予兆(1)

 今日も一日が終わる。

 いや、自分にとっては日が沈んでから、一日が始まるというべきか。

 西日が差し込む執務室で、ハルシオンは数刻ぶりに顔を上げた。


(――考えが浅かったのかもしれない)


 ルクシエルがまとめたここひと月分の夜警の報告書から目線を引き剥がし、ハルシオンは執務机の上に投げ出されている地図を見やった。


 それは教会を中心に同心円状に広がるアルビヨンの城下町を東西南北と四つに区切り、さらに吸血鬼イモータルの目撃情報があった所に金属のピンを一つ一つ刺したものだった。


 けれどそこには完璧な程までに、ハルシオンとルクシエルの期待を裏切る結果が表れていた。ピンが刺された箇所は、予想に反してものの見事に統一性がなくバラバラだったのだ。


「まいったな。出没地域の絞込みができれば、現れるのを見つけるのではなく、攻勢に転じられると思ったのに」


 ハルシオンとルクシエルが立てた仮説は、意図的かどうかは知らないが、真正の吸血鬼イモータルがアルビヨンの住人を自分たちの仲間にするべく、特定の屋敷や人々が集まる場を隠れ家に暗躍しているというものだった。


 現に過去にもそういうことがあったのだ。吸血鬼イモータルを恐れながらも、彼らに憧れを抱き、進んでその仲間になろうとする人間が――。


 人間と吸血鬼イモータルの流れる時間は違う。

 長寿と老いる事の無い体。それを求めてしまうのが人間の弱さである。


 富豪で知られる商家の主が吸血鬼イモータルを囲い、自らも彼らの眷属になったが、結局は血肉を得るため使用人と自分の家族を皆殺しにした事件など、ここアルビヨンには数え切れないくらいあったりする。


「お呼びですか、騎士長」


 物思いに耽っていたハルシオンの意識を、ルクシエルの冴えた声音が呼び覚ました。


「あ、ああ……ルクシエル」


 ハルシオンは席を立った。


「とりあえず今夜の夜警は君が作った区分け表を元に実施して欲しい。私はこれから教会へ行って、アルファージ司祭長に会って来る」


 ルクシエルの青い瞳が鋭く光った。

 その眼差しは執務机の上に広げられた地図へと向けられている。


「では司祭長のお話を聞いてこられるのですね?」

「そのつもりだ。アルファージも話したいことがあると連絡してきたし。彼から何か有意義な情報が得られたらいいのだけれど」


 ハルシオンは不意に口をつぐんだ。


「どうされました?」


「いや、二日前の晩に、吸血鬼イモータルに襲われていた旅の神官を助けたのだが、彼は諸国を巡って吸血鬼イモータルの伝承を集めているため、アルビヨンに立ち寄ったと言っていた。その神官がまだ教会に滞在していれば、話を聞けるかと思っただけだ」


「そうですか。しかし、珍しい人もいるもんですね。吸血鬼イモータルの伝承を収集だなんて」


 冷たく半ば嘲笑うように呟くルクシエルにハルシオンも内心は同感だった。

 無意識のうちに首から下げた白金の十字架を右手で握りしめる。


「じゃ、何かあったら教会まで伝令を寄越してくれ。話が終り次第、営舎に戻りたいが……」


 ハルシオンは再び口篭った。あの司祭長アルファージは人付き合いに垣根を作らない。誰とでも障り無く接する度量の深い人間だ。


 仕事振りはいい加減だという噂も聞くが、少なくとも彼の信奉する神々の教えの一つ、隣人を愛する心だけは誰にも引けをとらない。

 つまり、客をもてなすのが大層好きなのだ。彼は。


 日々を祈りと信仰に捧げる禁欲的で単調な司祭の暮らしは、彼に合っていないのだとハルシオンは密かに思う。流石に面と向かって言った事はないが。


「アルファージ司祭長の話は長くてね。いつの間にか、話題がわき道に逸れてしまって、どんどん関係ない話へと発展してしまうんだ。悪いが、私は今夜夜警に出られないかもしれない」


 ルクシエルは冷ややかに微笑みながらうなずいた。


「司祭長のことは存じてます。来客一人一人に酒を勧める困った方ですが、こちらは私が留守居を勤めますのでお任せ下さい」


「すまない」


「いえ。騎士長にも気晴らしが必要です」


 ルクシエルは腰に吊るした白銀の銃に手を当てた。

 副騎士長である彼は、騎士団でも十指に入る射撃の名手だ。

 特に早撃ちにかけては隣に並び立つものはいない。


 (――気晴らし、ね)


 ずっと部屋で書類とにらめっこするより、生きている人間との会話の方が得るものが多いとルクシエルは言いたいのか。


「じゃ、後を頼みます」

「はい」


 ルクシエルに見送られてハルシオンは執務室を後にした。


「どこに行くの?」


 騎士団営舎から外に出た時だった。白い外套と首の後で纏めた白金プラチナの髪を靡かせハルシオンは振り返った。

 そこには頬を不満げに膨らませ、蜂蜜色の髪を頭上で高く一つに束ねたアナーシアが立っている。


 また近衛兵隊長を剣の稽古に付き合わせたのだろう。

 アナーシアは動きやすいズボンとブーツ姿だ。


「ちょっと私用があって、教会へ行ってまいります。アナーシア様」

「教会……?」


 アナーシアが意外そうに小首を傾げる。

 それでは、といとまを告げて踵を返すと、ぱたぱたと追いかけてくる足音。

 ぐい、と髪を掴まれてハルシオンは足を止めた。


 (まだ何があるというのですか?)


 渋々振り返ると、アナーシアがハルシオンの腰まで伸びた白金の髪の束を右手で握りしめて、真っ直ぐな瞳でこちらを見上げている。ハルシオンはため息を漏らした。


「アナーシア様……髪をのはやめてもらえませんか?」


 にっとアナーシアが不敵ともいえる笑みを浮かべる。


「だったらいいわ。長いから掴んでしまうんですもの」

「……」


 ハルシオンは瞳を細めた。

 アナーシアが絡んでくるのは現状に不満があるからだ。



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