだとか、ひょっとしたら、城下での買い物を頼むつもりなのかもしれない。


「やれやれ……」


 ハルシオンは再びため息をつきながら、教会へ向かうべく城門へと歩き出した。



 ◇◇◇



 ハルシオンは教会へ行く前に城下の市場で買い物をした。丁度南部からやってきた行商人がいて、海がないアルビヨンでは滅多に食べられない、魚の干物を売っているのをみかけたのだ。


 ハマージという白身魚だが、香辛料と独特のたれに漬け込まれているせいで、その身は淡い紅色をしている。これが酒の肴に丁度いいとアルファージが言っていたので、ハルシオンは土産として買い求めた。


 町の中心にある教会まで歩くと、辺りはすっかり日が落ちて薄暗くなっている。けれど町を囲む城壁の上では、暗闇を払う松明の火が煌々と燃えていた。

 五つの尖塔を持つ教会は、日暮れというせいもあって人通りがなく寂しい。

 ハルシオンは日が落ちてからはいつも通り教会の裏手に回り、通用口の扉を叩いた。扉の上部にある覗き窓が開き、橙色の光が溢れ出た。


「ハルシオン、待ってたぜ」


 がちゃりと錠を外す音がしたかと思うと、通用門の木の扉がゆっくりと開かれた。そこにはランプを片手に持った黒い司祭服のアルファージが立っている。

 心なしか顔色が青白く、目の下には隈のような影が見える。気のせいだろうか。


「アルファージ。あなたにお聞きしたい事があってお邪魔しました」


 アルファージは普段と同じように唇を歪め微笑した。


「ま、兎に角中に入れ。話なら酒でも飲みながらゆっくりとすればいい」


 問題はまさにそれなのだが。話より酒の方がすすむとハルシオンが教会を訪ねた意味がない。けれどめざといアルファージは、ハルシオンが携えている茶色の紙包みに気付いた。


「ひょっとして、それは酒の肴じゃないか?」


 ハルシオンは中に入ると扉を閉めた。

 アルファージがポケットに入れた鍵を取り出し再び施錠する。


「あなたの好きなハマージの漬魚です。行商人が来ていたので、思わず買い求めてしまいました……」

「いやうれしいぞ、ハルシオン。覚えていてくれたんだな」

「……」


 ハルシオンは黙ったまま廊下を歩き続けた。

 三年前、ハルシオンは少しの間だがアルファージが管理するこの教会で寝起きしていた。アルビヨンが【吸血鬼イモータル】の集団に襲われた事件で、ハルシオンの一家は全員彼らに殺されていたからだ。


 ハルシオンの両親は信心深く、週末には欠かさずこの教会を訪れていて、アルファージとも面識があった。そのおかげかどうかは知らないが、天涯孤独となったハルシオンの身を案じて、アルファージがいろいろと世話を焼いてくれたのだ。


 お陰でハルシオンは本当に孤独にならなくて済んだ。少なくとも、誰もいない家に帰らなくて済んだ。今ならそう思える。


「お前と飲むのは久しぶりだな」


 心持ち楽しそうなアルファージの声。

 ハルシオンは過去の出来事から現実へと意識を戻した。


「アルファージ。その前に、私の話を――」

「わかってるって。まあ、せかすな。夜は長いし、そうそう。ノムリス神官もまだここに滞在している。吸血鬼イモータルについて知りたいなら、もってこいの人物だ」

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