黒き聖母(3)
「なんだって?」
アルファージは思わず椅子から腰を浮かせた。
(おいおい。どういうことだ)
心臓の鼓動が早くなって、自分でも興奮しているのがわかる。
動揺するアルファージとは対照的に、ノムリスは足を組み優雅に腰掛けたまま微笑している。
「
「……始祖王?」
眉をひそめるアルファージ。
「ええ。奴等には『始祖王』と呼ばれる、強大な力を持つ者がいます。平均的な
「なんてこったい……人間とその『始祖王』がいる限り、奴らはこの世から消える事がないということか!」
ノムリスは目を伏せ同調するようにうなずいた。
「皮肉ですが、そういうことになります。アルファージ様。それで、
彼は次代の『始祖』となる器を持つ人間を探し、アルビヨンでそれを見つけました。彼に見出されたのは、一人の若い修道女。名前はグロリアといいました」
「その名前――どこかで聞いた覚えがあるぞ」
アルファージの問いにノムリスは「ええ」と答えた。
「初めて司祭長様にお会いした時、私が『黒き聖母・グロリア』と言ったことだと思います。彼女の後の異名です――何故、一介の修道女だったグロリアがそう呼ばれるようになったのかといえば、もうおわかりでしょう。
アルビヨンを襲った
グロリアとアルビヨンの地を与える代わりに、アルビヨンの民を襲わない事――。それで女王は民を連れて現在のこの地へ逃れ、新しいアルビヨンを建国しました」
「……にわかには信じがたい話だ」
ノムリスはアルファージの当惑した顔を見ながら肩をすくめた。
「信じるかどうかはおまかせします。ただ、この話にはまだ続きがあるのです」
「ほお。それは面白そうだ。是非聞かせてくれ」
アルファージは寝る前にお話をせがむ子供のように催促した。
「アルビヨンの女王は教会にグロリアを残し、民と共に国を去りました。グロリアはそれに異を唱えませんでした。女王の命令だったからではありません。彼女は元々捨て子で身寄りがなく、自分の身を信仰に捧げていました。まさに聖女というべき清廉な心の持ち主であったのです。
けれど城にはまだ数名の騎士が残っていました。彼らの目的は、女王の命令でグロリアを殺すことでした。
同時に、グロリアもまたその信心深さから、ある騎士に自分を殺すように頼んでいました。噂では神の啓示を受けたともいわれています。
捨てられた時に彼女が身につけていた白金の十字架――聖クリュヌスの言葉『悪しきものを輝ける栄光と共に撃ち滅ぼすべし――』が刻まれたそれを渡して、
「聖クリュヌス――最初に
「そういう伝承が北の地にありました」
ノムリスが控えめに答えた。
「それで、可哀想な聖女グロリアは、
今度はいつの間にアルファージが椅子から身を乗り出してノムリスの話を聞いていた。
「
「はずだった?」
顔の前で両手を組んだノムリスは、暗澹とした目でアルファージを見つめた。元から色白である彼の肌が、月光を浴びたように色素が薄くなっていくような気がした。
ノムリスが眼鏡のつるに手を当て、下がってきたそれを直す。語る声は次第に低くなっていった。
「ええ。けれど彼女が『始祖』となった途端、一人の騎士が潜んでいた物陰から飛び出し、聖クリュヌスの十字架を彼女の胸に突き刺しました。同時に、女王の命令で残っていた騎士達が教会へ火を放ったのです。教会は騎士達があらかじめ油をまいていたのでしょう。あっという間に炎に包まれました」
「それじゃあ……グロリアは願い通り、
アルファージの言葉に一瞬ノムリスは口を閉じ沈黙した。
俯く銀髪頭を横目でみながら、アルファージはふと心に浮かんだ疑問を口にした。
「始祖が死んで七百年経つというのに――国を捨てて新たな土地に移ってきたというのに、我がアルビヨンには未だ
「
アルファージは耳を疑った。
ノムリスの口調が今までと全く違う――気がする。
突如、司書室の蝋燭という蝋燭の炎が一斉に揺らめいて消えた。
蝋の臭いが強く鼻腔を刺激する。
月明かりのみが窓から差し込む暗い部屋で、アルファージは椅子から腰を浮かせた――途端、背後からノムリスの声が聞こえた。
「他ならぬ私も……その一人」
「――!」
アルファージはその場から逃げようとした。
(一体、何だっていうんだ!)
が、力強い手がアルファージの右腕を掴んで机上へと押し付けた。
「くそっ!」
ノムリスが座っていた隣の椅子はもぬけの空だ。アルファージは必死で体を動かすが、頭を机に押し付ける手は重石を置いたようにびくりともしない。
「アルファージ」
冷えた声で名を呼ばれたせいか、体中の血が凍りつきそうになる。
くぐもったノムリスの声が耳元で囁いた。
「七百年前、グロリアの胸に『
机に顔を押し付けられたまま、アルファージは背筋に緊張が走るのを感じた。くっくっとノムリスが嘲笑う。
「そう――お察しの通り、今まさに我々がいるこの教会だよ」
「ノムリス……お前、まさか!」
「黒き聖母・グロリア。我が
アルファージは頭の中が真っ白になるのを感じた。
まさか、まさかノムリスが
一瞬頭を掴む圧力が失せたかと思うと、アルファージの体は仰向けにされていた。声を出す間もなく、喉元をノムリスの右手が押さえ込む。彼の長い爪が喉の皮膚に食い込むのがわかる。
三年前にも
その時の恐怖がアルファージの唇までせり上がる。
アルファージの顔を覗き込むノムリスは無表情で、ただ二つの真紅の瞳だけが不気味に光っていた。
「もう一度あなたに尋ねてみようか。アルファージ。『黒き聖母・グロリア』の体はどこにある? ハルシオンが『
「……」
アルファージは必死で目だけでノムリスに訴えた。
息ができない。
ノムリスが喉元を圧迫しているので気道が塞がっている――。
ふっとノムリスが笑みを漏らす。
「口に出す必要はない。我々は人間と違い、心を読むことができる。アルファージ、これが最後のチャンスだ。私に血を吸われ皮だけとなって死ぬか、私と共に夜の住人となり無限の命を生きるか、選べ」
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