旅の神官(2)

「これはハルシオン様」

「アルファージ司祭長に会いたいのですが、今夜はもうお休みになられてますか?」


 灰色のヴェールを被る修道女が一瞬頬を赤く染めて小さく頷いた。


「お部屋におられますので、騎士長さまがいらしたことを伝えてまいります。しばし、お待ちを」


 修道女は覗き窓を閉めた。

 さほど待たされることなく、今度は扉が開いた。


「よお、ハルシオン。お前が来るなんて珍しいな。こんな時分に何の用だ?」


 そこには黒の司祭服に銀の十字架をかけただけの男が立っていた。

 緩やかにうねる黒髪は肩口ほどまで伸びており、司祭服の下からでもひきしまった筋肉の持ち主であることが扉の明かりからでも察することができる。


 ハルシオンはさりげなく視線を男から逸らせた。アルファージには昔世話になったことがあるのでその頃からの知り合いだが、年上ということもあって苦手でもある。

 ハルシオンは身を引いて後に控えるノムリスを紹介した。


「あなたにお会いしたいというので、こちら、ミルフォークのノムリス神官を教会まで送ってきたんです」

「ほう」


 アルファージはノムリスを訝しげに見つめながら、胸の十字架に手を伸ばし微笑した。


「ミルフォークとは。これは遠路遥々ご苦労なことですな。教会は助けを求める者の来訪を拒まない。神の意思にその者が背かぬ限り。ようこそ、ノムリス神官。私は司祭長のアルファージです。どうぞ中へ。来訪を歓迎しよう」


 ノムリスは微笑し会釈した。


「ありがとうございます。司祭長様には、今夜一晩の宿の提供と、教会に保存されている吸血鬼イモータルにまつわる記録を見せてもらえないか、それをお願いしに参りました」


 陽気だったアルファージの目元が笑みを作ったまま強張った。


「宿はともかく――吸血鬼イモータルとはね。穏やかじゃないな」


 アルファージの声は低く棘を含んでいた。


「まあ、それは構わないが」

「……では、私はこれで失礼しますね」


 ハルシオンはノムリスとアルファージの交渉がまとまったことを見届けて声をかけた。


「本当にありがとうございました。ハルシオン様」


 ノムリスがハルシオンの両手を握りしめて感謝の言葉を口にする。

 それをなんとか振りほどき、踵を返したハルシオンの背中へアルファージが呼びかけた。


「ハルシオン。ちょっと待て。折角来たんだ。987年のエディラ酒が手に入ったんだ。お前も中に入って飲んで行けよ」


 陽気なアルファージの声にハルシオンは内心ため息をついた。

 嫌々振り返り、満面の笑みを浮かべる司祭長へ皮肉を投げつける。


「ご冗談を。あなたの一日の務めは終わったんでしょうが、私はこれから始まるのです。では、夜警の仕事があるので失礼します」


 ハルシオンは蔑む様に冷たく言い放った。さらりと白金プラチナの髪を揺らし頭を軽く下げると、教会から足早に立ち去った。



◆◆◆



「……仕事、ね。少しは休んだって構わないと思うがな」


 教会の扉にもたれアルファージが腕を組みながら呟く。その手には陶器のパイプがいつの間にか握られており、白い煙草の煙が立ち昇っている。


「仕方がありませんよ。この街はハルシオン様に護られているんですから」

「……やれやれ」


 アルファージが一瞬絶句するように声を漏らした。ノムリスを中へ入れ扉を閉める。振り返りざまにアルファージは口を開いた。


「あんた、旅の神官だったよな。どこでハルシオンと出くわした?」


「え? あ、ああ。それはですね、先程吸血鬼イモータルに襲われていたのを、ハルシオン様に助けていただいたのです。まさかこの目で本物の『輝ける栄光Shinig Glory』の光を見ることができるとは――興奮しました」


「ほう。アレを知ってるのか」


「そ、そんな怖い顔で見ないで下さいよ。私は母国ミルフォークの司祭長から命じられて諸国を巡り、吸血鬼イモータルについての伝承を収集しています。だから七百年もの間、吸血鬼イモータルと戦い続けているアルビヨンの銀光騎士団の存在は知ってますし、騎士団の至宝『輝ける栄光Shinig Glory』――という銃をハルシオン様が唯一扱えることも知ってます」


「何のために吸血鬼イモータルの伝承を調べている?」


 ノムリスは目を伏せ眼鏡の縁に手を当てた。


吸血鬼イモータルという存在の謎といいましょうか……例えば、彼らは何故存在しているのか。存在し続けているのか。それを倒し続けると彼らはいつかはこの世からいなくなるのだろうか、とか。今では私自身が各地の伝承のことを調べるのが楽しくなり、こうして吸血鬼イモータル発祥の地までやってきてしまったんですけど」


 アルファージはパイプを吸おうとしたその手を途中で動かすのを止めた。


「ちょっと待て。今のは聞き捨てならないな。アルビヨンが吸血鬼イモータル、だと?」


「あ、ああ。私としたことがすみません。誤解を与える言い方をしてうっかりしてました。発祥というか、アルビヨンの地にはが隠されているらしいのです。そうだ。司祭長ならご存知ないでしょうか?」


 ノムリスはそこで間を置きアルファージの黒い瞳をじっと見つめた。


吸血鬼イモータルたちの始祖である『黒き聖母・グロリア』。彼女のことを聞いたことはないですか?」

「……何を言い出すのかと思えば」


 アルファージが突如はははと笑い出した。


「黒き聖母――? 吸血鬼イモータルの始祖、だって? そんな物騒なものきいたこともないし、残念ながらアルビヨンにはいないだろうよ。アルビヨンは吸血鬼イモータルと戦い続けているが、国を奪われたことはないんだからな。それよりもノムリス神官。化物に襲われてさぞ体が冷えただろう? 温めたワインでも飲めば、その高ぶった神経も少しは治まることだろうよ?」


 ノムリスが密やかに笑んだ。


「私が酒をたしなむと、どうしてお分かりになったんです?」

「そんなの決まってるだろ。勘だよ、勘だ」


 アルファージはノムリスを伴って食堂へと案内した。



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